"署名"
冒険者ギルド。
ここは命を懸けた者達にのみ立ち入る事が許された、屈強な強者達が集う場所。
日夜この場所で冒険者同士が会議を開き、様々な事柄について議論をし合う厳格な場所、等では決してないので、勿論一般の方も多く利用するこの場所、特に飲食スペースは安くて早くて美味いと、フィルベルグに点在する飲食店の中でも人気の場所である。がやがやと賑わうこの場所は、とても楽しく食事やお酒を楽しむ場所となっていた。
だが、そんな賑やかな場所であっても静まり返ることはある。何事にも時と場合によりけり、といった所だろう。そう例えば、この国の女王と騎士団長や、この国の人々に大変愛されているお姫様方が突如として訪れた時などは、誰もが会話を忘れ、食事を止め、その様子を見守ることになるだろう。今はまさにそのような状況となっていた。
尤も、そんな事など未だ嘗て起こった事の無い事件ではあったが。
静まり返るギルド内にこつこつとした音が上品に小さく響いていく。
続く王女達は何故か武装しており、更に彼女達に挿まれるように今や時の人である少女が、物凄く美しい純白の鎧を身に纏った状態で歩いていた。
その少女は騎士団長だけではなく女王陛下にまで様々な技術を学び、常識では有り得ないほどの速度でそれを次々と学んでいった。冒険者登録をしていない子供が、熟練者であるゴールドランク冒険者並みの力を見せ、あのプラチナランク冒険者ですら凍り付かせた強さを手に入れたという、今現在このフィルベルグ王国で最も有名な人物であり、注目されている渦中の女性となっていた。
以前から彼女を知っている者からすると可愛らしさは既に無くなり、美しさを放つほど素敵な女性になっていた。更には王族のような立ち振る舞いを最近では見せており、とても上品で優雅な淑女へと変貌を遂げている。身に纏う純白の鎧が、彼女の魅力をより一層引き立てていた。
ほんの一年半前までは、将来は絶世の美女になるだろうと思われていたが、本当にそのような美しさを醸し出すほどの急成長を遂げてしまった。既に一部の王国兵士や、"森の泉"に来店した客を魅了しつつある彼女は、フィルベルグの頂点とその御仁とこの国を守護する最高の存在、そしてこの国の人々から愛されてやまないお姫様達と共にギルドの受付へと足を運んでいた。
そんな様子を一体何事かと彼らが見てしまうのも、それは致し方の無いことだろう。それほどの事だと断言出来るような、特異な事件と言えてしまう。
そんな彼女達を黙って見つめる者以外の存在が席から立ち上がり、彼女達の元まで歩いて向かっていった。武装をした彼らは女王と騎士団長へ挨拶をして、続く姫様方にも挨拶をしていった後、言葉を中央の女性に話しかけていく。
白銀の鎧を纏った男性が口に出した彼女のその呼び名に、思わず目を丸くして驚いた女性は次の瞬間、まるで花が咲いたように微笑みながらその男性に笑顔で返していった。そして彼女達は受付へと来ると、その場にいた受付嬢と共にギルドの階段を上がって行き、次第に飲食スペースからざわざわと騒がしく落ち着かない様子で、残された彼らは会話を始めていく。
その中で無言のまま静かに彼女を見つめるひとチームの冒険者達と、その席とは別の場所に座っていた一人の女性が、三人目の姫騎士の後姿を目で追っていた。
* *
「来たか。……まさか女王陛下までいらっしゃるとは思いませんでしたが」
ここは冒険者ギルド三階にあるギルドマスターの部屋になる。
そこでイリス達はロナルドと面会していた。大きなソファーに女王と姫騎士三人を座らせていくロナルド。ルイーゼ、ロット、ヴァンはソファーの後ろに待機していた。申し訳なく思うイリスだったが、気にしなくていいよと笑顔でロットに言われてしまった。ルイーゼとヴァンも同じように反応してくれたので、言葉に甘えて座らせて貰う事にした。
女王はロナルドの問いに一言、愛弟子達の記念すべき日ですからねと告げるが、ロナルドは女王の心の内を理解していた。要するに『面白そうだから』という事なのだろう。
日々職務に追われる彼女は、息抜きというものが中々出来ない。それはあの王城に閉じ込められるように執務を続けているからだ。
本来女王とは、滅多な事がなければ城下に来る事などない。だからこそ彼女には今回の件で、良い息抜きとなった筈だとロナルドは思っていた。当然それを咎める立場になど無い彼はそれに口を出す事などなく、イリス達へと挨拶をしていった。
「姫様方とは何度かお会いしておりますな。初めましてイリスさん。私はフィルベルグ王国所属冒険者ギルドマスターのロナルド・マルクスと言います。噂はかねがね聞き及んでおります。中々お会い出来る機会もありませんでしたが、こうしてお会い出来て何よりです」
「初めまして。イリスヴァールと申します。宜しくお願い致します」
お互いにお辞儀をし合う二人であったが、何とも言えない微妙な空気を醸し出していた事にイリスは気が付いていなかった。その様子に開口一番、受付からこの部屋まで案内して来たシーナが言葉を発していった。
「……あのギルドマスターが、とてもまともな話し方を……。まさか偽物!?」
シーナの言葉に反応したロナルドは、半目になりながら『俺の事をなんだと思っているんだ、お前は』と答え、その返しにいつものギルドマスターのようで、ホッと安心したシーナだった。
ロナルドはこほんと咳払いをして、いつもの口調で話し出した。
「口調を戻させて貰う。姫様方も冒険者になられるというのであれば、この話し方で進めさせて頂きますが宜しいですか?」
念の為女王に確認を取るも、当然構いませんと返す女王。
その言葉に頷いたロナルドは三人に話を始めていく。
「さて。三人にはこれから、正式な冒険者登録手続きをして貰う事になる。
まずはこの書類に目を通し、納得出来るのであれば下記に署名をお願いしたい」
三人はシーナの手により配られた、目の前の書類に目を通していった。書くべき場所は署名のみ、その書類の内容も何て事は無いものに思える姫様達。要約すると『命を懸ける事への責任を自身で持つ』という意味を含んだ書類への署名の様だ。
十五歳となり冒険者を目指す者は、必ずこの書類に直筆で名を記す必要がある。そしてここに書かれている内容に臆するような者などいない。そんな者は最初から危険と隣り合わせの冒険者など目指す訳がない。こんなもの必要なのだろうかとシルヴィアは思ってしまっていた。
詰まる所この書類が示しているのは、それだけの覚悟が無い者は冒険者になれないという事と、それを確認させる為くらいの意味合いしか含まれないものだろう。
だがイリスにとってはこの署名するだけと思える書面は、違う意味を含むものだと感じていた。書く事としては署名だけというものだし、内容的には当たり前の事しか書いていない書類ではあったが、その内容は決して優しくはない。
これが意味する所は、全ての責任を自分が負い、如何なる危機的状況でも自ら打破せねばならないという意味だ。これを理解した上で冒険者登録をする者は正直少ない。
冒険者とは"自由"な存在である。好きな時に仕事をし、好きな時に食事を取り、好きな場所へと向かい、好きな冒険を自身が選べる。それは何ものにも束縛されない"自由な者"になれるという意味であり、その憧れの方がより強く感じられてしまう為に、誰もが命を懸けるのは当たり前だと深く考える者などほぼいない。
ここに書かれている紙の内容は文字通り『当たり前のこと』ではあるが、それを正しく認識する者は残念ながら少ないと言わざるを得なかった。
だがイリスにとって、その紙はただの署名をするだけのものではなかった。書類とペンを目の前にした彼女は、一度その瞳を閉じて深く一呼吸をした後ペンを持ち、しっかりと署名を丁寧に書いていった。その様子を察したかのように、王女達も身を引き締めて自身の名を紙に記していった。
ロナルドはこの時イリスの事を、本当に賢い子だと理解していた。
そして同時に、彼女が与える影響の大きさを肌で感じた。
その様子を見た姫様達もそれを察し、理解した上で書類に名を書き込んでいった。
素直で聡明な美しい姫達。これは偏に女王の教育の賜物だろう。
この国は安泰だ。これ程までに素晴らしい跡継ぎがいるのだから。
何よりもそんな二人へ大きな影響を与えているイリスに、不思議な魅力を感じていたロナルドだった。あれ程の強さを見せながら驕る事無く、慢心する事無く、ただひたすらに前へと進み続けた少女。いや、今も尚進み続けている。そういった目をしていた。
そんなイリスは既にとんでもない事を成してしまっている。その成した事でさえまだ一例に過ぎなく、何か将来途轍もない事を成してしまうのではないだろうかという気がしてならなかった。
もしかしたら俺は、伝説のミスリルランク冒険者になる少女を見ているのかもしれないな。そんな事をロナルドは思っていた。それがあながち間違いだと言い切れないほどの異彩をイリスは放っているような、そんな気すら感じていたロナルドだった。




