不思議な"魅力"
真っ白な空間にイリスはぽつんと存在していた。
いや、"存在"という言葉は少々違うだろう。
イリス自身もそこにいるとは思えなかった。
何も無い空間。
光溢れた安らぎに満ちたように感じる場所。
空を見上げようとすると視線が上へと向かっていく。
そこには光り輝くものが浮かんでいて、きらきらと優しく光を放っていた。
その場所でイリスは――――。
* *
小鳥のさえずりで目が覚めたイリス。
外はまだ暗い。鐘もまだ鳴らないような早朝だ。
イリスはゆっくりと起き上がって服を着替え、準備運動を始めていく。
もう毎日の日課となった早朝トレーニングへと向かっていった。
誰もいない王都を走りながらイリスは考える。ここ最近見ている同じ夢のことだ。
初めてあの夢を見たのはいつの事だろうか。ぼんやりと感じていたものが、目覚めた後もはっきりと覚えているようになったのは、去年の年の瀬くらいの事だろうか。見始めた時期は定かではないが、それ以降頻繁に見続け、ここ二週間は毎日それを見るようになり、それは徐々に鮮明になっていった。いつも同じ場所、そして同じ所で目が覚める。
だが今日の夢はいつもと違っていた。
夢から覚める直前に声をかけられたような気がした。
それが男性なのか女性なのかも分からなかった。
声かどうかも定かではないほど曖昧なものだった。
あまり現実感の無いふわふわとした夢なのに、それが現実かもしれないと思ってしまうような、とても不思議なものだった。
だけど確かに、声が聞こえた気がした。
たったの一言だったけれど、確かにそう聞こえたように感じられた。
走り終えたイリスは店の前で身体を解す運動をしていると、レスティが出てきて挨拶をしてくれた。
「おかえりなさい、イリス」
「ただいま、おばあちゃん」
笑顔で微笑む二人はそのまま店の掃除をしていった。
これも二人が行う毎日の日課になっていた。
そして朝食を取りながら、いつも通り今日の予定を話し合っていく。
「それで午後はどうするの? またルイーゼさんと訓練かしら?」
「ううん、今日はエリーザベトさまからお城に呼ばれてるの」
以前のレスティであれば、女王陛下からの呼び出しというだけで驚いていたが、今現在では頻繁にと言えるほど良く会っていた為、驚くことはなくなっていた。
やはり共に過ごした時間が長かったからだろうか。イリスも女王様に会えるのを楽しみにしているようだった。ルイーゼよりは期間が短いが、エリーザベトもイリスの師匠のひとり、なのだそうだ。その技術のみならず、女性としての作法から様々な冒険に必要と思われる知識まで幅広くご教示して頂いたのだとか。
思えばイリスには立派な先生が三人もいる。
身体能力向上に関する知識や武具の扱い、戦闘技術などを王国騎士団長であるルイーゼが。その他の技術や知識、作法に至るまで女王陛下であるエリーザベトが。そして薬学、調合に関しての知識を王国一の薬師である祖母レスティが、イリスに惜しみなく知識を分け与えていった。
人から聞けば羨むような事の数々だが、それはイリスに心を動かされたからだ。
イリスは沢山の人の心を動かしている。それはとても魅力的に見え、そして不思議な気持ちになるというものだった。思えばレスティも、最初に会った時から不思議な気持ちをイリスに感じていた。兄や姉、そしてヴァンでさえも、一目でイリスの不思議な魅力に魅了されていた。それもイリスが言うところの『祝福された子』という事なのだろうかとレスティは何とはなしに思っていた。
* *
王城に呼ばれたイリスはエリーザベトに会う為に向かっていく。もう馴染みになってしまった兵士達に挨拶をして下の庭を進んでいくイリス。以前の彼女であればかなり疲れていたお城への道も、今では全くと言っていいほど疲労感が溜ることはなかった。
メイドに連れられ、女王のいる執務室へと案内されたイリス。中にはエリーザベトと、国王ロードグランツ、そしてルイーゼが待っているようだ。少々重々しく感じるイリスだったが、まずは挨拶をと始めていった。
「こんにちは、エリーザベトさま、ロードグランツさま、ルイーゼさん」
「御機嫌よう、イリスさん」
「うむ。良く来たね、イリスさん」
「いらっしゃい、イリスさん」
一通り挨拶を済ませた所で、では行きましょうかと立ち上がるエリーザベト。
そのままエリーザベトを先頭にロードグランツとルイーゼが続いていく。
いまいち状況が掴みきれないイリスは疑問に思いつつも付いていき、エントランスに止めてある馬車へと乗り込んでいく。馬を走らせて止まった場所は騎士団の宿舎前だった。その建物を見たイリスは、思わず言葉にしてしまう。
「騎士団の宿舎、ですか?」
「ええ。では参りましょう」
エリーザベトの言葉に馬車を降りていった。
言われるまま最後尾を歩くイリスは、騎士団の宿舎裏手に向かっていくと騎士達が見守る中、訓練をしている姫様達がそこにいた。その姿に驚きを露にして立ち止まってしまうイリスは、呆然とした様子で彼女達を見ていた。
エリーザベトは王女達に近付き、声をかけていった。
それを背中越しに彼女たちは答えていく。
「どうですか? ものになりましたか?」
「そうですわね。あと少し、と言った所でしょうか」
「ですね、姉様。もう少しだけ練度を高めたいですね」
振り向かずに母エリーザベトの問いに答える二人は振り向いた瞬間、眼を丸くして驚いてしまった。
「ななな何故イリスさんがここにいるんですの!?」
「い、イリスちゃん!? か、母様、どういう事ですか!?」
「どういう事も何も、修練を終えたイリスさんをお招きしたのですが、何か問題がありましたか?」
しれっと表情を変えず答えるエリーザベトに、シルヴィアは強めに言葉にする。
「問題ありまくりですわ! 折角、イリスさんの所へ強くなった私達が颯爽と登場する予定でしたのに!!」
「ね、姉様、それ本気だったのですか?」
思わず苦笑いが出るネヴィアだった。
その言葉にシルヴィアは断言していく。
「当たり前ですわ! その方がカッコイイではありませんかっ!」
「そんなボロボロの姿で言っても伝わりませんよ」
エリーザベトの言葉に反応したのはシルヴィアではなく、ロードグランツであった。
「あぁぁ、なんと労しい姿……。パパは見てるだけで涙が止まらないよ」
「と、父様、泣くのは止めて下さいまし! 何度も説明したはずですわ!」
「父様には申し訳ありませんが私達はこの道を選びました。どうか泣かないで下さい」
「そうですよ、グランツ。今更言っても始まりませんよ」
その妻の言葉に俯いていた夫はがばっと勢い良く顔を上げ、言葉にしていった。
「そうではない!! 可愛い可愛い娘達がこんな泥まみれになっている事そのものが労しいと言ってるのだ!!」
「「「「そっちですか……」」」」
イリスを除いた女性陣が同じ表情でロードグランツに返していった。
会話をする家族の間に入ることが出来ないイリスは、尚も固まったままだった。二人が泥まみれになっているのかも、二人が修練している理由も、イリスには全く見当が付かなかった。思わず尋ねてしまうイリスだったが、上手く言葉に出来ない様子だった。
「あの、えっと、これは、その。……どういう事、でしょうか?」
そのイリスの言葉に気がついたようにシルヴィアが答えてくれた。
「どうもこうもありませんわっ。折角カッコ良く登場するはずでしたのにっ!」
「姉様ってば……。私達は、イリスちゃんが冒険者を目指すと聞いて、その力になるべく修練を始めたのですよ」
「力になるべくって、どういう意味ですか?」
頭が真っ白になるイリスに二人の真意は掴めない様子だった。
それにエリーザベトが答えてくれた。
「二人はイリスさんが冒険者を目指しているという話を聞き、私に師事したのです。貴女の力になる為に強くして欲しいと」
エリーザベトのその発言に驚きを隠せないイリスは、思わず言葉を返してしまった。その問いにシルヴィアは、まだ悔しそうな表情のまま答えていった。そんな姉を妹は苦笑いをし続けて見ていた。
「え……。だって、お二人はお姫様ですし、中々お時間とか無いんじゃ……」
「問題ありませんわ。その許可も既に頂いております」
「私達は冒険者にはなれませんが、イリスちゃんの力にはなれると思います」
イリスは未だ理解出来ず、女王を見てしまった。
許可を頂いたとはどういう意味だろうかと。
その場にいる誰もが読み取れてしまう表情に、思わず笑みが零れる一同。
その問いにエリーザベトは答えていった。
「問題ありません。彼女達は一国の王女である前に貴女の友人です。その力になりたいという意を汲み、それを女王として了承しました。「私は了承していな――」という事ですので、問題なくどうぞ連れ回して下さい」
エリーザベトの言葉の間に入るも無視されたロードグランツは地面にしゃがみ込み、指で何かを書き始めた。その様子にルイーゼは半目になりながら言葉をかけていった。
「国王陛下もそろそろ納得されては如何ですか? 彼女達の意思は固く、またその気持ちはとても美しく尊いものです。その成長を見守ってあげては下さいませんか?」
その言葉に顔をルイーゼに向け答えていくロードグランツ。
「し、しかしルイーゼ。イリスさんはいずれ世界に旅立ってしまう。そうなれば可愛い娘達と滅多に逢えなくなってしまうではないかっ!」
涙目の国王に女王がため息を付きながらルイーゼに答えていく。
「ルイーゼ、この人は娘達に逢えなくなるのが寂しいだけなのです。聞かなかった事にして下さい」
瞳を閉じながら眉間にしわを寄せ、顳顬に右手を当てて深いため息を付いていくルイーゼ。どうやら彼女の思っていた事とは全く違う事を国王は考えていたようだ。
それでもまだ理解に及ばないイリスは、思わず言葉を返してしまった。
「で、でも、お二人はお姫様ですし、冒険となると危険も伴います。それこそ命の危険だって……」
「問題ありません。既にその為に力を付けました。彼女達はそれなりの強さを手に入れています。冒険に必要と思われる知識も叩き込みました。強さという意味では少々不安ではありますが、まず問題なく戦えると思います」
その言葉に娘達が反応する。
「心外ですね、母様。これでも私達は相当頑張ったつもりですのに」
「ふふっ、そうですね、姉様。この一年半、頑張りましたものね」
思わず空を見上げ、遠くを見つめている二人。若干目が虚ろに見える気がしたイリスは、相当大変だったのだろうという事が見て取れるが、そんな二人に水を差すエリーザベトとルイーゼだった。
「正直、まだまだ心配な所は多いですが、それなりの形までには仕上がりました。一年半ではまぁこんな所でしょうね」
「それでも十分強くなりましたよ。既に私と戦っても中々の勝負が出来るまでに強くなりました。……イリスさんの比ではありませんでしたが」
その二人の反応に思わず目が点になる王女達。
思わず言葉にしてしまったのも仕方の無いことだろう。
「あ、あれだけ努力しても、イリスさんに届かなかったと、そう仰りたいんですの?」
「い、イリスちゃん、どれだけ強くなったのですか……」
「ルイーゼはおろか、私でも今や勝つ事など出来ません。貴女方が私に師事した時に伝えてあった通りです。イリスさんの覚悟は並みで無いと。その私の予想ですら軽々と飛び越えて前へと進んでしまいました。まさかこれ程まで成長するとは流石の私もルイーゼも、思っても見なかったことではありますが」
母の返しに驚愕を露にする二人。ルイーゼにすら届かない二人が母と戦ってもまるで勝ち目が無いほどに強い。その母ですら勝てないと言わせるイリスに言葉が出ない王女達だった。
その様子を察したエリーザベトは更に止めとなる言葉をさらりと二人に告げていく。
「本気で戦ったイリスさんに私は、恐らく一瞬で負けるでしょうね」
呆然としながら立っている二人をよそに、イリスに向かって本当に強くなられましたねと微笑ましそうな表情を向けるエリーザベトと、またしても愛弟子の成長に涙ぐみハンカチでそれを拭うルイーゼだった。
その二人の姿にシルヴィアは思わず半目になりながら、随分私達と扱いが違いますわねとぼやいてしまった。そんな姉を苦笑いしながら見つめるネヴィアだった。




