"戻るよりも"調査を
「さて、問題はもう一個あるな」
そう言いながらヴィオラは先程から誰もが口を出さなかった言葉を出していく。
「これだけ地面を抉る脚力をどうする?」
これは恐らく、眷族が持つ途轍もない脚力から繰り出された力に耐え切れず、まるで地面が爆発したように無くなってしまったと予想された。いや、概ねそれは当たっているだろう。リーサ以外の武芸に秀でた者であれば、これに似た状況を作ることが出来る。
当然、それは極々小さいものであり、これほどまでに地形を変えてしまうような力を出すことは出来ないが。
冷静に地面を見ていたリーサは、推測を述べていった。
「文献にはリザルドに形状が近い存在ともありましたし、もし仮に魔物の突然変異体であるのであれば、その変異する魔物により強さが激変する事も考えられます。脚力から察すると、ディアか、ホルスか、ボーアか。いえ、全く異形のものとも考えられますね」
かつてアルリオンに襲来した蜥蜴型のリザルドによく似た姿をした眷族が、もし仮にリーサの言うように魔物からの突然変異体であるのならば、素体となったリザルドに強さが比例する事にもなる。
リザルドという魔物は、アルリオン周辺では中位にランク付けされる魔物であり、その強さはこちらで言うとディアには届かない程度の強さとされている。
彼女の唱える説が正しいとするのならば、最悪の危険性も考慮する必要が出てくる。もしガルドのようなギルド討伐指定危険種クラスの存在として目の前に現れたら、正直な所対処が出来ずに全滅する可能性がとても高くなる。
それを身に染みて理解していたロットとヴァンに、ヴィオラが尋ねていく。
「ガルドは確かレオルだったか」
「そうだ。獅子型の魔物に形状は一番似ていた」
「仮にそれクラスの化け物だったとして、今のパーティーでの勝算は?」
「……ほぼ無いだろうな。あれは規格外過ぎる」
「……不味いな。一度ここまでの情報だけでも持ち帰るか?」
冷静に判断するヴィオラ。今まで推察した情報だけでなく、現状この場所がどうなっているのかを報告する義務がある。もしここで全滅しようものなら、その集めた情報が水泡に帰してしまう。それだけは絶対に出来ない。それはつまり、ここまで調査した彼等の努力が無駄となってしまうからだ。
貴重な戦力且つ、有能な人材であるゴールドランク冒険者の中でも突出した者達を多数失い、更には希少なプラチナランク二名まで失った上に情報まで掴めないと言う、最悪の凶報としてフィルベルグを襲うことになる。何としても情報だけは届けなければならない。
しばし考え込んでいたリーサは、ひとつの提案をしていく。
それはここから戻るよりも調査を進めるという事にもなるのだが。
「ここから第一防衛線まで戻ると時間がかかります。ならばこのまま調査を続け、ラーネ村まで向かうのはどうでしょうか。村まで行けば紙とペンがありますから報告書をざっと書いて、常駐している者に送って貰う事が出来ます。
その後調査を続け、聖域までの森の調査も行いましょう。街道を進む荷馬車と違い、我々ならば夕方までに第一防衛線まで戻れると思います」
なるほどと納得した一行。
正直な所、時間が惜しいと言える状況だ。
現状出来得る最大の事のように思えるその案に乗り、ここから北西にあるラーネ村までの調査を再開していった。
最深部から深い森へと入る一行。
やはりここも魔物の姿形は見えないようだ。
ミレイによると、その足音どころか、動物すらも確認出来ないのだと言う。
魔物と呼ばれる存在の数はかなり少ない。逆に動物の方が多いとされている。
そして動物と比べると遥かに強く君臨している存在であり、人間の大人というだけでは斃す事が出来ないほど、強固な硬さと強さを持っている。
鍛錬した者でなければ斃す事は難しいと言えるだろう。
だがこれは本来であれば、という話だ。
魔物の消失から始まった今回の事件。
聖域での戦闘に加え、フィルベルグを襲撃した数を考慮すると、正直あり得ないほどの魔物の数だった。
動物は人と同じく魔物に狩られる存在である。熊や虎などの危険生物と呼ばれる存在ですら軽々と狩られるほどに。
それ故、この世界に存在する動物達は魔物と遭遇しないように、独自に集団を作り身を寄せるように存在していたり、逆にひっそりと隠れるように息を潜めるものまで幅広く存在している、はずだった。
それが一切姿を見せない。例え隠れているのだとしても、ミレイの前では意味が無い。その痕跡が全くと言って良いほどなくなってしまっている。恐らく遠くへ逃げた可能性を考えるのが妥当なのだろうが、やはり腑に落ちない冒険者達だった。
魔物が食せると判明した歴史にも記されていないほどの大昔から、人が動物を無闇に襲うことは無い。それは動物が人に対して無害だからという事もあるのだが、一番の大きい理由は魔物の存在にある。
あれは危険生物どころではない。以前イリスが思ったように、あれらに理屈や言葉など一切通じない。奴等に見つかればたちどころに襲ってくる。動物も人と同じく狩られる存在となっている。
だからこそ人は動物を襲わない。人は同じ敵である魔物を襲うからだ。見た目や仕草から動物と魔物を間違える事はあり得ない。魔物とはそういう異質な存在だ。
そんな動物の痕跡が一向に見つからない。
魔物に狩られたその骨ですら見つけられないのは、明らかにおかしい事だ。あまりにも理解が及ばない事が多過ぎて、何をどう判断すればいいのかですら怪しくなってくる。集団で逃げたのならその足跡が残るはずだ。それすらも無いのはどう考えても異常と言える事態だろう。
だが、ラーネ村に来るまでに出会った魔物、動物の痕跡は一切なかった。
ラーネ村。
フィルベルグ王国北西に位置する浅い森の中に建設されたこの集落は、村と名前が付いているが、正しくは伐採場とその拠点である。
ここでは周辺の木々を切り、加工してフィルベルグへ材として運ばれる。この場所で採れる木材はとても上質なもので様々な用途に使われる。ここに居を構えている者達の殆どは、木々を切り、加工し、それを運搬する者達とその家族になる。
ラーネ村周辺が見渡せるような伐採をしながら深い森を切り開き、見通しのいい浅い森にしていった。その後は村周辺の木々を徐々に切り開きながら、拠点を少しずつ拡大していっている。木材ではあるが、幾重にも重ねられた防壁に囲まれたその村は、言葉通りの見た目ではなく、木で出来た要塞のようにも見えた。
イリスが見たら驚くことこの上ないであろうが、流石に幾度と訪れた冒険者には慣れたもので、何の迷いも無く見張りの兵へと挨拶をしていく。
重たそうな音を響かせながら門が開いていき、冒険者は村へと入っていく。
状況を確認しようと現れた兵士に近況報告と、報告書のために紙とペン、封筒と蝋燭を持って来て貰うようにお願いする。快く準備に走る兵士に感謝するリーサ。
残った兵士に近況を聞いてみると、ここは至って穏やかなのだそうだ。魔物の影もここ最近見かけず、警戒はしているが特に問題も、住民達も落ち着いているのだという。
やはりこの周辺にいる魔物も、恐らくはフィルベルグを襲って来たものの中にいたのだろう。
兵士の報告が続く。この村は何時でもフィルベルグへ非難出来るように準備をしているのだが、魔物がいるのかいないのか分からない状況では出立することが出来ず、現在はずっと待機する生活が続いていた。
思えば突如この事件が発生してしまった為、逃げ遅れてしまっているのだとか。幸い魔物の影もなく、住民にも不安が溜まりすぎていないようなので、安定した暮らしをしているという。
そこへ彼等討伐組が訪れた形となっていた。
魔物の大量襲撃も、こことは無縁になっていたようで安心しているのだとか。不幸中の幸いと言えるだろう。
元々こういった拠点には、常駐する冒険者が護衛をしている場所だが、彼等だけではあの大群を抑えるだけの力は無い。寧ろ防衛線の方へ向かってくれたことに感謝してしまう討伐組であった。
現状報告を出来る範囲でしていく。
周辺に魔物がいなかったこと、動物すらもいなかったことくらいで、眷属が存在する事は伏せていく。いらぬ心配を与えると余計な混乱を招くためだ。
尤も、この辺りは女王陛下やルイーゼによる箝口令が敷かれているので、元々話すことは出来ないのだが。
先程お願いした兵士が紙とペンなどを持ってきてくれたようで、近くにあるテーブルに腰をかけ報告書を書いていく。内容が内容だけに兵士もある程度は理解しているため、見ないようにしてくれていた。
報告書を書くのは三名。アルフレート、リーサ、そしてロットだ。真面目な三人を抜擢したのはヴィオラだ。
彼女は文字にするのが苦手だ。面と向かっての報告なら問題ないが、書くのはあまり好きではないらしい。的確に報告書を書くことが出来る三人に、まるで面倒ごとを押し付けるように指示するが、内心ではしっかりと適役を選んでいた。
三人はそれぞれ、聖域から浅い森と深い森手前の報告、大森林中腹から深部での報告、以降のラーネ村までの事とこれからの報告を、それぞれ三人に分けて書いていく。しっかりとした報告書は事件が終わってからでも書ける事だ。詳細に書く必要ないだろう。
彼等が報告書を書いている間は休憩時間とさせて貰い、携帯食を取りながら少々羽を伸ばしていく。
ざっと書き終えた報告書を封蝋し、兵士へと託して第一防衛線まで送って貰うようにお願いをしていく。
危険な任務ではあるが、何かあれば近くに居る自分達を頼ればいいと伝えていき、同時にラーネ村を出ようとした時、少し離れた場所で一人の女性が慌てながら、何かを尋ねているように見えた。




