"ほんの少し"
「みんなー。遅くなってごめんなさいねー」
タニヤが家に帰ると、そこはとても静けさに包まれていて驚いてしまった。
まさかまだ外で遊んでいるのかと思っていると、部屋からイリスが現れ、立てた人差し指を唇に当てていく。
言葉に出す事無くイリスの元へ向かうタニヤは、そこですやすやと眠る子供達を見つけ、愕然とした表情を浮かべる。あれだけ寝なさいと言っても言う事を聞かなかったやんちゃ達が、まるで天使のような顔をしながら眠っていた。
思わず目を丸くしたまま自分の頬をつまむタニヤだったが、どうやら夢ではないようだ。
子供達を起こさないように一旦孤児院を出ると、タニヤに今までの事を報告をしていくイリス。驚きのあまり大きな声を出しかけ、慌てて自身の手で口を押さえるタニヤは、呼吸を整えるようにした後、彼女はイリスに小さな声で問いかけていった。
「……本当なの?」
「はい。みんなとっても優しくて強い子達ですよ」
「……そう。ディルクも、そうだったのね……」
「やはり孤児院には、誰かが傍に居てあげた方がいいんだと思います。それについての考えも私達にはありますが、少々時間がかかるでしょう。
何よりもまずは、ディルク君との約束を果たさなければなりません」
そう言葉にするイリスだったが、タニヤは瞳を閉じながら額に両手を合わせ、ぽつりと心情を吐露する。
「……本当にあたし、何にも出来ていないのね……。あの子達のこと、なんにも、分かってないじゃない……」
それはまるで、心の声が漏れてしまったようにも思える言葉で、何よりも辛そうな気持ちを含んだ声だった。
そんな彼女にイリスは、それは違いますと、はっきりとした声で言葉にし、タニヤに話していく。
「皆、タニヤさんの為にって想ってくれているんですよ。年長組の子達は自分のこともしっかりと理解した上で、それでもあなたの為に出来ることはないかって、ずっと考え続けてくれているんです。それはタニヤさんだからそう想ってくれているんですよ。
あなたが今までして来たことは、とても凄いことです。誰にでも出来る事ではないんです。だからどうか、そんな風に思わないで下さい。年少組の子達には、あなたはたった一人のお母さんで、年長組の子達には、あなたはもうひとりのお母さんなんです」
年少組の子達はタニヤの事をお母さんと呼んでいた。
年長組の子達はタニヤの事を母のように慕っていた。
ただ普通の孤児院の管理者であるのなら、こんなに慕われるはずがない。絶対にと言えるほど、有り得ない事だ。紛れもなくタニヤはあの子達の母である事に違いはない。後はもう、ほんの少しだった。
「もう、ほんの少しだけ、あの子達の心に寄るだけで良かったんだと、私は思います。本当にもうほんの少しだったと。
朝になったら、あの子達とお話をしてみて下さい。あなたなら絶対にそれが分かって貰えますから。あんなに優しくて強い子達を、タニヤさんは誇りに思えるはずです。
あなたは決して何も出来ていないんじゃないです。本当に沢山の事を、とても大きくて大切な事を、あの子達にしてあげて下さっていたんですよ。
……だからもう少しだけ、あの子達の心に触れてみて下さい」
そう言ってイリスは優しい笑顔をタニヤに見せた。
孤児院の扉が開き、中からシルヴィア達が出て来たようだ。
目で確認を取るイリスに、それぞれ頷いて答えていく仲間達。
タニヤに向き直ったイリスは、優しい笑顔を変えずに言葉にしていった。
「では、私達も宿に戻りますね」
「……ありがとう、みなさん。本当にありがとう……」
「私達は、私達に出来る事をしているだけですから」
イリスはおやすみなさいとタニヤに告げて、その場を後にしていった。
タニヤは心優しき冒険者達の背中を見えなくなるまで見つめ、孤児院に入り扉を閉めると、ぽつりとお礼を言葉にした。
飲食街手前まで戻って来たイリス達は各々話していく。
「それで。どうするんですの?」
「ふふっ。流石に私でも、イリスちゃんのしたい事が分かってしまいました」
「そうだね。俺も賛成だよ」
「うむ。俺もだ。だが、どうする?」
「お願いする前に伝わっちゃってましたね」
「私でもそうしたいと思いますからね。ですが、何か対応策はあるのかしら?」
シルヴィアの問いかけに短く肯定するイリスは、魔法をひとつ発動していった。
「"暗視"」
発動と同時に仲間達が驚いていく。
一気に視野が広がり、暗闇の奥の方までしっかりと認識出来るようになった。
夜なのに、まるで昼のような視界が広がっていく。いや、暗いことに違いはない。ただその視野が極端に広がったような印象を受ける。昼よりも却って鮮明に見えているようにも感じられたほどに。
普段では認識する事は出来ない、木々の葉ひとつひとつまではっきりと見えるような、そんな世界が広がっていた。
驚きの止まらない仲間達へ、イリスは言葉を続けていく。
「この魔法であれば、暗い森での探索が可能になります。今回は人命がかかっていますので、強力な索敵も合わせて使っていきたいと思います」
「ふむ。凄い魔法だな、これは。俺の目を超える夜目だ」
「本当に凄いですわね。でも、これならば森に行けますわね」
暗視を使えば、夜の森や洞窟の内部でもしっかりと目視による確認が出来る。
獣人の夜目と違うのは、たいまつなどの光源があっても、その効果が得られるという所にある。持続時間は三アワールほどなので、それ以上の探索となると魔法をかけ直す必要は出てくるが、それでも十分過ぎるほどの効果を持っている魔法だ。
イリス達は一旦馬車へと戻り、ポーションを多めに持っていく。ヴァンは戦斧に変えた。流石に剣よりも遥かに使い慣れた斧の方が、戦い易いからだ。ライフポーションとスタミナポーションを十本ずつバッグに入れ、保存用の食料を別のバッグに入れる。
この時間、エステルは厩舎へと戻っているようで挨拶は出来なかったが、これから向かうのは森なので連れて行くことは出来ない。
食料品はヴァンが、ポーションはネヴィアが持ち、イリス達は街を出る為に入り口まで向かっていく。
ネヴィアが薬を持つのには理由がある。戦いとなれば激しく動くイリス達に比べ、ネヴィアは魔術師なので、その場を大きく離れたりはしない。薬瓶なので、なるべく衝撃を与えないようにしなければならない為、ネヴィアが持つと言葉にしてくれた。
そして保存用の食料はヴァンが持つ。ある程度持つとはいえ、その重さはかなりのものになる。これを力のある自分が持つのは当たり前と言わんばかりに、彼が真っ先に持ってしまった。
重いので皆さんで持ちましょうとイリスがヴァンに話すも、彼からすれば重いという認識にはなっていないようだった。
「本当にヴァンさんは力強い方ですわね」
目を輝かせながらヴァンを見つめるイリス達。
その視線を浴びたヴァンは、小さく『むぅ』と言いながら瞳を閉じてしまった。
街の入り口まで来ると、街の警備をしているベネデットが驚いた様子でこちらに駆けつけ、言葉にしていった。
「その装備、まさか夜に街の外へ向かわれるおつもりですか? いくら平原とは言っても視界が日中とは違います。危険ですので、お止めになられた方がいいのでは?」
「ご心配して頂きありがとうございます。でもこちらには頼もしい味方もいて下さってますし、必要以上に無茶な事はしませんので、通らせて頂いても宜しいでしょうか?」
そこまで言われては、引き止めることなど出来ない。彼女達は冒険者なのだから。
「ギルアムが討伐されたとの一報はこちらにも届いておりますが、それでも夜間は危険です。どうか十分にお気を付けて」
ありがとうございますと笑顔で答えるイリス達は扉を開けて貰い、街の外へと向かっていった。




