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この青く美しい空の下で  作者: しんた
第十章 知識だけでも、技術だけでも
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"ずっと笑顔で"

 

「初期段階の風邪かと思われます。昨日呑んだお薬のお陰もあり、既に快復へと向かっていますのでご安心下さい。咳もあと一日二日で収まると思われます。

ですがまだ完治した訳ではありませんので、お薬は必ず服用なさって下さい」


 イリスの診断もエッカルトと同じ、典型的な風邪だと診断した。

 また彼が処方した薬瓶には、とても丁寧な字でしっかりと説明書きがされたラベルが貼られており、この瓶を見ただけでどんな病気で、そしてどんな効果があるのかが理解出来るようなものとなっていた。

 文字は彼の店の看板に書かれたものとは違うし、何よりもこれは薬の説明書きになるので、これはエッカルトが書いたのだと思われた。


 こういった所にも気配りがされており、処方箋を求める方に出す場合には、このような薬の出し方がいいのだろうとイリスはしみじみと考えていたが、レスティの魔法薬店である"森の泉"は、冒険者や労働者に重きを置いているので、風邪薬を始めとした薬品類を一切置いていない。

 魔法薬としては説明書きは不要と思われるので、残念ながらそれを取り入れる機会は難しそうだった。



 今現在はウッツに連れられて彼の自宅へと訪れ、病気を患っている彼の祖母であるコリンナの診察をイリスがし終えた頃合いとなる。


 少しだけ時間は遡り、彼が自宅の扉を豪快に開けて入って行くも、その先にとんでもない光景を目にする事となるイリス達だった。

 それは一頻(ひとしき)りイリスがウッツの両親に、事の顛末を説明し終えた瞬間となるのだが、何がこの場で起こったのかは、その直後の現状を目の当たりにした者であれば想像に難くないと言えるだろう。


 世にも恐ろしい表情で仁王立ちする両親と、その前に正座させられたウッツ。

 心なしか彼の頭頂部には、膨れ上がった二つの塊を乗せているようにも見えたのだが、こればかりは人様の家庭事情である為、口出しを控えたシルヴィア達だった。


 正確に言うのならば、口出しを控えたのはシルヴィア、ヴァン、ロットの三名で、イリスとネヴィアに限っては、取り乱したようにおろおろとしていた。

 正直なところ、こういった瞬間を目にするのは全員同じだったようだが、ことの外落ち着き払っていたシルヴィアの姿に、ヴァンとロットも意外だといった表情を浮かべていた。


 後に聞いたところによると、シルヴィアもそれなりには驚いてはいたのだが、それよりも彼の性格は、そのくらいされても仕方がない事を繰り返しているのだろうと推察していたようだ。

 彼の様子を興味深げに見ていたのではなく、しっかりと学ばせる為には、こういった事も場合によっては必要なのかもしれないと考えていたらしい。

 だが同時に、これほどまでにやんちゃ(・・・・)な子など、そうそう出会う機会もないですわねと思っていたそうだ。


 とても冷静な立ち振る舞いと思慮深さを見せたシルヴィアに、母であるエリーザベトの姿が重なったと、シルヴィア以外の者は感じていた。



 診察も終え、エッカルトに言われた事と同じ病状のようで安心する、ウッツの両親であるヨルクとコローナ夫妻は、尚も正座をし続ける不肖の息子を一瞥しながら、イリスに向き直り言葉にしていった。


「本当にすみません、うちの馬鹿息子が……。

 エッカルトさんだけでなく、イリスさん達にまでご迷惑をお掛けするだなんて……」

「何とお詫びして良いのやら……」

「本当にごめんなさいね。私の為にこんなに朝早くから来て頂いてしまって……」


 病気である祖母コリンナまでも深々と頭を下げてしまったグルーバー家の人々は、続けてお礼の話をしていくも、相も変わらずそれを受け取ろうとしないイリスに、彼らは戸惑いを隠せなかった。


 流石にイリスの言葉を容認出来ないヨルクに、イリスは答えていった。


「私は診断しただけですし、エッカルトさんが既に適切な処置を施しています。

 であれば、私がお礼を言われるような事はしていないと私は思っていますし、何よりも私は、お金の為に治療行為をしている訳でもありませんから」

「し、しかし、薬師の方である貴女にお礼をしなければ、申し訳が立ちません。

 どうか、受け取っては頂けませんか?」


 彼らはそれを言葉になど出来ないが、これは正当報酬である。

 それだけではなく、この報酬には迷惑料も含まれているのだが、それをイリスが受け取る事はなかった。


「私は薬師ではありますが、これを生業にするつもりはありません。

 私はただ、私が治療をした方が笑顔で居続けてくれる事が、何よりも嬉しいのです。

 とても我儘な事を言っているのを承知の上で申させて頂きますが、そこにお金を受け取ってしまったら、私の中で何かが変わってしまう気がするんです。

 私は薬師でもありますが、冒険者として世界を仲間達と共に旅をしています。

 それに今回は先ほども申しましたように、エッカルトさんが処置をしていますので、尚更報酬を受け取る事など出来ません。

 私は今一度診察しただけですし、コリンナさんが重いものを患ってなくて安心しました。今回こちらにお邪魔させて頂いたのも、私が安心したいという理由でもありましたから、本当にどうぞお気になさらないようお願いします。

 それでも報酬をと仰るのであれば、コリンナさんの病気が治った先も、ずっと笑顔で居続けて下さい。私にとってそれこそが、最高の報酬なんです」


 満面の笑みで答えるイリスに、グルーバー家は何も言えなくなってしまったのだが、イリスとしては自分のしたいようにさせて貰っただけだという認識をしていた。

 今回はウッツの希望からグルーバー家へ訪れてはいるが、正直なところイリス自身がコリンナを心配に思った事も大きかったと言えた。


 これはイリスの自己満足なのかもしれないし、その事を周りの人間からは快く思われないかもしれない。

 だがイリスはたとえ悪く思われたとしても、報酬を受け取る事はなかった。


 自分のしたいようにして、頑なに報酬を受け取らない。

 これを自分勝手で我儘だと言葉にする者もいるかもしれない。

 だがそこに優越感のような良くないと思える感情は微塵もなく、ただ単純にイリスは彼らに笑顔になって貰いたかっただけだ。


 辛く、苦しく、家族が傍にいても心細いと思ってしまうような体の状態で想う事は、家族への気遣いと、自身の健康の事ばかりなのではないだろうか。

 不安で寂しい気持ちと思える中、早く良くなって貰いたいと願う事や、元気に笑顔で居てくれる事が何よりも嬉しいと感じてしまうイリスは、極々普通の、平凡でありふれた考えを見せているだけなのではないだろうか。

 そう思えてしまうのはイリスだけなのかもしれないが、それでも彼女はそう思わずにはいられなかった。


 大切な人が苦しみ寝込んでいるところへ、額にそっと濡らしたタオルを乗せてあげる事。そして溢れてきた汗を拭ってあげる事。

 歩き難くしている人に手を添え、転んでいる人に手を差し出す事。


 イリスが治療をする感覚は、これらと何ら変わらない事なのだと彼女は思っていた。

 彼女にとって薬学や調合学は、人を笑顔にさせる為に必要となるものの一つという認識を持っている。

 その報酬は、お金などでは決して換えられない"笑顔"という、とても純粋で温かで、何よりも素敵だと思えるものに勝るものなどありはしないのだと、イリスはそう感じているのだった。


 そんな何よりも尊い笑顔の為に、イリスはこの知識と技術を振るおうと心に決め、そう誓うように心にとめるイリスは、澄みきった瞳と声で優しく話し始めていった。


「他所様のご家庭の事情に口出しする無礼を承知の上で言葉にさせて頂きますが、今回の件で、あまりウッツさんを責めないで下さいませんか?

 確かに今回の一件でウッツさんは、直情的で向こう見ずな対応をしてしまったと思いますが、それも全て、大切なお婆様であるコリンナさんを想っての事です。

 それはとても純粋に心配しての事ですし、そのお気持ちは私にも痛い程分かります。

 私にも祖母がいます。血の繋がりはなくとも、心から大切に想える家族が。

 大切な人が病気で伏せっていたら、何とかしなきゃと思うのは、ごく自然の事だと思います。

 今回は少々行き過ぎたところはありましたが、それでもウッツさんが善意で走り回った事に違いはありません。

 私に限っての事ではあるのですが、私の所へいらしたのも迷惑な事では決してありませんし、私自身もコリンナさんの無事を確認出来て安堵しております。

 差し出がましい事ではありますが、今回の件はここで納めて下さいませんか?」


 室内がしんと静まり返り、誰もが口を開く事の無かった世界の中、暫しの時間を挟んだ後にコリンナが、優しい口調でイリスを見据えながら言葉にしていった。

 その様子はまるで、イリスをとても崇高な存在として見つめているかのような眼差しであり、それを向けられたイリスは少々戸惑いながらも、部屋全体まで優しく響く心地良いコリンナの声に嬉しく感じ、聞き入るように聞いていた。


「……ありがとう、イリスさん。

 貴女に巡り逢えた事が、私にとって最高の出来事だったのかもしれないわね。

 貴女という存在に巡り逢わせてくれた、アルウェナ様に感謝を捧げます」



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