"出立の前に"
「お世話になりました」
「いえ、こちらこそご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません」
そう言葉にしてイリスに頭を下げていくフォルカーだったが、彼自身に落ち度など何一つないのだから、謝る必要なんてありませんよと話していく。
「幸い、コリンナさんも風邪で済みましたし、年齢を考えると何か他に併発している可能性も考慮していましたが、それも杞憂に終わったようで安堵しています。本当に良かったですよ」
笑顔で答えるイリスに、再度お礼を言うフォルカー。
ウッツ達グルーバー家の人々には先日の内に話をしてある。
随分とご迷惑をおかけしましたと、一名を除いたグルーバー家の人々に言われてしまったが、それもまた一つの縁なのではないだろうかとイリスは感じていた。
思えばフィルベルグを出てからここまで、本当にたくさんの事があった。
旅などした事もないイリス達三人にとって、毎日が新鮮に思える日々ばかりが続いているし、沢山の人と出会い、沢山の人の想いを知る事が出来た気がした。
そしてそれは、これからも変わる事なく、沢山の事を知る機会となるだろう。
そう思えるイリス達は、次なる街へと向かう為にお世話になった人達へ逢いに行く。
送らなければいけない手紙もあるので、まずは朝食よりも先にギルドへと向かおうとするイリス達へフォルカーは、次にニノンを訪れた際はのんびりとご滞在下さいと言葉にし、イリス達は"銀の杯亭"を後にしていった。
この街は本当に長閑な街だ。歩いているだけで心が穏やかになっていくかのような気持ちになる、とても不思議な街だった。
こうして歩いていると、行き交う人々は大らかな方が多いのが良く分かる。
その誰もが優しい笑顔でゆったりと歩く姿に思わず微笑んでしまうイリス達は、またニノンに寄りたいですと楽しそうに言葉にしていった。
冒険者ギルドへと訪れたイリス達は、はてと首を傾げてしまう。
現在の時刻は早朝となっているはずなのだが、冒険者の姿が誰一人として見当たらない様子に一瞬、休業しているのかと思ってしまったが、ここはギルドであり、そういった事はないだろうと考えを改めた。
可能性があるとすれば、ここはニノンである為、そのギルドもまた長閑なのだろうかなどと考えていると、奥からカウンターへ出てきた職員がこちらに気付き、挨拶をしていった。
「やぁイリスさん達、いらっしゃいませ」
「おはようございます、オイゲンさん」
相変わらず雑務を一人でこなしていると思われる、ニノンギルドマスターに挨拶をし終えたイリス達は、持っていた数通の手紙を差し出し、配達の依頼をお願いしていく。
今回の手紙の内容は、近況報告を含む普通のものとなる。
特に大きな変化はなかったので、報告書のようなものは書く事はなく、無事にニノンに出立したというものとなる。
「なるほど、フィルベルグへのお手紙と、アルリオンと、エルマ宛てですね。
宛先は……"森の泉"のレスティさんに、フィルベルグの女王陛下!?
それにアルリオンの枢機卿と、法王様!? エルマの冒険者ギルドマスター!?」
何とも個性豊かな送り先に、目を丸くしてしまうオイゲンだったが、何かが口から出そうになる衝動に駆られてしまう。
これだけの著名人達へと手紙を送る事自体、誰もが考えもしないような事ではあるのだが、それよりも、それだけの人脈を持つイリスに驚きを隠せなかった。
レスティとエリーザベトに限っては、エッカルトやウッツの事も書かせて貰っていたが、法王であるテオや枢機卿達へも手紙を書いたのは、心配しているかもしれないと思ったからだ。
無事に到着と出立の件は知らせておくべきかと思えたイリスは、計五通の手紙を書き記していた。
タニヤ宛の手紙には子供達へのものも含ませてあるので、彼女が伝えてくれる事だろう。
そんな事をイリスが考えている頃、手紙の宛名を見つめながら固まるオイゲンは、思わずぽつりと疑問が漏れてしまうが、どうやらその問も当たっていたようだ。
「……フィルベルグのレスティさんとは、あの"世界四大薬師"のレスティさんですか」
「えっと、たぶんそうだと思います。詳しくは私も聞いていませんが、王国随一の薬師と言われているそうですので」
実際にレスティからは、そのような言い方を聞いている訳ではない。
彼女の知識量や技術を含む全てが、王国一では留まらないと理解しているイリスがそう思っているだけに過ぎないのだが、それを頷けるだけのものを彼女が持ち、またそれをイリスに惜しみなく教えてくれていた事が、彼女がそう呼ばれるに相応しい存在なのだと肌で感じていた。
尤も、自分が世界四大薬師であるだなどと言葉にする者がいるとは思えないが。
イリスの言葉に何かを納得したオイゲンは、続けて話をした。
「……なるほど、四大薬師のお弟子さんだったのですね。それでエッカルトさんの治療が出来たという事ですか」
「もうギルドにまで、そのお話が伝わっているのですね……」
思わず聞き返してしまったイリスだったが、それどころではなかったのだと諭される事となる言葉をオイゲンは放っていく。
「ウッツ君の件も伺っていますよ。ニノンは小さな街ですから、噂など一日と経たずに広まり切ってしまうでしょうな」
噂が広まる速度があまりにも速く、既に殆どの者がその事を知っているそうだ。
一体どこから広まるのやらと考えながら、苦笑いしか出ないイリスだった。
そんなイリスにオイゲンは、ウッツの話を始めていった。
「ウッツ君は今時の若者の中でも特に元気でしてね。どうにも行き場のない力が裏目に出てしまう事が多いのですが、そんな彼の溢れる活力に励まされる者も多いのですよ。ご家族からすれば、申し訳なさの方が勝ってしまうようですが、それでも彼の存在は、ニノンに良い影響を与えてくれているのです」
このニノンに住む殆どの者は、中年以上が多く暮らしている街だ。
そんな中ニノンで生まれた若者は、とても大切に育てられる。
彼もまた、そんなニノンの若者の一人として成長していったので、街の人からすれば息子のような、孫のような存在として扱われているのだとオイゲンは語った。
「私はまだニノンに戻って一年と日が浅いですが、彼は若者の中でも逞しいようですからな。中々な武勇伝はこちらにも届いて来るのですよ」
どこか楽しそうに言葉にしているオイゲンだった。
今回の件も、ウッツの行動に両親は怒り心頭といった様子を見せたが、街の人からすれば、彼は街に活力を分けてくれているのだと認識しているのだそうだ。
その得も言われぬ不思議な魅力に、彼を悪く言う者はいないらしい。
尤も、ヨルク、コローナ夫妻にとっては、もっと落ち着いて欲しいと願っているそうだし、フォルカーからすれば、教育したくて堪らないといった様子を見せるそうだが、それもこれも全ては、ウッツの事が大切だからに他ならないのだと、イリス達は確信が持てた。
「それでイリスさん達は、どちらに向かうのですか?」
「私達は西へ向かおうと思います」
「石碑でしたね。カリサからエークリオ周辺では、それに関しての情報を聞いた事がありませんので、南東から南西には石碑はないやもしれませんな。
尤もこれは確かな情報ではありませんから、話半分に留めておいて下さいね」
「ありがとうございます。
折角ですので、石碑を見つけたらエークリオにも訪れてみたいですね。
まだ行った事の無い国ですし、フィルベルグへの帰る途中にもなりますから、きっと寄れるとは思いますが」
「エークリオは中々に騒がしい街ですが、とても活気があって元気になれる街です。
大陸の中央となる貿易国家でもありますし、職人がとても多くいますので、もしかしたら掘り出し物なんかも見つかるかもしれませんよ」
それは楽しみですねと笑顔で答えるイリスは、また近くに来たらニノンに寄らせて頂きますねと言葉にして、ギルドを後にしていった。
エークリオへは経路の都合上、訪れる事なくここまで来てしまったが、大陸中央にある巨大な貿易都市となっている。
人口もとても多く、職人を含む商店が溢れる活気のある街と聞いているイリス達にとって、興味深い街であるだけでなく、情報も多く飛び交う場所となっている。
交易を生業としている商人がとても多くいる事もあり、ある意味では情報収集をするにも最適と思われる国ではあるのだが、急ぎの旅でもないイリス達にとっては、旅を楽しみながら石碑を求める事を重視しているようだった。
いずれは訪れたい国という認識になってしまっているが、機会があれば訪れようと仲間達とも以前から話をしていた。
エッカルトの店まで歩きながら、イリス達は石碑を訪れた後の事を話していった。
「折角ですから、行ってない街にも行きたいですわね」
「そうですよね。エークリオもそうなんですけど、カリサやエーベ、シグルにも行ってみたいです」
「きっとどの街にも違った魅力に溢れた、とても素敵な街ばかりなのでしょうね」
「大きな国以外となると、俺は然程滞在していない。どの街でも楽しめるだろうな」
「俺も街となると、それほど長く滞在した事がないですね。リシルアまで行ったとして、そこからシグル、エークリオ、フィルベルグっていう経路もあるね。
シグルの西には小さな漁村アルバもあるから、途中寄っても楽しそうだ」
「リシルア南東のリストールからエークリオに行き、カリサへ向かってエーベに行くのも楽しそうですわね」
「その場合は、エーベ、アルリオン、エルマ、ノルン、フィルベルグでしょうかね」
「イリスちゃんの仰った経路であれば、フィルベルグからシグル、西のアルバからエークリオ、ニノンという行き方も出来そうですね」
とても楽しそうに経路の話をしながら、夢が広がる談議に花を咲かせていると、いつの間にかエッカルトの店にまで辿り着いていたようだ。
街に広く設けられている農園があるとはいえ、やはりニノンは少々小さめの街であると思える広さだと感じていたイリスは、扉に付いているドアノッカーを軽く鳴らしていった。




