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この青く美しい空の下で  作者: しんた
第十章 知識だけでも、技術だけでも
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"そういう世界に"

 

 一口含んだだけで広がる、奥行きのある味わい。

 深みもコクも十分にあるどころか、それ以上の味をも感じさせるシチューに思考が止まりながらも、言葉にするネヴィア達。


「……とても美味しいお味に感じますね」

「うむ。確かに美味い。いや、かなり美味いな、これは」

「そうですね。俺も十分に美味しいと感じますが」

「……これのどこに問題があるのかしら?」


 これだけの物をニノンに訪れた者達に振舞う事など出来ないと、女性は語っていた。

 現に今も、申し訳なさそうにこちらを見つめながらネヴィアの横に立ったままだ。

 その様子はまるで、こんな物をお客様に食べさせてしまったという罪悪感の気持ちがしっかりと伝わってくるかのように感じられた。


 彼女が言い渋っていた真意は、食べれば分かるかもしれないと思っていたシルヴィア達だったが、虚を突かれる形となってしまう。

 寧ろ、彼女たちを混乱させてしまう結果となっているようで、味も素材の品質も、全く問題ないように思われるその料理のどこが、人に出せない理由となっているのだろうかと考えるシルヴィアは、正直なところ私には全く分かりませんわと言葉にした。


 しかしイリスだけは少々違う意見を持っている様で、一口食べたまま固まっていた。

 そんな彼女にネヴィアが名前を呼ぶと、ハッと気が付いたように彼女の方を向き、すみませんと言葉にして、シチューの具を食していくイリスはじっくりと味わいながら喉に通していき、中年女性へと向き直りながら言葉にしていった。


「確かにこれは安価で作れるお料理ですが、それは材料だけを見た場合の話でしょう。

 野菜もお肉もそういった物で作っているのでしょうが、それを感じさせない料理人の素晴らしい工夫がされています。

 サラダは見た目から察すると、とても小さめのお野菜なのが見て取れますが、味にも質にも一般のお店で販売しても問題ない品質だと言えるものでしょう。

 シチューも売り物にならないお野菜を使っているとの事ですが、中でも驚きなのはそのお味ですね。

 これだけの濃厚なお味を出しているのは、大量のシヴィットの骨と肉を使って作り上げたフォンによるものです。香味野菜と香辛料を使い、シヴィット特有の鼻を刺激するような獣臭さがほぼ無くなっています。

 おまけに骨の周りのお肉を大量に使っている事で、お肉は小さいですがとろとろになるまで煮込まれ、お肉の旨味と脂の甘みがシチュー全体へ行き届いていて、とても美味しい一品となっています」


 流暢に言葉にしていくイリスに、シルヴィアは尋ねていく。


「フォンとは何ですの?」

「仔牛や仔羊などの動物の骨や肉を使って作る出汁の事です。

 それもこれは、根気良く灰汁(あく)や余分な脂を取り除き続けて作り上げた物で、とても澄んだフォンだと思われます」


 料理の中核をなしているものを解明されてしまい、目を大きく見開いた中年女性は完全に固まっているが、尚もイリスの言葉は止まらない。

 それはここにいるシルヴィア達も、頭の片隅を過った事ではあるのだが。


「まさかニノンでお会い出来るとは思いませんでした。貴女はミランダ・ルエルさんのお弟子さんですね?」

「……なるほど。ミラベルさんのお母様のお弟子さんでしたのね。それならばこのお味は納得ですわ」

「それでこれほどまでに美味しいお料理だったのですね」

「なるほどな。それならば理解出来る」

「確かにこの味は並の料理人では出せないと思えるくらい美味しいね」

「……す、凄いね、あんた。

 まさか味の秘密をそこまではっきりと理解されたのは初めてだよ……。

 それもたった一口目で分かってたみたいだし、驚き過ぎて言葉にならないよ……」


 驚く女性にイリスはそれだけではありませんよと、話を続けていった。


「このお料理の魅力はお味だけではありません。

 破格のお値段で出せるからそこ、手間暇をかけて美味しい物を食べて貰いたい。

 そんな優しい気持ちが一杯伝わって来て、まるで幸せを運んで来るかのような、とても素敵なお料理へと変貌を遂げています」


 イリスの言葉にぽかんと口を開けたまま固まってしまっている女性だったが、ここにシルヴィアはとんでもない事を口走っていく。

 彼女としては決して悪気はないのだが、どうにもその反応を楽しもうとしていた傾向を感じられるような言い方をしてしまったようだ。


「ミラベルさんとのお料理勝負で負かしましたからね、イリスさんは。……次は、ミランダさんとの勝負も見てみたいですわ」

「み、ミラベルに勝った!? あのミラベルに!? あんた一体何もんだよ!?」


 なんだなんだとざわつきだす店内に、一際大きな声が響き渡る。

 若干おろおろとするイリスとネヴィアに、とても楽しそうににまにまとしてしまうシルヴィア。

 ヴァンは瞳を閉じ、ロットはそんなシルヴィアへ苦笑いをしていた。



 *  *   



「……なるほどねぇ。大凡は理解出来たよ。

 まさかあのミラベルが料理対決で負けるだなんてね。

 とても想像出来ないけど、それだけの舌を持っているんじゃ納得しちゃったよ。

 あたしも勝負を毎日のように挑まれていたけど、一度も勝てず仕舞いだったなぁ」


 遠い日を思い起こす様に遠くを見つめながら彼女は、当時の事を話し始めていった。


 ミランダの二番弟子であるイルメラは、ノルンで料理修行をしていたのだそうだ。

 凄腕料理人であるミランダの噂はこのニノンにまで轟いており、料理人を夢見た少女は一大決心をしてノルンへと向かっていった。

 そんな彼女をミラベルの母ミランダは快く迎え入れ、料理の基礎から専門的な知識まで惜しみなく彼女に分け与えて鍛えてくれたのだとイルメラは答えた。

 当時の彼女は成人になったばかりの若輩者で、ミラベルとは歳も近かった事もあり、良きライバルとしてミランダの元で互いに切磋琢磨をしていたのだそうだ。


「尤も、ライバルだと思っていたのは向こうだけで、あたしにはとても付いて行けないほどの実力差が彼女とはあったんだよ。

 ミラベルはたったの三年で先生から卒業し、あたしが一人前として認めて貰えたのは更に五年もかかった。

 付きっきりで私に指導をしてくれてた先生にミラベルは(ふく)れていたけど、先生にとっては出来のいい娘よりも、教え甲斐のある生徒の方が好むんだって良く言っていたよ」


 無事に卒業したイルメラはミラベルと共に、ミランダの店である"銀の憩い亭"で料理を出し続けるも、暫くするとミランダは旅に出ていってしまったのだそうだ。

 元々はミラベルが一人前になったら旅をしようと決めていた彼女は、イルメラの卒業と共にノルンを飛び出してしまったらしい。

 今もどこぞの料理店で技術を教えているんじゃないかなと、イルメラは答えた。


「前々から味の分かる子を探して自分の料理を教えるんだって言っていたけど、あたしの事でどうやら味を占めたらしくてね。きっと今も昔のあたしみたいな子を探して旅をしているか、技術を教えているんじゃないかな」


 イルメラはとても楽しそうに、そしてどこか寂しそうに言葉にしていた。

 彼女にとってミランダとは、料理を教えてくれた偉大な師であり、またもう一人の母でもある大切な人だった。

 そんな彼女がやりたい事の為に旅に出る事を止めたりは出来なかった彼女だったが、内心では今でも心配しているらしい。


「ミラベルは放っておいても大丈夫だと言うけど、あたしは先生が心配でね。何度先生を探す旅に出ようと思ったか分かんないよ。

 世界は危険過ぎるから、どこかでとんでもないモノと出会ってしまったら、そこで命は尽きてしまう」


 そう思うと怖くて堪らないんだよと、イルメラは寂しそうに答えた。


 これはイリス達が冒険者になる時に、フィルベルグギルドマスターであるロナルドが言葉にした事でもある。

 そしてそれ(・・)に、イリス達は二度も出遭ってしまっている。

 それも最悪とも思える、途轍もない怪物と。


 あんな存在と出会ってしまったら、たとえプラチナランク冒険者であったとしても、退けるなど困難を極めるだろう事は想像に難くない。

 いや、倒せるかどうかも正直のところ分が悪いと言わざるを得ないほどの化け物だった。そんなものと遭遇すれば、まず助からないと言えるほどの凄まじさを感じた。


 だがこんな事など言葉に出来るはずもなく、内心で血の気が引いていくイリス達だったが、ミランダが無事である事を信じるくらいしか自分達には出来ないだろう。

 そんな様子の彼女たちの気持ちを組んだイルメラは、ありがとうね、先生の為に想ってくれてと、とても優しく言葉を紡いでいった。


 *  *   


「それで、イルメラさんもお料理勝負を挑まれるのかしら?」


 美味しい食事を食べ終え、芳醇な香りがする林檎酒を頂きながらさらりと言葉にするシルヴィアだったが、その瞳はきらきらと輝いており、楽しみで仕方がないといった表情を見せるも、どうやら彼女はそういった人物ではないそうで、イルメラは苦笑いをしながらシルヴィアに言葉を返していった。


「あたしはそんな事しないよ。あれ(・・)はあの血筋だけだろうね。

 正直なところ若い頃はむきになって勝負を受けていたけど、対戦成績を考えたら虚しくなってね。独立してニノンに店を構える夢を優先して、あたしはノルンを出たのさ」


 出立の前日に最後の一勝負をしていったそうだが、その時にイルメラが作った料理は現在に至るまで過去最高の出来栄えとなり、ミラベルを驚かせる事が出来たらしい。

 尤も、勝敗の方は負けとなるも、あれほどの完成度で負けるのなら仕方がないと思えるほどの会心の出来だったそうだ。


「ノルンを出る日、ミラベルに泣き付かれて困ったけど、お互い店を持つと中々会える事も難しくなるからね。今にして思えば、むきになってた料理勝負も凄く楽しかったし、本当にいい思い出だよ。

 ミラベルからするとあたしは、あいつのライバルで、所謂姉妹弟子で、本当の姉妹のような家族で親友なんだとさ」


 そう言葉にするイルメラは、とても嬉しそうな笑顔を見せていた。


 今でも時々手紙でやり取りをしているそうだ。

 中でも話題はミランダの事になるらしく、まるで近況報告のような手紙が届くらしい。それによると年に一度くらい、母からの手紙がミラベルの元に送られてくるのだが、残念ながら現在地と思われるものは一切かかれていないそうだ。

 定期的にしっかりと届けられるらしいので、特に病気もなく元気でやっているところが先生らしいよと、イルメラは明るく話した。


「そんな訳で、誰彼構わず喧嘩吹っ掛けるのは、あの二人だけって事だよ。

 まぁ、あのミラベルに料理勝負で勝った人に、あたしが勝てる訳もないさね!」


 まるで彼女のような言葉遣いで話すイルメラは、とても楽しそうに言葉にしながら昔を懐かしんでいた。

 しかしイリスはミラベルの作った食事を言い当てるという勝負をしただけで、料理を作りあった訳ではない。

 実際に料理を作り合う勝負だったら分からないのではないかしらと言葉にしたシルヴィアに、彼女はそういうもんじゃないんだよと答えていく。


「料理の味が分かるだけの人じゃ、ミラベルの作ったものまで理解は及ばないんだよ。

 それはたとえ圧倒的とも言える料理に対する情報量を持っていたとしても、それだけではとても到底出来ないものにまで知識と技術が辿り着いてしまっているんだ。

 勿論それには並外れた味覚や嗅覚も必要になって来るけど、そういった存在が料理を作れないなんて事は絶対にないんだよ。

 そういう世界に生きているんだよ、ミランダさん母娘(おやこ)がいる場所は」


 イルメラは苦笑いして答えるが、彼女としても既に理解出来ない所にまでミラベルは到達しており、その母であるミランダは更に凄いのだと言葉にする。

 それは凄いなどとはとても言えないほどの凄まじさらしく、一般人ではまず辿り着けない領域にまで上り詰めてしまっているそうだ。

 あのミラベルでさえも一度として母に勝つ事はおろか、勝てると自信を持って料理を作り上げる事すら未だに出来ずにいるのだと手紙にしたためているらしい。


「あたしにはミランダさんがどれほどまでの腕を持つのかですら、結局今でも分からないんだよ。まぁそれは、ミラベルも同じみたいだけど」


 実力差が離れ過ぎていると、何を食べても美味しいとしか出て来ないんだよね。

 イルメラは苦笑いをしながら師匠の凄さを語っていたが、現実にあれほどの料理をしっかりと判断出来る者なんていないんじゃないかなと言葉にして笑っていた。

 思わず視線と妙な期待をイリスに向けるシルヴィア達だったが、彼女としてはただ単純に美味しい食事を頂きたいだけだと思っているようだ。


 本音を言えば、周囲の注目を浴びながらの食事は、あまり好まないと思えてしまうイリスだった。



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