"音の無い"その世界で
はっと気が付いたようにヴィオラはリーサの指示に従っていく。
「アルフ! ロット! ラウル! 聖域に向かって馬を引っ張って来てくれ! 他は聖域に近い浅い森の入り口まで走る! 付いて来れない奴はそのまま置いてくぞ!」
一同は了解の言葉を短く答え、直ぐに行動へと移していった。
ヴィオラは重い鎧を全て棄て去り、大剣を直ぐ近くに居たヴァンへと預けてミレイを背中に担ぎ、彼女に与える衝撃を最小限に抑えながら、急いで浅い森を駆けて行く。
リーサは走りながら、ヴィオラに背負われて背中でぐったりとしているミレイの状態を見るも、既にミレイの意識はなくなっていた。
正直、このような状態は見たことも聞いたこともない。あんな状況も説明した所で理解出来る者など誰もいないだろうが、それでもこのままでいる事は良い事だとは全く思えない。見るからに異常なほどの衰弱を見せてしまっているミレイをこのまま放置すれば、絶対に良くないだろう。
必死に浅い森の入り口まで走るヴィオラたちが辿り着くと、直ぐロットたちが馬で駆けつけてきた。一同は馬に乗り換え、全速力でフィルベルグへと馬を走らせていった。
リーサはミレイの様子を見ながら、これからどうすればいいかを考えていく。
ギルドに戻ったところで治療なんて出来ない。何が最善かという話ですらない。
そもそも全てが分からない事だらけだった。眷属の靄を纏った状態? いいえ、それは霧散していったように見えた。ならばこの状態は何? 極度の疲労感から来るものなの? それならばスタミナポーションで、いえ、あれで回復出来るのは表面上の疲労だけ。体内の奥底に溜まった疲労を取る事が出来る薬など存在しない。わからない、対処法が。このままでは……。いえ、あの方なら、もしかしたら。
馬を走らせながら、必死に考えを巡らせていたリーサは、大きな声で仲間たちへと伝えていった。その言葉にヴィオラが反応していく。
「"森の泉"のレスティさんに診て貰いましょう! あの方であれば、私達には思い付かない対処法が分かるかもしれません!」
「アルフ! 騎士団長に報告を頼めるか!?」
「分かりました!」
「レスティさんは俺が呼んで来ます! ヴィオラさん達はギルドへ向かって下さい!」
「すまん! ロット! 頼んだ!」
辺りは既に夜が訪れていた。
徐々に見えて来た第一防衛線で警戒していた騎士達の間をすり抜け、作戦本部で待機しているルイーゼを素通りし、フィルベルグへと急ぐ一行。アルフレートはそこでルイーゼへと報告する為に作戦本部へ急いで行く。何事かとルイーゼが飛び出してくるが、一同はギルドへと急ぎ、馬を向かわせていった。
城門へと辿り着くと、素材を運び入れる馬車を通すために城門が開かれていた。
近くにいる兵士達にヴィオラは通るぞと大声で伝え街中を馬で急ぎ駆けていく。
ギルドでロットは別れ、"森の泉"へと馬を走らせていった。
店の前で馬から下りたロットは急ぎ店内へと入る。店内に誰もいないのを確認し、直ぐにレスティを呼ぶために大きな声を張りあげた。
「レスティさん! いませんか!?」
奥にあるキッチンの方から飛んで来るように駆け付けて来たレスティとイリスに、ロットは言葉を発していった。
「ミレイが負傷しました! 今ギルドの救護室にいます! お願いします! ミレイを診てあげて下さい!」
そのロットの悲痛な叫びに返す事無く、レスティは急ぎ救急用のかばんを取りに行き、直ぐに戻って来た。
そのまま二人はロットに連れられるようにギルドへと向かっていった。
ギルドへと入っていく三人は、奥にある救護室へと向かっていく。
飲み食いしていた冒険者やウェイトレスはそのあまりの事に、フォークやジョッキを持ったまま何事かと無言で彼女達を見ていく。
救護室に入るとベッドに寝かされたミレイを見つけた。
その様子はぐったりとしていて、意識があるのかも分からない様子だった。
あまりのミレイの変貌振りに、真っ青になりながら叫ぶイリス。
「お姉ちゃん!!」
イリスが駆け付けるよりも早く、レスティがミレイの傍に小走りで向かっていった。状態を診ながらミレイに呼びかけるレスティ。その表情は驚愕と戸惑いの色をしていた。ミレイの姿は、レスティであっても見たことのないような状態だった。
彼女の言葉にゆっくりと瞳を開けるミレイだったが、瞼は半分も開けられず、その瞳は虚ろで覇気が全く感じられない様子だった。本当に意識があるのかもわからないような色をしているミレイを察しながらも、レスティはミレイにポーションを飲ませていった。
レスティは薬をミレイに飲ませながら事のあらましをリーサから説明されるが、とてもじゃないが理解の範疇を超えた数々の出来事に、焦りと当惑を隠すことが出来なかった。
ゆっくりとではあるが、飲み干す事が出来たミレイ。続いてもう一本、違う瓶を飲ませていく。両方ともイリスは見た事がない瓶だった。何か特別な薬なのだろうか。瓶の形からすると普通のポーションではないように思えた。
二本目の薬も飲み切ったミレイではあったが、その様子に変化は一切見られなかった。イリスの鼓動は激しさを増していき、周りは慌しく動いている。
どこか遠くの方からミレイの名を叫ぶ声を聞いた気がした。
だが、徐々に周囲から音が消えなくなっていった。
とても静かな世界に、まるで一人だけ取り残されてしまったかのように感じるイリスは、祈るようにレスティの行為を見守っていた。
しばらくすると、レスティはミレイから離れていく。
イリスは確認を取るが、レスティは静かにイリスへと言い聞かせるように答えていく。その声をイリスは上手く拾えななった。レスティの言っている意味もイリスには理解が出来なかった。
見たことも聞いたこともない症状? 状況を聞いても全く見当が付かない? 秘薬でも効果がない? 意味が、分からないよ。何を言っているのか、分からないよ、おばあちゃん。
どうしてお姉ちゃんから離れていくの? お薬を取りに戻るの? なら私もお手伝いするよ。どんなお薬なの? 今から調合すればいいの? 材料はあるのかな? 無いなら急いで取りに行かないといけないよね? どうして……。
……どうして……そんな、悲しそうな顔を、して、いるの?
理解が出来ない様子のイリスに、レスティが視線をイリスに合わせながら、真っ直ぐ見つめて言葉にしていくが、その言葉もイリスには上手く聞き取れなかった。その様子を察しながら、レスティはもう一度同じ言葉を、先程よりも悲しくて辛そうな口調でイリスに告げていく。
「……ごめんなさい、イリス。……私では、どうしようも、ないの……」
そう言いながら涙を流していくレスティ。
心臓の音が更に強くなっていく。
呼吸が荒くなっていく。
視界が歪んでいく。
レスティの言葉であっても、そんなこと信じたくなかったイリスは、レスティに聞き返してしまった。
「……だって、今朝まであんなに元気に、お話してたんだよ? 昨日だって……。二人と一緒に居たいって、そう言ってくれたんだよ? これからずっと一緒ですねって言ったら、笑顔で答えてくれたんだよ? おうちにお引越ししてくれるって……。そう……言ってくれたんだよ?」
レスティはイリスを強く強く抱きしめ、震える口で言葉にしていく。
「……ごめんなさい、イリス。……人は、万能では……ないの……」
その言葉に涙が零れ落ちていくイリス。
レスティはイリスから離れ、ミレイの元へイリスを連れて行く。
涙が止まらないイリスは、ミレイへと話しかける。
「お姉ちゃん……」
その言葉に反応したかのようにうっすらと瞳を開けるミレイ。
その姿はもう、とても辛そうな表情ですらなかった。
大切な姉は、疲れ果てたような顔をしていた。
そんなミレイを見ているだけで、イリスの心臓は握り潰されるような激しい痛みが襲い掛かる。
どうして……こんなことに……。なんで……こんな、ことに……。
そんな悲痛な表情を向けてしまうイリスに、ミレイは大切な妹を優しく見つめながら、口を少しずつ小さく開いていった。その唇が象っていったとても小さな言葉は、イリスの耳には入って来なかった。
ミレイは僅かにイリスへ微笑むと、その瞳をゆっくりと閉じていった。
「…………お姉ちゃん? だめだよ、こんなところで、眠っちゃ……。風邪、引いちゃうよ? おうち……帰って……寝ようよ…………」
眠り続ける大切な姉。
イリスは大好きな姉の頭を優しく強く、大切に愛おしく抱きしめた。
その温かで幸せなぬくもりを感じながら、ぼろぼろと大粒の涙が溢れてくるのを止められなくなってしまった。
「…………あ……あぁ……ああああ!!!」
感情を抑えることが出来なくなった少女の、まるで魂を切り刻まれたかのような激しい慟哭が、静まり返っていたギルド内に響いていった。
ここまで読んで頂き、本当にありがとうございました。




