"問題を解決"する魔法
「あれがノルンですか?」
とても楽しそうに御者台へと身を乗り出しながら尋ねるイリスに、ロットが答えていった。彼の隣でエステルの手綱を握っているヴァンもそれに続いていく。
「そうだよ。あの距離だともう暫く到着にはかかるけど、昼前には着けると思う」
「あの街は鉱山街だから小さいが、施設は一通り揃っている。強いて言えば武器屋のような店は無いが、修復や代用品を売っている鍛冶屋があるぞ」
イリスを挿むように顔を出したシルヴィアとネヴィアは、興味深げにヴァンの言葉を聞いていると、そんな体勢だと疲れちゃうよとのロットの言葉に、荷台へと戻っていく三人はとても楽しそうに話をしながら、荷台から左右と後方に注意をしつつ到着の時を待っていた。
幌付き馬車での移動となると、左右に対する警戒が甘くなり易い。荷台が幌で囲われてしまっている為、荷台に乗っている者には周囲が見えないからだ。
その為、御者台には必ず二人を配置し、前方と左右の警戒に当たっていく。手綱を引いている者は前方を注意し、隣に座っている者に左右を注意深く警戒させていく。魔物が出れば仲間達に口頭で伝え、荷台に居る者達も後方を警戒する。
荷台に居る者達は、何時でも戦闘が出来るように準備をする事も必要だ。何時襲われるか分からないのだから、気を抜くことなど出来ない。
これが一般的な幌馬車での警戒となる。
地形やパーティーの人数、馬車の形で変わっていくものではあるが、大凡警戒はこのようになるそうだ。
だが、エリーザベトに頂いたこの幌馬車は例外である。
左右を確認出来るように幌の中央部分を上に開けられるので、左右の警戒を疎かにする事無く旅を続ける事が出来るようになった優れものだ。馬車の後方にも布をかける事が出来るので、この馬車で着替えたりも出来てしまう。
馬車の左右を確認する事が出来る幌の加工をするには、やはりと言うかそれなりのお金がかかるらしく、商人に成り立ての者には手が出せないような、立派な馬車になるそうだ。
素敵なものを頂いてばかりだと、イリスは申し訳なく思ってしまうが、これに関してもイリスの成したことに比べれば、本当に大した事はないのだとエリーザベトはイリスに答えていた。
ましてや今回手に入った白紙の本の情報は、エデルベルグ国王から最愛の妻へと宛てた大切な想いの欠片であり、その最愛の妻はフィルベルグ建国の母にして、フィルベルグ王国史上最も尊敬された女王である。
そしてあの本は、今現在ではイリスにしか開く事の出来ないものであり、それを知る事が出来ることそのものが多大なる功績となる事を、馬車に揺られ、警戒をしながら話しているイリスには少々思いが至らない様子だった。
どうにもイリスはこういった事に、とても疎いと思えてしまう仲間達だった。
それが彼女らしさと言えばそうなのだが、どうにも普段の聡明な彼女からは想像も付かないような事に、仲間達には思えてしまう。
イリス自身は自分の事を我侭で欲張りだと言うが、その内に秘めたものはとてもそうは思えなかった。
言葉にするのならば、物欲と呼ばれるものが彼女には無いようにも思える。それは出立の準備にフィルベルグで買い物をしていた時にも表れていた。
シルヴィアとネヴィアに連れられて、きゃっきゃと楽しそうに買い物をしていた時が、とても印象的に見えた。
各々好きな物を購入していたが、あれが可愛い、これも可愛いと言葉にしていたイリスがそれらを買う姿は見られず、イリスだけは本当に必要なものだけを購入しているようだった。
前の世界でイリスは、買い物をした事が殆どないと言っていた。
物の大切さや本当に何が必要なのかを、雑貨屋を営んでいた父の背中を見て育った為に、無駄の無いお金の使い方を知っている、という事なのだろうかとロットは考えていた。
それにしても無欲と思えてしまうほど、イリスはお金を使わなかったと思えた。
彼女は既に、並みの冒険者では手にする事が無い白金貨を三枚も所有している。それだけの大金があれば、あれやこれやと買う事はなかったとしても、少しくらいならばとお金を使う事は有り得ると思えてしまう。
だがそんな姿も見られなければ、お金を全てフィルベルグ冒険者ギルドに預けたまま旅立ってしまっていた。
資金はエリーザベトが用意してくれた、以前の冒険での褒賞金を頂いているので、旅を続けていくのは全く問題ないが、一体あれだけの大金を彼女が何に使うのか、という事には興味が尽きないロットとヴァンであった。
荷馬車に揺られる彼女は、とても楽しそうな声で会話をしているのを、ロットたちは背中越しに感じながら、もしかしたらそんな大金に手を付ける事無く、イリスは数十年と過ごすような気もしてしまう二人だった。
微笑ましく思える話し声に、自然と笑みがこぼれるロット達だったが、シルヴィアとネヴィアは突然大きな声を上げて二人を驚かせてしまう。
「「それは本当ですの!? イリスさん!?」」
思わず振り向いて確認をするロット。流石にヴァンは視線を動かさず、警戒をしながら意識だけを後方へ向けていく。今の言葉からは魔物の姿を感じるようなものではなかったが、念の為にロットは確認をしていった。
「どうしたの? 何かあった?」
「何かも何もありませんわ!」
勢い良く言葉にするシルヴィアだったが、彼女の瞳は途轍もなく真剣なものだった。その姿を若干引くようにどうしたのと再度尋ねてみると、姉に代わりにネヴィアが身を乗り出しながらロットに説明をしていく。
「イリスちゃんが使える真の言の葉なのですが、私達の着ている服や鎧を綺麗にする事が出来るそうなんです!」
「それだけではなく、身体も清める事が出来るそうなのですわ!」
「そ、それは確かに凄いね」
その二人の勢いにたじろぐように言葉にするロットだったが、思わぬ反撃を食らってしまった。
「それどころではありませんわ! 長旅で唯一引っかかっていた事が解決するのです!」
「その通りです、ロット様! 私達にとっては非常に重要な事なのです!」
「私もそこだけはどうしようかなって思っていたんですけど、どうにか解消出来そうで良かったです」
唯一勢いの落ち着いているイリスの言葉を聞いていたロットは、ふと気になる事が頭を過ぎる。あまり真の言の葉に頼り過ぎると、イリスに負担がかかるのではと彼は答えていくが、それは無いようだとイリスは答えた。
これに限った事だけではなく、なるべくなら真の言の葉を使いながら旅をしたいとイリスは伝えながら話を続けていく。
「この力を使ってみて分かった事なんですが、この力は使い続ければ強くなるみたいです。初めて力を使って暫くは実感が持てませんでしたが、先程保護をエステルに使った時、何となくですが感じました。
強い力を使う使わないは別にして、この力を鍛えていく事は必要だと思えたんです。なので、なるべくなら練習したいので、気にしないで下さいね」
そうイリスは笑顔で御者台に居る二人に告げていく。要するに洗いものはイリスにどうぞ、という事らしい。どんな魔法であれ、使い続ければ真の言の葉自体が上達すると思われるので、出来る限り使っていきたいとイリスは続けた。
なんだか申し訳なく思う二人だったが、イリスにとっては良い訓練になる為に力を貸して欲しいとまで言われてしまった。
「それにマナの消費はとても小さいもので、恐らくではありますが、使い続けながら旅をしても自然回復出来ちゃうんじゃないでしょうかね」
今までの常識では有り得ないほどの消費量の少なさに、驚きながらロットはイリスに問い返すも、どうやら本当に消費するマナは少なくて済むそうだ。
イリスは魔力を高める訓練も、無理をする事無く出来る限り自然体で鍛えていった。それが正しい訓練法だと認識したと同時に、無理をする事は却って訓練にならないと理解している。
そんなイリスは、無理をしても訓練にならないと思っている事を二人に伝えると、納得出来た様子で言葉にした。
「なるほど。分かったよ。それじゃあイリスにお願いするね」
「うむ。女性に洗い物を渡す事には些か申し訳なさが残るが」
「ふふっ。いいんですよ。どうせなら綺麗なまま旅をしたいですからね」
その言葉に一切反論など出来ない一同は、眼前に見えて来たノルンに視線を移していった。
「わぁ。これがノルンですか」
思わず感嘆のため息を付く三人に、ロットが『そうだよ』と笑顔で答える。
しっかりとした石造りの門を潜っていくイリス達は、予定通り昼前にはノルンへと到着していった。




