"気になる一言"
店を構えている隣の部屋となる、調合部屋へとヘルタに案内されたイリス達。
行ったり来たりと、三度この部屋を通り過ぎていたが、器材や薬瓶までしっかりと見ていなかったイリスが訪れた四度目となる今回、その充実した器材の豊富さと、清潔さを保つ行き届いた清掃をしている事が、ほんの少し注視するだけで見て取れた。
造られた薬品もそれに必要な素材も、そしてそれを作る為に使う器材も、その全てが丁寧に整頓されて置かれているようだ。
それはまるで、この部屋の使用者の性格を表しているかの様に思えたイリスだった。
「通り過ぎていた時は気付きませんでしたが、とても分かり易く薬品や素材を置いて、丁寧にお部屋を使っているのですね」
「私も含め、主人は几帳面ですので、こんな感じでお部屋を使っているんですよ」
なるほどと笑顔で言葉にするイリス。
丁寧に手入れをされた器材や、素材の入った瓶の順序を含む置き方から見ると、エッカルト夫妻はとても几帳面である事は聞かずとも伺えたが、イリスが気が付いたのはそれだけではなかった。
そこには当然、彼らの性格が大きく関わっているのだが、それだけではなく、エッカルトに技術を教えた師が影響しているのだろう。
レスティも言っていた事ではあるが『薬師の腕は調合部屋を見るだけで伺える』という言葉が、薬師の間で言われているくらいだ。
とても繊細な薬剤の配合をしなければならない場合がある薬師にとって、几帳面さや丁寧さは必要不可欠なものだと言えるだろう。
ほんの少しでも、それこそ小匙どころか、一つまみでも素材を入れただけで、その効果は劇的に変わってしまう薬も中にはあるのだから、大雑把な者になど薬師は務まらない。
言い得て妙ではあるが、確かに調合する場所を見るだけで、様々な事が見て取れる事は間違いないのだとイリスは感じていた。
それをエッカルトは師から、しっかりと基本を学んだのだろう。
中には薬学と調合学の初歩的なものを教えるだけで、そのまま野に放つ者も世界にはいると聞く一方で、彼の師はとても立派な方である事が手に取るように理解出来たイリスだった。
そして薬の完成品の種類の多さ、説明書きや置き方を含む分かり易さから察すると、エッカルトの師は自ずと導き出されていく。しかしこれはあくまでも、噂に聞いた程度の知識から察した事ではあるのだが。
「……もしかしてエッカルトさんのお師匠様は、アルリオンのハヴェル・メルカさんでしょうか?」
その答えを発したイリスに驚き、目を丸くするヘルタは言葉を返していく。
少ないと思える情報の中で、ハヴェルの名を口に出す事に驚きを隠せなかった。
「ええ。主人はハヴェル・メルカさんに師事していると伺っていますが、お部屋を見ただけでそう思えたのですか?」
「はい。でも、あくまでも可能性だけの推察ですので」
そう言葉にするイリスだったが、ある種の確信を持って答えていたようだ。
これだけ丁寧に薬の保管や清掃を徹底させる者は、そうはいないと思われた。
そしてこの部屋に置かれた薬の種類の豊富さ。
これだけの種類は、並の薬師では作れないだろうとイリスは考える。
それこそ、ありとあらゆると言えるほどの薬が、ずらりと棚に仕舞われていた。
これだけ作れる薬師が一流ではない筈などない事は一目瞭然ではあるが、イリスはそれだけで判断したのではなかった。
「それにヤロスラフ病の存在や治療法、そして治療薬となる素材である"褐色キイロタケモドキ"も、エッカルトさんはご存知でした。
これらは本来、並の薬師では知り得ない知識だと教わっていますから、それだけの知識と技術を持つのであれば、間違いなく一流の薬師である事が分かります。
であれば、それだけの事を教えて下さった方は、相当の薬師だと思えたんです。
そしてこのお部屋とエッカルトさんの知識とお人柄から、お会いした事はありませんがハヴェルさんが一番しっくり来た、という訳です」
笑顔で淡々とイリスは話していくが、どうやらヘルタもその言葉に、彼女もまた並の薬師ではなく、一流を超えた者に師事しているのだと確信を得たようだ。
そんな事を考えていると、ダイニングへと向かう扉ががちゃりと音を立てながら開いていき、入って来た人物にヘルタは心配しながら言葉を投げかけていった。
「エッカルト、起き上がって大丈夫なの?」
「ああ、問題ないよ。この病気は本当に大した事はないんだ。イリスさんの仰った通りの症状しか出ないと言われているし、何よりも珍しい素材を使うのだから、この目で是非見せて貰いたいと思って、居ても立っても居られなくなったんだよ。そんな時に横になっているなんて、勿体ないじゃないか」
おもちゃを貰った子供のように目を輝かせるエッカルトに、ヘルタは仕方のない人ねと言葉にして少々ため息を吐いてしまった。
「でもエッカルトさん、体力的には普段よりも落ちていると思いますので、ご無理をならさないで下さいね?」
「ええ! 勿論ですよ!」
イリスの問いに元気よく返事をする彼の関心は、既に"褐色キイロタケモドキ"へと向けられており、思わず苦笑いをしてしまうイリスとヘルタだった。
調合台となる場所には椅子があり、それを使わせて貰うイリスは、目の前にある作業台にキノコを静かに置いていくが、その様子を見ていたシルヴィアはイリスへと尋ねるも、どうやら彼女もまた興味津々のご様子だったようだ。
もしかしたら好奇心旺盛なシルヴィアも薬師向きなのかもしれないと考えながら、イリスはそれに答えていった。
「それで、そのキノコをどう使うんですの?」
「えっとですね、"褐色キイロタケモドキ"の大部分は使えないキノコなんです。
使うのはここの紫色をした斑点の部分で、これをくり抜いてお薬に使うんですよ」
折角エッカルトが傍にいるので、目の前にある小皿を使ってもいいですかと尋ねるイリスに、彼は快く許可を出してくれた。
作業台に置いてあるナイフをお借りして、キノコの柄の部分を切り取り、横に除けていく。斑点の部分を直角にナイフを入れ、斑点を傘から丁寧に切り離していき、円柱となった素材を横にしてシルヴィア達に見せながら言葉にしていった。
「このように切り取ると、目に見えて素材の変化に気が付くと思います」
「……紫色が、途中で白くなっていますわね」
「これがこのキノコの特徴であり、この紫色の部分だけお薬として使えるんですよ」
イリスが言葉にした通り、このキノコの斑点の部分以外は使えない物となる。
見た目とは打って変わって食せない訳ではないのだが、えぐみがとても強く、美味しくもない上に栄養価もないと言われているそうだ。
ヤロスラフ病の治療薬にしか使えない素材ではあるものの、そもそも珍しい病気である為に、素材はキノコひとつで十分に治療薬を作れる効率の良さも目立つ。
そしてこの斑点の全てが使えるので、これ一本だけあれば相当の治療薬を作る事が出来るのだとイリスはシルヴィア達に話していった。
「これを全て切り取って乾燥させ、瓶に入れておけば、必要となった時に使える素材として保存が可能となります。
とは言え、とても珍しい病気ですし、何よりも命に関わるような重大なものでもありません。病気の影響もそれほど大きなものとは言えませんし、自然治癒もしてしまう病気でもありますので、あくまでも知識欲の一環として学ぶ薬師さんが多いそうですよ」
要するに、放っておけば治ってしまう薬に需要が低い上、ヤロスラフ病と知らず風邪が長引いていると思ったまま完治してしまうものなのだとイリスは語る。
そんな病気に対する治療薬など売れるはずもなく、また病気を知っていたとしても、作れる者を探している間に完治してしまう為、病名と共にその存在が次第に忘れられてしまっているのだそうだ。
この病気を知っている薬師は、恐らく今現在では世界に十人と居ないのではないでしょうかとイリスは言葉にした。
続けてエッカルトも、恐らく世界にいる最高峰の薬師四名と、その弟子の中でも特に優秀と思われる薬師だけに教えているのだと思いますよと答えていった。
二人の話になるほどと納得する様に言葉にする、ヘルタを含むシルヴィア達だった。
ここへ来る途中の厩舎でエステルに話した『食べても大丈夫』という言葉の意味を理解する事も出来たヴァンとロットだったが、少々気になってしまう事で頭が一杯になっていた。
イリスは言葉にしていた。『食せない訳ではない』と。
えぐみや味、栄養価まで知られている素材という事はつまり、それを食した者がいたという事になるのだが、あんなとんてもない異彩を放つキノコを食べようだなど、一般的な人間は絶対にしないだろう。
いや、正気すら疑われたとしても、それは仕方のない事だと言えるだろう。
たとえ食べ物が尽きた状態で森を彷徨っていたとしても、そしてそれがどんな空腹な状態で、何かを食べなければ命に関わる状況だったとしても、あんなものを食べようだなどと思う事など、本当にあり得るのだろうかと思えてならない彼らだった。
あの見た目では、そう思えてしまうのが自然ではないだろうか。
寧ろ、食べてしまえば悪影響が出ても仕方がないと思えるのではないだろうか。
これを食した者は、一体どんな極限状態だったのかと真面目に考えてしまっていると、どうやらイリスは使う素材を切り分け、調合する準備を終えたようだった。




