"遠いあの日"
眷属についての情報量が少な過ぎたとアルエナは語る。
その能力も、その特性も、そして何よりその容姿も、知らな過ぎたと。
情報量が少ない状態で戦わなければならなかったあの現状では、思わぬ例外が起こり過ぎたのだ。
眷属の強さを過小評価し、魔獣を大量に出現させてしまい、尚且つフェルディナン王を前線に送ってしまった。
真っ青な表情でティーテーブルを見つめながら聞いていたイリスだったが、最後の言葉にゆっくりとアルエナを見てしまう。
言葉にして聞こうとするも、上手く口にする事が出来ない彼女へ、アルエナは説明をしていった。
「イリスさんが何を仰りたいのか、理解しているつもりです。
フェルディナン王を前線に送った事が、間違いであったと私達が痛感されたのは、彼が眠りに就いた後の事となります」
戦況は泥沼の一途を辿る一方で、アルエナ達は戦力を結集させる事が出来た。
これも偶然によるものだと後に知る事になるのだが、それでも、入り乱れるような戦況の中、最大戦力と思われる者達を全て集結する事が叶ったのは、幸運だったと言えるだろう。
アルト・アルチュール、エリオット・リンスレイ、レジナルド・グレイディ、
ルーファス・アルバーン、トラヴィス・アドラム、アンネッタ・デルミーニオ、
ルアーナ・レーニ、メルン・オリヴァー、レベッカ・アリプランディ。
ここにアルエナとレティシア、そして彼女の連れであるエルヴィーラ・バルシュミーデとクレスツェンツ・ケルヒェンシュタイナーを合わせた十三名で、眷属討伐に向けて進軍していった。
アルエナの言葉にするその名に驚き、目を丸くしてしまうイリス。
それもその筈だ。その名を知らぬ者等いないと言えるほど有名人の名前が並ぶ。
思わずぽつりと言葉に出してしまうイリスだった。
「ミスリルランク冒険者……」
ミスリルランク冒険者は、この世界で知らぬ者はいないと言い切れるほど有名な存在だ。
ここにエルヴィーラ・バルシュミーデとクレスツェンツ・ケルヒェンシュタイナーの二人は入っていない。彼女達の記録は残っていないので、恐らく二人は冒険者ではないのだろうとイリスは思っていた。
この二人の名は魔法書の著者、そしてレティシアの友人として知っていたイリスだったが、まさか眷属討伐にまで関わっていたとは流石に思わなかった。
先に名を出した九名の者達が、ミスリルランク冒険者と言われる存在だ。
彼らが残した逸話は様々あるのだが、中でも取り分け有名なのは、彼らが討伐したという伝説級の危険種との戦いだろう。
大きな翼が生えた巨大蜥蜴であるドレイク、白銀のウォルフのような巨大狼フェンリル、双頭の犬の怪物オルトロス、大鷲の頭と翼を持つ大獅子グリフィン、二足歩行の大狼ウェアウルフ。
どれもこれも、本当に存在していたのか疑問に思ってしまうほどの、異質な存在を討伐したという伝説の冒険者だと言われている。
これは子供達に大人気の絵本にもなっているほど有名な話で、今現在の世界で知らぬ者はいないほど浸透した英雄譚のひとつとして、今も尚語り継がれていた。
この話を子供の頃に親から読み聞かされた子は、彼らの英雄譚に目を輝かせながら憧れ、いつかは自分も冒険者にと思い焦がれる者も多いという。
当然、ある程度成長すれば、そんな話など作り話だと思うのが自然ではあるのだが、伝説上の人物と言われているミスリル冒険者が、まさかレティシアやアルエナがいた時代の人物だったとは、流石にイリスも思っていなかったようだ。
そして彼らが実在しているのであれば、もしかしたら語り継がれている話も、あながち作り話とは言い切れない気がしてきたイリスだった。
「八百年もの年月が経っているのに、未だ彼らの名は残っているのですね」
「現在でもその名は、子供でも知る名となっていますよ」
「そうですか。アルトやルアーナが聞いたら苦笑いしそうですね」
とても嬉しそうに言葉にしたアルエナ。
続けて彼女は彼らについても話をしてくれた。
「彼らは私を含め、レティを中心として集まった仲間達であり、大切な友人達であり、同志達でもあります。彼らとであれば安心して命を預ける事が出来る、そういった掛け替えのない存在でした。
そして、眷属と対面した時、私達はフェルディナンを行かせるべきではなかったと痛感しました」
それは眷属の容姿が彼を惑わしたのだと、アルエナは悔しげに語った。
彼もまた、アルト達と同じくレティの力を託された者である為、並大抵の事では負ける事はない。たとえそれが、眷属と一騎打ちという形であったとしても、だ。
そうそう簡単に負ける筈のないほどの力を、彼は有していた。……なのに。
「周囲にいた生存者の話では、彼は眷属を見て、一瞬だけ硬直してしまったそうです。それが仇となり、致命傷を負わされてしまったのだと報告を受けました」
アルエナは暫く時間を置き、眷属の姿をイリスに話していく。
それを聞いたイリスは驚愕しながら、血の気が引いていった。
「眷属は、真っ直ぐ伸びた金色の髪で痩せ型の、十五、六歳くらいの女性でした」
続けて彼女は言葉にする。
最初から私が出ていれば、そんな事にはならなかった筈だと。
幾ら眷属が若い女性だろうが、華奢に見えていようが、多くの人達を、多くの国を滅ぼした存在以外の何者でもないと。
アルエナは悔しくて悔しくて堪らない。
フェルディナンでなければ、きっとこんな事にはなっていなかった筈だと。
彼女は右手を額に当て、片目を覆うようにしながら静かに言葉を発していく。
「……幾ら出逢った頃のレティに似ていようが、眷属は眷属です。
フェルディナンの想い人はしっかりといる筈なのに。……それなのに」
何百回と考えても未だに悔やまれる。
自分が出ていれば、あんな悲しい事にはなっていなかった筈だと、そう思えてならないアルエナだった。
* *
お茶を一口飲んだアルエナは、話を続けていく。
「次は、そうですね……。アルリオンの話をしましょうか」
そういった彼女は随分と落ち着いた様子で、辛そうな表情が柔らかくなっていた。
「無事に眷属を斃す事が出来た私達は、各々状況確認の為に解散しました。
とは言っても、帰る故郷を失った者達もいましたので、まずは残った者達で、近場のレグレス王国の確認へと向かって行きました。
王国に残っていた生存者の救出を主としたものではありましたが、とてもいるとは思えないほどの惨状でした。誰もそれを口に出す事はありませんでしたが、生存者がいないと確信してしまうほど、何も残っていませんでした」
そして彼女は語り出す。
今はもう遠い、あの日の事を――。
* *
アルエナ達の眼前に広がる何も無い荒野。
いや、荒野ですらない、何も無い大地。
空しく砂埃のみをあげるそこは、とても寒々しく、そして悲しみで溢れた場所となってしまっていた。
だが不幸中の幸いで、エデルベルグのように住民の避難を済ませた後だった為、大きな被害は勇士のみとなったが、それでも帰らぬ家族を悲しむ者で溢れ返っていた。
いや、悲しみなどという生温いものではなかった。
声を張り上げなければ届かないような離れた距離であっても、それが手に取るように理解出来てしまった。
理解出来るからこそ、アルエナ達はその場で足が完全に止まってしまっていた。
人々の瞳からは光が完全に失われ、生きる希望などまるで見出せない姿のまま、地面に力なく座っていた。それは悲しみなどでは断じてない。
あれは絶望だ。
残された人々は、生きている事を喜ぶなど出来る訳もなく、明日への不安なども一切なく、ただただ絶望し、嘆いていた。
生きる意義を見出せず、生きる事も放棄してしまっていた。
そんな感覚ですら、全く持ち合わせていないのかもしれない。
それだけの爪痕を軽々と残していったのだ。たったの一人の存在が。
立ち竦むアルエナ達の元へ一人の女性がやってくる。
ナチュラルブラウンのロングヘアを横に束ねて三つ編みにし、百七十センルという女性にしては大柄な身長、けれど体格はとてもほっそりとした美しい女性だ。
少々目付きは鋭くなってしまっているが、こんな状況なのだからそれも仕方のない事だろう。
女性はアルエナ達に近付くと言葉にする。
それはとても澄んだ声色で、彼女の瞳は明らかに座り込む者達とは違っていた。
美しく、凛とした姿勢で言葉を放つ彼女の声は、意志を感じさせる強さを秘めたものだった。
「無事で何よりだわ。でも現状は最悪よ。このままでは更なる犠牲者が出てしまうわ」
そう言ってその女性は、生存者達が無気力に見つめる、何も無い場所へと指を指し、はっきりとした口調で言葉にしていった。
「見なさい、この現状を。眷属一人が全てを薙ぎ払ったこの惨状を。
そして人々は絶望し、生きる意義ですら見えなくなってしまっている。
このままでは良くないという事は、貴女にだって分かるわよね?」
「……そうね」
何もなくなってしまった大地を見つめ、力なく答えるアルエナ。
本当に何もなくなってしまった。国も建物も、農地も、木どころか草でさえも。
だからこそ残されたレグレスの民は、生きる気力を失ってしまっている。
そして女性はとんてもない内容を含んだ言葉を発していく。
「アルエナ、貴女、女神になりなさい」
余程疲れていたのか、幻聴が聞こえたアルエナ。
やはり相当無理をしていたと感じた彼女は、しっかり休まないとダメねと考えていると、更なる言葉がその場に響いてきた。
「アルエナ、貴女、女神になりなさい」
全く同じ口調、同じ言葉がアルエナに襲い掛かる。
どうやら本気で休まねばならないと冷静に考えていたアルエナだったが、その言葉が真実である事を示すように、彼女の言葉に返事をしてしまった者がいた。
「……なるほど。中々面白いわね」
「でしょう?」
「れ、レティ? 何を言っているのかしら……」
苦笑いをしながら頬を引き攣るアルエナへ、レティシアではなく女性が言葉を返していく。
「だから言っているでしょう? 貴女は女神になるのよ」
「な、何言っているのか、まるで分からないのだけれど……」
仕方のない子ねと言葉にする女性に、同い年に言われたくないわと、こめかみを抑えながら反論してしまうアルエナは、続けて言葉にしていった。
「……一体貴女が何を言っているのか、まるで理解出来ないわ」
「だから女神になるのよ。そして人々を正しい方向へと導くの」
「私に女神だと僭称させるの? 一体何故……」
「言ったでしょう? 人々に道を標す為よ」
「それは聞いたわ。私が聞いているのは、何故、私が、しなければならないのと聞いているのよ。アルルがすればいいじゃない」
「私にはやるべき事があるから無理よ。それに貴女の見た目がぴったり合うのよ」
強調させて尋ね返すも、即答されてしまった。
どうやらもうアルルの頭の中では、様々な案が決められていっているようだ。
そして悪い事に、レティシアもそれに乗り出してしまった。
「……いいわね。ううん、かなりいいわ。安定させてしまえば人々を救うだけではなく、今後の抑止力にも繋がるかもしれない」
「あら、面白そうね。じっくりとレティシアの話を聞きたいところだけれど、まずは場所の確保よね。……確かレグレスの東には、小さな集落があったわね」
「そうね。西となると少々遠いから、東の集落がいいと思うわ」
二人で話が決まっていく姿に、ぽかんと呆けてしまうアルエナ。
難民となってしまった者達を引き連れ、一路東へと進んでいく。
かなりの先頭を歩くレティシアは、アルルの話を真剣に聞いていた。
その後ろをとぼとぼとアルエナは付いていくが、何やら二人から醸し出す不穏な気配を感じ、身震いしてしまう。
「あはは……。ああなったらレティも止まんないよ」
「……諦めた方がいい」
ぽんと優しく両肩に添えられる二人の手に、無性に涙が込み上げてくるアルエナは、エルとクレスに慰められるように、東の集落リオンへと向かっていった。




