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この青く美しい空の下で  作者: しんた
第十章 知識だけでも、技術だけでも
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"良い経験"

 

 調合に使った器材を洗い、片付けを終えたイリス達は、ダイニングにてお茶を頂きながらエッカルト夫妻と話をしていた。

 会話が弾む中、エッカルトの顔色も随分と良くなってきているようで、心なしか身体が軽いですよと彼は笑いながら言葉にする。

 流石にそれほど時間も経っていないので気のせいではあるのだが、病は気からと良く言われるくらいだし、本当に身体が軽く感じているのかもしれない。


 折角の機会ですからと、薬師同士で情報交換をしながら楽しく話すイリスとエッカルトだったが、雑談を交えながらとても専門的な話をしている二人の間に入る事が出来るのは、妻で調合師見習いであるヘルタだけだったようで、興味深そうに頷きながら二人の高度な話を聞いていた。


 二人の会話は所々に専門知識が含まれるものであり、残念ながら取り残されてしまっているシルヴィア達だった。

 そんな彼女達は、楽しそうに薬剤や材料の話をしているイリスを見て微笑みながら、美味しいお茶を頂いているようだ。


 気が付くと外にはもう夜の帳が下りつつあるようだ。

 随分と話し込んでしまったと感じながら、イリスは仲間達に視線を向けて確認を取った後、エッカルト夫妻に言葉をかけながら席を立っていった。


「時間も時間ですし、そろそろお(いとま)させて頂きますね」

「もう夕方になっていたんですね。ついつい話し込んでしまい、申し訳ありません」

「とんでもないです。とても楽しかったので、私もつい長居をしてしまいました」

「よろしければ、このままお夕飯をご一緒しませんか?」

「流石にそこまでは申し訳ないですし、厩舎にも行きたいのでどうぞお構いなく」


 この後エステルに会いに行きたいと思っていたイリス達は、ご馳走になるのも申し訳なく思う事もあり、ヘルタのお誘いを丁重にお断りしていった。

 時間としてはぎりぎりといったところで、もう厩舎も閉められているかもしれない微妙な時間帯と思われるので、彼女に会えるかは正直なところ分からないが。


 厩舎は街に訪れた際どんな時間であっても、馬車を受け入れてくれる。

 そのまま馬車を放置する訳にもいかないのだから、それも当然だと言われてしまうのかもしれないが、旅人や商人にとってはとてもありがたい対応であった。


 流石にエステルに会いたいという理由で厩舎を訪れるのは申し訳がなく思うが、恐らくだがそういった理由であっても厩舎は開けてくれると思うと、ヴァンとロットは話していた。

 それでも出来る限り、エステルが放牧されている間に用事は済ませたいと思うイリス達だった。


 店として使っている部屋まで戻ってきたイリス達を後ろから呼び止めたヘルタは、ひとつの包みをイリスに差し出していき、エッカルトがそれに答えていった。


「今回のお薬代と治療費のお礼です。お受け取り下さい」


 そう言葉にして差し出す小さな袋を、イリスが受け取る事はなかった。

 彼女はお金が欲しくて診察したのでも、薬を作ったのでもない。

 幸い、軽い病気で事無きを得た訳だし、珍しい素材も使う事が出来たイリスにとって、それ以上の報酬を貰う事など出来るはずもなかった。


「私達が勝手にした事ですので、どうぞ本当にお気遣いなく」


 ですがと言い渋る二人に、イリスは笑顔一杯で気持ちを伝えていく。


「珍しい素材を使って、知識の中にあるだけのお薬を作る事が出来たのが、薬師としての報酬は十分ですので、これ以上はもう受け取れませんよ。

 それに重い病気じゃなくて、本当に良かったです」


 笑顔を一切崩す事無く答えていくイリスに、エッカルト夫妻は心からの感謝を込めて、再びお礼を言葉にしていった。



 "エッカルトズ・アロマティクス"を離れていくイリス達。

 空には星が輝き始めているような頃合いのようで、まだ夜とも、そして夕方とも言えないような時間帯だった。


 空にある星を眺めながら歩いていたイリスに、仲間達の優しい声が響いていく。


「何事もなくて本当に良かったですわね」

「そうですね。もしかしたらと内心では不安でしたが、イリスちゃんが治す事が出来る病気で安心しました」

「もっと怖い病気もありますし、治す事が出来ない病気だって一杯ありますから、そういったものじゃなくてホッとしてますよ」

「でも今回はイリスじゃなければ、きっと風邪だって診断しているだろうね。

 それだけでも十分に凄い事だったよ」

「うむ。エッカルト殿でも気付かなかった病気だったからな。

 見分け難いだけでなく、一般的には知られてもいない病気を見つけたイリスの手柄が、とても大きいと思うぞ」


 怖い病気じゃなくて良かったとイリスは答えているが、問題はそこではなく、並の薬師では知られていないような病気の知識をも彼女が持っている事そのものが重要だと、ヴァン達は思っていた。

 これが意味するところは、どんな些細な病気であれ、見つけ出して治療出来るだけの力があるとも言い換えられるのではないだろうか。


 当然イリスは女神などではなく、人よりも少々特殊ではあるが普通の人である。

 その出来る事にも限外があり、真の言の葉ワーズ・オブ・トゥルースであっても、人の病気を治療するような凄い力はないと言葉にした。


 それもそうだろう。

 この力はレティシアが、本来の言の葉(ワード)を"想いの力"と合わせて作り上げたものに過ぎない。

 確かにこの力は、今現在で使われている言の葉(ワード)とは比べ物にもならないほど強大なものだし、その応用力も途轍もないほどあると言えるほどの凄い力ではあるが、魔法である事に違いはなかった。

 "想いの力"を合わせているので厳密に言えば魔法ではないが、基本を魔法にした上で強化させた複合技術である以上、魔法で出来ない事はたとえ真の言の葉ワーズ・オブ・トゥルースであったとしても実現は不可能だ。


 その代表例として言えるのが、病気を治療する事だろう。

 幾ら"想いの力"で強く想ったとしても、病気を治す事など出来る訳がない。

 それがたとえ軽い風邪であっても、それを治療する事は不可能だった。


 これはレティシア達の前任者である歴代のエデルベルグ王室魔術師達が、何百年という長い歳月をかけて研究するも、その全てが成功に導く事はなく、レティシアの代でも同じように研究は行われてきたが、実を結ぶ事はなかった。

 その後のレティシアが"想いの力"を更に研究し続け作り上げた、イリスが言うところの真の言の葉ワーズ・オブ・トゥルースであっても、病気を治療する事は不可能であるとの結論を出してしまっている。


 その研究結果とこれまでの知識を含む研究成果の全ては、イリスに託された知識に含まれている為にそれを知る事が出来たイリスだったが、それは同時に、凄まじい力を秘めた真の言の葉ワーズ・オブ・トゥルースであったとしても、その出来る事に限界があるのだという事を理解させられるものとなっていた。


 そもそもそんな事が出来るのは、本物の女神様だけではないだろうか。

 それこそ本当の"奇跡"と呼ばれるようなものなのではないだろうか。

 手を(かざ)すだけで全ての病を治してしまえるあのひとのように、女神とはきっとどんな奇跡でも起こせてしまうような、人々から愛されるお方なのではないだろうか。


 そんな事をイリスは、ニノン中央に向かう途中の道で仲間達へ話していた。


「人ひとりが出来る事など、本当に極々小さなものなのではないかしら。

 だからこそ人は、自分とは違う誰かと手を取り合い協力する事で、より前へと歩いて行けるのではないかしら。

 それは考えが違う方とも、手を取り合える事が出来るのかもしれませんわね」

「そうですね。姉様の言う通りかもしれません。

 私達に出来る事は、自分の出来る事を精一杯努力する事くらいでしょう。

 それでも人は互いに協力し、手を取り合う事で、より良い未来を創っていけるのではないでしょうか」

「その中で私は、手を差し伸べられる私でいたいです。

 人を救うのではなく、転んでいる人に手を差し伸べて支えてあげられるような、そんな人に私はなりたいです」

「それは簡単な事のように思えて、その実とても難しい事なのかもしれない。

 だがきっと、強く願い、前に進み続ければ叶うかもしれないと、俺は思う」

「誰かの為に生きる事ではなく、誰かの支えになれる自分でありたいと強く想い、それを心がけて前に進んでいれば、きっとイリス達なら現実に叶える事が出来る気がするよ」


 素直に思えるヴァンとロットだったが、イリスだけでなく、シルヴィアとネヴィアがいればフィルベルグは安泰だと思えるような存在に、彼女たちはなりつつあった。

 同時にそれを隣で支えてあげたいと、ささやかに願うロット。

 彼もまた、王族の一人となるのだから、そんな二人をしっかりと支えてあげたいと心から思っていた。



 思えば今日は、内容としてはそれほど大した事はしていない。

 だが、ニノンに着いてたったの半日で、とても深く考えさせられたイリス達。


 この旅は女性達にとって、いや、ヴァンとロットも含め、とても良い経験が出来ている気がしたイリス達だった。

 冒険者として世界を周るだけでは、これほどの経験を得る事など絶対にないと断言出来るだろう。


 それほどまでに濃密とも言える体験の数々をイリス達はしていた。

 エデルベルグでの事もノルンでの事も、エルマでの事もアルリオンでの事も、そしてこのニノンでの事も。

 ただ世界を巡る旅であったのなら、こんな経験はまず出来なかっただろう。


 それぞれ違う想いや考えを心に秘める中、イリス達はそれらを言葉にする事はなかったが、心の奥底ではここにいる仲間達が居てくれるから体験出来る事なのだと、各々が同じような答えに辿り着いていたようだった。


 空に浮かぶ一番星がキラリと小さく瞬くのを見つめながら、イリスは大切な仲間達と共に、もうひとりの大切な仲間の元へと歩みを進めていった。


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