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この青く美しい空の下で  作者: しんた
第五章 天を衝く咆哮
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"雨"

 

 その日は、日の出頃から雨が降り続け、翌日の明け方まで止む事はなかった。

 秋の雨は寒々しく、暗く重々しい空から降り続ける雫は、まるで世界そのものが泣いているようだった。


「女神アルウェナの御子たるミレイ・ミルリムは、その人生の旅路を終え、貴女の下に召されます。飢える事も、渇く事も、死の恐怖からも開放され、私達から離れ逝くこの大切な姉妹の魂を―――」


 司祭様が祈りの言葉を述べているが、今のイリスの耳には入って来ない。

 心配そうに横から見つめるレスティは、声をかけられずに立ち尽くすことしか出来なかった。


 教会の裏には多くの者達が彼女を悼み、集まっていた。

 その中にはフィルベルグの王族もいるようだ。女王エリーザベト、国王ロードグランツ、第一王女シルヴィア、第二王女ネヴィア。そして騎士団長ルイーゼと夫のマーティン、宰相ロドルフ、シルヴィアの隣には彼女と婚約をしたエミーリオが、太陽の日にお茶を淹れてくれていたネヴィア付きのメイドであるリアーヌまで。

 冒険者ギルドからも多くの者が集まっている。ギルドマスターロナルドを始め、シーナやクレアを含む受付嬢達が集まり、冒険者からはレナードやオーランド、ハリス。今回作戦に参加したヴィオラ、ブレンドン、ラウル、アルフレート、マリウス、リーサ、ヴァン、そしてロット。彼は今作戦で共に戦った戦友の一人としてこの場に居たいと希望し、それをネヴィアはどうかそうしてあげて下さいと伝えた。

 その他にも彼女と仲の良かった冒険者や、共に戦った事がある者達だけではなく、彼女を知る冒険者が多く集まり、彼女を悼んでくれていた。


 そして今作戦に参加した冒険者達が、誰一人欠ける事無く彼女を悼む為に集まり、同じく作戦に参加していた騎士団も全員声を揃えて参列を希望した。教会の裏には数え切れない程、とても多くの者達が彼女の為に集まっていた。

 更にはブリジットをはじめ、クラウスや、彼女が懇意にしていたお店の主人達、アンジェリカとカーティアや、彼女の友人達が集まり、本当に多くの者達が彼女の棺の前で黙祷を捧げていた。




 *  *   




 司祭様の祈りの言葉が終わり、埋葬された場所へ新しく墓碑が置かれていった。

 献花がはじまるも、イリスはその場を微動だにする事無く、棺が置かれていた場所を見つめながらも、ここではないどこか違う遥か遠くを見ているように感じた。その様子を見た者達は、あまりの悲しみの中にいる彼女に声をかけることなど出来なかった。


 ギルドに戻ろうとしたロットもイリスの余りの姿に声をかけられず佇んでいた。


 ロットだけではない。

 イリスを知る誰もが声などかけられるはずがない。

 それほどに彼女は嘆き、深い悲しみの中にいた。


 空から降り注ぐ雨が、まるで彼女の心を表しているようで。

 それは絶望という言葉など、生温く思えてしまう程に強く悲しみに暮れていて。


 声をかけようとしてかけられずにいるロットの手を、ネヴィアはそっと両手で優しく包み込み、泣きそうな顔でロットにゆっくりと首を振る。



 ひとり、またひとりとその場を離れて行くが、イリスは尚も立ち竦くんでいた。

 最後に残ったレスティに一声だけ掛けて、ロットとネヴィアもその場を離れる。

 イリスの心の軋む音が聞こえているようで、いたたまれなくなってしまった。


 レスティはこの痛みを知っている。

 だからこそ分かる、イリスには辛過ぎると。


 いや、イリスが感じているものを、誰も正確には理解など出来ないだろう。


 この子は普通の十三歳の女の子ではない。

 平和で、安全な世界で穏やかに、そして幸せに暮らしていた子だ。

 誰かとこういった形で死別するのは初めてのことだろう。


 ましてやその初めて送り出す人が、とても大切で大好きな姉になるだなんて。

 それがどれほど辛く、悲しく、痛いことなのだろうか。レスティが家族を失った時はもう大人だった。だからこそ『この世界ではよくある事』などと、まるで割り切ったようにあまり考えず生きてきた。それが出来ないイリスにはどれほどの衝撃的なことだったのか、見当もつかないほどの痛みを受けているはずだ。


 レスティには何も出来ない。

 かける言葉が何ひとつ見つからない。

 


 それでも傍に居てあげたい。

 でも、何もしてあげられない。

 そんな自問自答を繰り返し続けるレスティ。


 一人にすると危険かもしれない、そう頭を()ぎった彼女だが、すぐにその思いを改めた。イリスに限ってそんなことは絶対にありえない。


 なぜなら命の重さを知っているからだ。

 もしもの事をしようすれば、姉が決して許さないだろう。

 その事にイリスが気付かない訳がない。


 しばらくレスティは立ち尽くすイリスの傍らにいたが、ひとりにさせて考える時間を持たせるべきかもしれないと思い、その場をゆっくりと後にしていく。


 何度も、何度も振り返りながら。



 *  *   



 やがてレスティはギルドへと辿り着き、その両開きの扉に手を触れながらしばらく考え込んでしまった。そしてぽつりと、私には本当に何も出来ないのねと、とても小さな声で呟いてギルドに入っていった。



 ギルド内は恐ろしいほど静まり返っていて、室内には静かな雨音だけが響いており、いつもの賑やかさがまるで嘘のような静寂に包まれていた。


 室内にはミレイと深く関わった者達が、彼女を弔う様に無言で酒を飲んでいた。

 レスティは雨着のフードを取って空いている入り口付近の席に座り、彼女の元にやって来たウェイトレスへと静かに酒の名前を告げていく。


 座りながらテーブルへ俯き、視線を下げていたレスティにふと、ふたつの影が彼女の元に現れ、レスティはそちらに顔を向ける。


「レスティさん……イリスちゃんは……」


 ちらりとロットを方を見るレスティは、小さく首を振りながら視線をテーブルへと戻し、ロットへ言葉を返していった。


「……私には、何もしてあげられないわ」


 ことんと静かにテーブルへ置かれたグラスの中身を飲むレスティ。

 その酒はまるで水のように酷く薄い味がした。


「今、イリスが考えている答えは、あの子が自分で導き出さなければならないわ」


 まるで自分に言い聞かせるように、とても小さな声で淡々と続けるレスティの言葉が静かに室内へ響き渡り、聞こえていた者たち全ての胸が押し潰されるように苦しくなってしまった。


「だめね、私は。あの痛みを私は知ってるはずなのに。あの子の何倍も長い時間を生きてるのに」


 見つめていたグラスの中身を一口飲み、かけてあげる言葉すら出て来ないなんてねと、消え入りそうな声で呟いた。


 それはギルドにいる冒険者達も身に染みて分かっている事だ。

 冒険をしていて仲間を失うという事は、決して珍しい事ではない。

 何時何時(いつなんどき)、自分自身に降りかかるかも分からない事だ。


 それなのに、あんなに深い悲しみの中で苦しみ続けている少女にかけてあげる言葉すら見つからず、こんな所で何も言う事も出来ず、ただ酒を飲んでいる自分達のなんと情けない事か。


 情けなく、なんて不甲斐ないのだろうかと、彼らは自分を恥じていた。



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