"再会と報告と"
若干だけ落ち着きを取り戻したヨンナによって、ギルドマスターの部屋へと案内されたイリス達一同。
三人しか座れないソファにイリスとシルヴィア、ネヴィアが座らされてしまう。
疲労だけでなく、心労も溜っているノーラとイザベルに座って貰おうとするも、命の恩人を差し置いて座るなど出来ないと、断固として拒否をされてしまい、借りて来た猫のようにちょこんと座る三姉妹だった。
そのまま戸惑うイリス達を強引に座らせたまま、タニヤの到着を待っていた。
少し前にタニヤとディルクを呼ぶ為に、ヨンナが孤児院へ慌しく向かっていったが、子供達を刺激しないようにと、朝ごはんを食べ終え、子供達が外で遊び出したタイミングでディルクに話しかけて連れて来るので、少々待たせて貰っている。今はそんな状況だ。
待っている間は魔物の話ではなく、他愛無いエルマの話やディルクの話で盛り上がる一同。不思議と疲労感を忘れられたイリス達は、話に花を咲かせていった。
楽しく話をしていると、タニヤがギルドに到着したようだ。
部屋のソファに数歩だけ歩み寄った彼女は、彼らの姿を見つめながら何も言葉に出来ず、ぺたりとその場に座り込んでしまう。彼女の名をイリスが呼びかけようと口を開くと、小さな声が部屋に響いていった。
「……父さん……母さん」
そこに立っていたのは、可愛らしくも強い少年。
彼を見たドミニクとイザベルは同時にその名を呼んだ。
「「ディルク!!」」
急いで駆け寄り、二人で少年を強く強く抱きしめる。
両親が無事に帰ったことに頭が回らず、戸惑いの方が強かったディルクだったが、その温もりに安心したように、ぼろぼろと大粒の涙を零してぎゅっと抱き返していく。
そんな彼が言葉にしたのは、両親にではなく、別の者に対するものだった。
言葉にすらならない、引き攣るような震える声を出しながら、少年は一人の女性に言葉にしていった。
「……おね、えちゃん……あり、ありが、とう……」
「うん。どういたしまして」
満面の笑みで返すイリスは、とても幸せそうな表情をしていた。
* *
落ち着きを取り戻した彼らに安堵しながら、タニヤは額に両手を当てながら言葉にする。
「……本当に良かった。まさか彼らの捜索にまで力を貸して頂けるなんて、本当に何とお礼を言っていいのか分からないくらい、イリスさん達にはお世話になりっぱなしね」
「いえ。私達が好き勝手に動いただけですから」
「……お姉ちゃん」
その言葉にディルクの方を向くイリスは、なぁにと笑顔で尋ね返すイリス。
「……あの、依頼料なんだけど、今は、その……。持って、なくて……。
でも! 俺! 必ず返すから! 何年かかってでも絶対返すから!」
一瞬ディルクが何を話しているのか分からなかったイリスだったが、何かに納得した様子になりながら、優しき少年に言葉を返していく。
「えっとね、ディルク君。私達は、ディルク君の依頼を受けて動いたんじゃないんだよ」
「……え?」
きょとんとしてしまうディルク。
でも確かにあの時依頼をしたと認識しているディルクだったが、そう思っているのはどうやらディルクだけのようだった。
これに関してはドミニクとイザベル達にも説明しているが、ここでもはっきりと告げた方がいいと判断したイリスは、ディルクの目を真っ直ぐ見ながら説明をしていく。
「冒険者の正式な依頼は、ギルドに依頼者が訪れて依頼書を出し、ギルド側が受理したものでなければいけないの。私達はあくまで、ディルク君の"お願い"を聞いただけで、これは正式な依頼ではないの。だからここに依頼料や謝礼金などのお金は発生しないのよ。ディルク君はお金を払う必要なんてないの」
「……でも」
ディルクの気持ちが伝わるようで嬉しくなるイリスだったが、これもしっかりと伝えた方がいいと思い、言葉にする。
「それにもう、報酬は貰っちゃってるんだけどね」
「……報酬? 俺、何にもお姉ちゃんに渡せてないよ?」
申し訳なさそうに答える少年へ、イリスは満面の笑みで答えた。
「"ありがとう"って言って貰えたよ。凄く嬉しかったよ。あんなに素敵で嬉しい言葉を聞かせて貰えたんだもの。それで十分だよ」
目を丸くしてぽかんと呆けてしまうディルク。
優しく微笑む美しい女性を、温かい気持ちで見つめる一同だった。
彼女が発したその言葉は、まるで自分自身にも言われているように嬉しくなり、優しく温かな気持ちになれた一同は、とても不思議な感覚を感じていた。
それを言葉に出す事はなかったが、イリスに神秘的な魅力を感じるような気持ちになる一同だった。
それは彼女と出会って月日が経つシルヴィア達も、同じ気持ちを感じていた。
日に日に増しているようにも思える、文字通りの"愛の聖女"を連想させてしまう彼女の慈愛精神とも呼べるものに、まるで陽だまりのような居心地の良さを感じてしまっていた。
今ならば彼女が"愛の聖女"なのだと言われても、納得してしまう気がするシルヴィア達だった。
* *
暫し時間を挿み、再会を喜んでいた彼らだったが、これから大切な話があるという事をディルクに伝えると、彼の方から言葉にした。
「じゃあ俺、家に帰ってるよ」
「ありがとな、ディルク」
「いい子で待っててね」
「うん」
「必ず家に帰るから、そうしたらいっぱい話をしよう」
「お昼はみんなで食べましょうね」
「うん!」
笑顔でそう言ったディルクは、元気に部屋を後にしていった。
彼と一緒に家路に着いても良かったのでは。そう言葉にするイリスだったが、彼らは冒険者である以上、報告をする義務がある。特にドミニクはリーダーだ。個人的な理由で報告が遅れることは避けるべきだと言葉にした。
「……相変わらず真面目だな、ドミニクは」
思わず言葉にしてしまうアウレリオだった。
そもそも報告とは言っても、イリスの言葉の裏付け程度でしかない。
それを咎めるような者など、この部屋には誰一人としていないし、寧ろ一緒に帰ってあげた方がとも思っていたが、それを口に出すことを控えた一同は彼の真面目さに苦笑いをしてしまっていた。
どうやらイザベルも彼と同じ気持ちのようで、それはそれですと、ドミニクの言葉の補足をするように付け足していった。
「……似たもの夫婦って、こういう事なのかしら」
頬に手を当てて、苦笑いをしながら少々困ったように呟くノーラだった。
「それでは報告をお願い出来ますか、イリスさん」
タニヤの言葉に真剣な表情に戻しながら、イリスは説明を始めていった。
その内容は彼女を驚愕させるだけではなく、言葉すら失わせてしまうとんでもない内容となるが、まずは彼らの救助と、その存在と遭遇した事についての報告から入るイリス。
襲撃してきた存在の説明をすると、あまりの衝撃で大きく声を上げながら、タニヤが反応を示してしまう。
「もう一匹の――!!?」
慌てて自身の口を押さえるタニヤ。
早朝とはいえ、他の冒険者がいるかもしれない。
ここはすぐ近くに受付が設けられている小さなギルドだ。大きな声でも上げようものなら、確実に受付にまで響き渡ってしまうだろう。
明らかな動揺を見せてしまうタニヤだったが、それも仕方がない。
そんな存在がぽんぽんと出られては、小さな街のエルマなどひとたまりもない。
だがそれよりもまずは、イリスの言葉であっても信じられない、いや信じたくないような事であった。
気持ちを強引に押し込め、タニヤはイリスに聞き返していく。
「……本当なの?」
「はい」
短く答えるイリスに、驚愕の表情を浮かべてしまうタニヤ。
彼女の報告が偽りだとは微塵も思わない。
しかしそれを信じたくない自分が、確かにそこにいる。
そんな複雑な心境の彼女は一度深く深呼吸をして、ぽつりと呟くように言葉にした。
「正直な所、とても信じられないけれど、あなたが言うのだもの、本当のこと、なのよね?」
「俺達もそれを確認している。確かに一匹目とは別の場所でそれと遭遇した」
その名を口にするのもおぞましく感じたドミニクは、名を伏せて答えてしまう。
本音を言えば、トラウマになってもおかしくない、二度と遭いたくもない凶悪で恐ろしい存在だった。
「なんて、ことなの……。一体何が、どうなってるの……。こんな事例、今まで起こった事もないわ……」
「タニヤさん。もうひとつ、悪い報告をしなければなりません」
戸惑いながら頭を抱えるタニヤだったが、イリスが報告すべきなのはそれだけではない。真剣な面持ちで言葉にするイリスに、タニヤの心臓が跳ね上がっていく。
だが二匹目のギルアムが出現したこと以上に悪い話など、正直あるとは思えないと考えてしまうのも仕方がないだろう。
しかしタニヤは、イリスの言葉に凍り付くことになる。
そしてそれは、エルマを拠点にしているドミニク達も同様だった。
「二匹目のギルアムは、一匹目のそれとは明らかに違う強さでした。強い、などとは言えないほどの、凄まじい存在だったと断言出来ます。
攻撃力、耐久力、敏捷性、判断能力。どれをとってもギルアムと名称していいのかですら私達には分かりません。それ程の凶悪な強さでした。
更には魔力による身体能力向上を行い、魔力を帯びた共鳴波や、物理的に影響がある咆哮での攻撃も繰り出していました。
これは一年半前、フィルベルグを襲った"眷属"と同じものと思われます。文献や人伝に言われていた、黒い靄のようなものはありませんでしたが、その強さは相応のものではないでしょうか」
視線をヴァンの方へと向けたイリスに、先輩二人は答えていった。
この中で二人だけがそれと臆せずに対峙し、勝利を齎してくれた。
「うむ。あの強さは眷属のものと思われる」
「そうですね。問題は、あれほどの強さの存在が、たったの一年半で出現した事の方だと思うよ」
ここで彼らは、表現を抑えた言い方をする。
人によっては虚偽の報告とも思えることだろう。
しかしそれを説明したところで、恐怖心を煽るだけになってしまう。
対処法など存在せず、恐らくイリス達にしか対処出来ないのだから、とてもではないが言葉にする事など出来なかった。
正確に言うのならば、イリスの知っている者の中では、エリーザベトと、ルイーゼ、ヴィオラ以外には難しいと思える。
恐らくではあるが、国王であるロードグランツや、ネヴィアの師であるリーサ、そして充填法を学んだ嘗ての討伐組冒険者だけだろう。
討伐組についてはイリスは知らない事ではあるが、彼らは全てフィルベルグに集中して存在してしまっている事も問題になるだろう。
ラウルのチームに限って言えば、フィルベルグからリシルア方面にあるシグルや、その一つ先の街までは頻繁に訪れているが、世界中を旅している訳ではない。
その技術を使えるのがたった一人であっても、眷族と呼ばれている"魔獣"一匹なら倒せるだけの実力は既に持っていた。
だが問題は、それですら通用しなかったという点が、非常に厄介となる。
ヴァンがギルアムの頭部を狙ったあの攻撃は、充填法ではない。
あの技術はレティシアの時代では初歩的な魔力の使い方であり、それすら使えない者は、当時の世界では兵士にすらなる事は出来ない。
"眷属事変"で使われたのが充填法であった為に倒すのに時間がかかったと、充填法について勉強をし、修練をし続けた今現在の彼らには十分に理解していた。
しかし、ヴァンが使っていたのはそれではない。
その技術を修練し昇華させた、強化型魔法剣だ。
練度も威力も、充填法などとは比較にならないほどの威力を秘めたものであり、その一撃を更に獣人であるヴァンが、本気で打ち込んだ凄まじい攻撃だった。
急所に当たれば確実に倒せる。
そう確信出来るほどのものだった事は、まず間違いない。
だがあのギルアムには通じなかった。イリスが魔法で弱体化させた状態で、だ。
まだ仲間達にも説明は出来ていないが、あの魔法を受けた者は極端に耐久力が落ちるものであり、更にブースト封じを使った上での攻撃だった。
それを防御されたことに、誰よりも驚いたのはイリスだ。
レティシアの知識を授けて貰っている彼女は、それがどういう意味を持つのか、しっかりと理解していた。
知識の中には、彼女の魔法に関する研究成果の数々も含まれている。
だがその知識を全て考慮した上で、"ありえない"という答えが導き出されていた。
異質などとはとても言えない程の、ありえない存在。
まごう事なき怪物だと断言出来る。
問題は、もしこんなものが再び出現してしまったら、という事だろう。
正直な所、フィルベルグ周辺であれば、ルイーゼやヴィオラがいるのだから安全だ、とはとても言えなくなってしまった。
魔獣程度ならば問題ないだろう。だが、これは魔獣ですらない強さだった。
結局最後に止めを刺せたのは、強化型魔法剣ではなく、真の言の葉だ。
この件にもドミニク達がいたので話が出来ずにいるが、内心ではシルヴィア達もそれを察している。そしてそれが何を意味するのかも、イリス達は理解してしまっていた。
もしあんなものが出てしまえば、イリスにしか対応出来ないという事実に。




