番外編:遠距離恋愛を続けるための方法。
「本当にオリヴィアまで行く必要があるのかな? ジステモ教授一人でも行けるだろう?」
「デュリオ様、これは私が行きたくて無理を承知で教授にお願いしたことなんです。どうか許してくださいませんか?」
「それは……私が許すとかそういう問題ではなくて……ほら、シルー夫人もお年だし、長旅は大変かもしれないだろう?」
「私は平気ですけれどね。年ではありますが」
「いや、そういう意味ではないんです。ただ……」
いつもは完璧で非の打ち所がないデュリオも、オリヴィアの前では隙だらけになる。
先ほど、オリヴィアから新種の植物の研究のためにサクリネ王国に行きたいと告げられ、デュリオは動揺を隠せないでいた。
表面的にはサクリネ王国は友好国ではあるが、旅先としてはお勧めできない。――という心配もさることながら、単純にデュリオはオリヴィアが遠く離れてしまうことが嫌だった。
要するに我が儘でしかないと自覚しているため、それを素直に口に出せないでいるのだ。
オリヴィアが家出をしてから半年あまり。
社交界では未来のアンドール侯爵夫人が王立学院研究科に進学したことに驚き、世間では女性初の研究科生が誕生したことに驚いていた。
そのせいで婚約は破棄されてしまったのではないか、などと噂されたが、オリヴィアが付き添い女性のシルー夫人とともにアンドール侯爵家の別邸に移ったことで、その噂も下火になった。
もちろん、オリヴィアの母であるカルヴェス子爵夫人が必死に〝花嫁修業〟なのだと強調して回ったからでもある。
意地の悪い者たちは本当にそうなのかとデュリオの母のアンドール侯爵夫人に質問までしたらしい。
すると侯爵夫人は穏やかに微笑みながら頷いたそうだ。
「私たちとしては、早くオリヴィアさんに嫁いできてほしいのだけれど、結婚するとどうしても主婦業に手を取られてしまうでしょう? オリヴィアさんには素晴らしい才能があるのに、専念できなくなってしまうのも惜しくて……。だから折衷案として、我が家でお預かりすることにしたの」
侯爵夫人にこうはっきり言われてしまっては、誰も表立ってオリヴィアを非難することはできなくなってしまった。
とはいえ、若い娘を持つ母親たちは虎視眈々と隙を狙っている。
だが当の娘たちにはほとんどその気はなかった。
なぜならオリヴィアとデュリオの二人は物語に出てくる恋人同士そのもの。
アバック伯爵家でのプロポーズの場面はまさに乙女の夢そのものであり、実際に目にしていない娘たちもそのときの話をしてはうっとりとため息を吐いていた。
しかもオリヴィアは女性初の研究科生でもあり、それを後押ししているのがデュリオなのだから憧れないわけがない。
口には出せなくてもほとんどの若い娘たちはオリヴィアを応援しており、オリヴィアはごく稀に出席する社交行事で同年代の娘たちの今までにない優しさに戸惑うほどだった。
「――まあ、デュリオ君の心配はわかりますが、今度の新種はかなり変わった生態らしいのですよ。ですから私もオリヴィア君が同行してくれるととてもありがたいのです」
「……」
「デュリオ君。君は今、私の存在を忘れていましたね?」
「いえ、まさかそんなことはありませんよ、教授」
シルー夫人の年齢の話には触れず、ジステモ教授が取りなそうとして発言すると、デュリオは何度か瞬いた。
その様子に教授が笑いながら突っ込む。
デュリオは笑顔で否定していたが、ほんのり顔が赤くなっていた。
「仕方ありませんわ、教授。アンドール伯爵はオリヴィアしか目に入っていないのですもの。私たちはいてもいなくても同じ。ですから少し散歩でもしませんこと?」
「え? ですがシルー夫人……」
「オリヴィア、心配しなくても、ここにはあれこれ悪く言う人間はいませんよ。私以外にはね」
年齢を感じさせない優雅な動きで立ち上がったシルー夫人は、教授へと近づいた。
教授も立ち上がり、シルー夫人に腕を差し出す。
このままでは二人きりになってしまうと焦るオリヴィアに、シルー夫人は片目をつぶって大丈夫だと告げた。
オリヴィアにとっては世間の噂が気になるというより、デュリオと二人きりになるとまだ緊張してしまう。
それで変なことをしてしまわないか心配なのだが、デュリオは上機嫌で立ち上がった。
それからすぐにオリヴィアに手を貸す。
「――ありがとうございます、デュリオ様」
「うん、気にしないで。私はいつでもオリヴィアに手を貸すからね」
「私たちはまだいるんですけどね」
オリヴィアが恥ずかしそうにデュリオの手を取りお礼を言えば、嬉しそうな笑顔と返事が返ってくる。
そこにシルー夫人が呟き、ジステモ教授が笑う。
デュリオは笑顔のまま振り向いて、シルー夫人たちに軽く頭を下げた。
「もちろんわかっておりますとも。どうぞごゆっくり、庭だけでなく温室のほうもご覧になってください」
「私のような年になると、いつ腰やら足やら痛くなって戻ってくるか、わかりませんからね」
「そのときはどうぞご無理をなさらず、助けをお呼びくだされば、庭師たちが駆けつけますよ」
いつも誰に対しても礼儀正しくそつなく接するデュリオもシルー夫人とは嫌みの応酬をする。
オリヴィアは大好きな二人が家族のように仲が良いことがとても嬉しかった。
ジステモ教授も楽しげに微笑みながら、シルー夫人と部屋から出ていく。
そして二人きりになったオリヴィアは再び緊張した。
「あの……デュリオ様……?」
「うん?」
「その、いえ、えっと……新種の植物のことですけど……」
「ああ、うん」
先ほどまで向かいのソファに座っていたデュリオが、シルー夫人たちを見送ってからすぐ隣に座っている。
そればかりか、手を貸してくれたときからずっと繋いだままなのだ。
この状態で緊張しないほうがおかしいのだが、さらにサクリネ王国に研究のために向かいたいことを理解してもらわなければならない。
今でも研究科に進学して自由にさせてもらっているのに、これ以上はやはり我が儘だろうかとオリヴィアは口ごもった。
「オリヴィア、さっきはごめんね」
「……え?」
「私の我が儘のせいで、オリヴィアに気を遣わせてしまったね」
「我が儘? デュリオ様のですか?」
いきなりデュリオに謝罪されたオリヴィアは驚いた。
それもデュリオが我が儘を言ったからだと言う。
我が儘を言っているのは自分のほうなのにと戸惑うオリヴィアの手を、デュリオはさらに両手で握りしめて真剣な眼差しを向けた。
「私はオリヴィアの願い事は何でも叶えたいと思っている。それなのに、その気持ちは自分の望みに反していると途端にどこかへ消えてしまうんだ」
そう言って、デュリオは悲しげに微笑んだ。
そんな顔を大好きなデュリオにさせるくらいなら、新種の植物の研究は別の人に任せてしまったほうがいい。
他にも大事な研究はたくさんあるのだ。
オリヴィアが先ほどの言葉を撤回しようとしたとき、デュリオは手を離してオリヴィアを抱きしめた。
「ごめん、本当にごめん」
「デュリオ様が謝罪される必要は――」
「私はオリヴィアが――植物のことが大好きなオリヴィアが大好きなんだ。植物のことを楽しそうに語るオリヴィアも、真剣に研究しているオリヴィアも、植物以外ではちょっと抜けてるオリヴィアも、全て含めて私の大好きなオリヴィアなんだ」
「デュリオ様……」
「だからサクリネ王国に行っておいで。本当は私も一緒に行きたいけれど、それは難しいから……代わりにたくさんの護衛を連れて行ってほしい」
「……本当によろしいのですか?」
オリヴィアもそっとデュリオに腕を回し、その広い肩に頭を預けて問いかけた。
ここまで言ってくれるデュリオに、行かないことにしたとは言えない。
本当はオリヴィアもデュリオと離れたくはないが、こうして後押ししてくれるからこそ頑張ろうと思えるのだ。
それにやっぱり新種の植物は気になる。
「うん。私は待っているよ、オリヴィア。だけどたくさんの手紙を書くことは許してほしい」
「わ、私も! もうひと月に一通なんて我慢したりしません!」
「うん、一日何通でもかまわないからね」
「それはさすがに……」
「ええ? 私は書いてしまいそうだけどな。まあ、配達人に迷惑をかけない程度に我慢するよ」
妥協するようにため息を吐きながら言うデュリオがおかしくて、オリヴィアは笑った。
するとデュリオがわずかに離れてオリヴィアの顔を覗き込む。
「オリヴィアの笑顔が見たかったんだ」
デュリオの言葉にオリヴィアの顔は真っ赤になった。
笑顔どころか恥ずかしくて顔を伏せようとしたオリヴィアの顎をデュリオが捉える。
「愛しているよ、オリヴィア」
「デュリオ様……わ、私も――」
「はあ、やれやれ。年寄りには長く歩くのは無理ね」
「……いい加減、計ったように邪魔をするのはやめてもらえませんか?」
「あらまあ、何のことかしら? ああ、アンドール伯爵、離れてくださいね。オリヴィアはまだ嫁入り前なんですから」
タイミング悪く――いや、タイミングよく部屋に入ってきたシルー夫人は、デュリオを追い払うようにしっしっと手を振った。
仕方なしにデュリオはオリヴィアから離れる。
そのとき「やっぱりさっさと結婚してしまうべきだったかな」との呟きが聞こえる。
恥ずかしさから両手で顔を覆っていたオリヴィアは、つい指の間からデュリオを覗き見た。
途端に悪戯っぽく笑うデュリオと目が合う。
どこまでが本気でどこまでがからかわれているのかわからない。
だけどそれも全部含めてデュリオが大好きなんだと、オリヴィアは改めて想いを強くした。
たとえ遠く離れてしまっても、もう大丈夫。
これからたくさんの手紙と愛を贈り続けるから。
そして何よりお互いを強く信じあうことができているのだから。
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