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婚約破棄のために淑女になる方法。  作者: もり
婚約破棄を回避するために紳士になる方法。
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13

 

 翌日、すっきりした気分で目覚めたデュリオだったが、医師の診断は念のためにもう一日だけベッドにいるようにというものだった。

 確かに体に痛みは残っているが、逆に動かないとなまってしまうと訴えても、侯爵家かかりつけの老齢の医師は認めてくれない。

 そして、医師の診断が絶対の母は、デュリオがベッドから出ることを――オリヴィアに手紙を書くことさえも許してくれなかった。

 さらに母はデュリオが言い付けを破らないように、最も強力な監視者を――看護者を派遣してきたのだ。


「デュリオお兄様、次はこの絵本を読んでくださる?」

「……今度はエリカに読んでほしいな」

「うーん。でもね、お兄様。この絵本は、わたし何度も読んでいるの。だからお兄様の声で聞くと、また違ったお話のように思えるでしょう? 特にね、王子様のセリフはお兄様に読んでもらえると、すごくドキドキすると思うの」

「なるほど。そういう捉え方もあるのか……。エリカは賢いなあ」


 兄馬鹿な発言をしつつ、デュリオは手渡された絵本をぱらぱらとめくった。

 確かに何度も読んだらしく、本の角は少々歪んでおり、中身のほうも折れ曲がったりしている箇所がある。


「じゃあさ、エリカ。お姫様のセリフはエリカが読んでくれないか? 王子様や魔女は私が読むから」

「なるほど。デュリオお兄様は賢いわね!」


 兄の言葉を真似て言う妹に苦笑を漏らし、デュリオは絵本を読み始めた。

 やってみれば意外と楽しく、二人で笑いながら進めていく。

 そして最後まで読み終わると、エリカがうっとり呟いた。


「やっぱり王子様ってかっこいいわ。最後のシーンはドキドキしちゃった。わたしもいつか王子様が迎えに来てくれるかなあ?」

「きっとエリカの許には、たくさんの王子様がプロポーズをしにやって来るよ」

「お兄様、王子様は一人でいいのよ。じゃないと他のお姫様が困るもの」


 デュリオがまた兄馬鹿な発言をすると、エリカが呆れたように言う。

 その言い方がまるで母のようで、デュリオはくすりと笑った。

 この二年でエリカもずいぶん大きくなった。

 体も少しずつ丈夫になり、初恋らしきこともしている。


 アンドール侯爵家の娘として生まれたエリカは、この先たくさんの重責を負うことになるだろうが、できる限り望むように生きてほしいとデュリオは思っていた。

 その望みの一つが〝ギデオン様〟ならば叶えてあげたいとも思う。

 レルミット侯爵家の嫡子なら家柄的にも申し分なく、これから次々と舞い込むであろう縁談の中で最善のはずだ。

 もちろん、レルミット家側の意志も確認しなければならないが。

 王宮に住む本物の王子様たちは、エリカが苦労するのが目に見えているので問題外である。

 そんな兄の考えをよそに、エリカは絵本の最後のページを再び開いた。


「マイアもね、このシーンが一番好きなんですって。女の子なら誰でも憧れる、乙女の夢だって言ってたわ」

「王子様から片膝をついてプロポーズされること?」

「もちろん赤いバラを忘れてはダメよ。『あなたを愛しています』って意味なんですって」

「そうか。女の子には花言葉も大切なんだね」

「もちろん!」


 お気に入りの侍女であるマイアの言葉を、家庭教師よりもエリカは信じている。

 マイアはしっかり者で信頼のおける人物なので、そのことを問題にはしていない。

 ただ、そんなマイアでも〝乙女の夢〟などと言うのだと、デュリオは意外に思っていた。


(花言葉か……)


 デュリオは飾り棚の花瓶に生けられた花を見つめた。

 白と青を基調にした爽やかな花束は、間違いなくオリヴィアが自ら選んでくれたものだろう。

 どうにかオリヴィアに話を合わせたくて、植物図鑑や育て方の本など、かなり読み込んだことを思い出す。

 その時、自然と覚えた花言葉で気持ちを伝えてみたりもした。

 デュリオが好きだと言った花は全てが、デュリオの気持ちでもあったのだが、オリヴィアに通じていたのだろうか。


(遠回し過ぎたよな……)


 はっきり口に出して「好き」だと言ってしまえば、オリヴィアを言葉で縛ってしまう。

 そう思いながらもどうにか気持ちを伝えたくて悪あがきしていた自分が情けない。

 オリヴィアは花言葉など関係なく、ただ純粋にデュリオが好きだと言った花を覚えていてくれて、こうしてお見舞いに贈ってくれたのだろう。


 窓の外に目をやれば、雲一つない青空が広がっている。

 庭仕事をするときのオリヴィアの重装備は、日差し避けでもあるが、蜂などの虫避けでもあるのだ。


(ミツバチか……)


 ジステモ教授の言うように押し倒す気はないが、いつまでもオリヴィアの様子を窺って周囲をミツバチのように飛び回ってばかりいては何も始まらない。

 オリヴィアに自由をと言いながらも、結局は自分が追い払われ傷つくのを避けていただけなのだ。

 ルゼールとのことを考えると、オリヴィアにとってはこの婚約はもはや枷でしかないのかもしれない。

 それでも、せめて一度だけでも真っ直ぐに自分の気持ちを伝えよう。

 そう決意したデュリオが空から花へ視線を向けると、開いた窓からの風で揺れる花々がまるで応援してくれているように思えた。


 翌朝、ベッドから起き出したデュリオは、さっそくオリヴィアへお礼の手紙を書いた。

 できれば子爵家に訪問したかったが、体がなまっていることもあり、出かけるのは明日まで待つことにする。

 昨夕はベッドにいるデュリオの許へ、ジェラールやレオンスまでもがやって来て、デュリオの帰還と回復を喜んでくれた。

 ただ、レオンスにはそこまで無理をしてオリヴィアに会いに戻ったのに寝込むなど、本末転倒だと笑われてしまった。

 父である侯爵は王宮で何か問題があったらしく、屋敷にはここ数日戻ってきていないらしい。

 デュリオはレオンスの言う通りだと自嘲しながら飾り棚へと近づき、オリヴィアから贈られた花を見つめた。

 花たちは直射日光が当たらない場所に置いてはいるが、それにしてもずいぶん生き生きとしている。


「さすがに、お前たちはオリヴィアが選んだだけあるな」


 花たちに話しかけて、ふと我に返ったデュリオはくすりと笑った。

 オリヴィアもよく話しかけていたが、ジステモ教授も同じように話しかけていたことを思い出したのだ。

 植物は話せないだけで、人間の言葉をちゃんと理解しているとは教授の持論である。

 それも今ならわかる気がするほどに、花たちは見ているだけでデュリオに元気をくれた。


 午後になり、母から久しぶりに一緒にお茶をしようと誘われていたデュリオは、自宅とはいえ礼儀を守って着替えていた。

 そこに、急な来客を告げられて驚く。

 訪問者はブレイズ・ルゼールだというのだ。


 アンドール侯爵夫人は、家族の誰か――主にエリカだが、病気や怪我をして寝込むことになると、全ての社交を絶って看病に当たる。

 来客も余程のことでない限り断るので、ここ数日は侯爵家に訪問客はない。

 今日も同様だったはずなのだが、それでも優秀な執事のクレファンスが断ることなく、通したということは余程のことだと判断したのだろう。


(まさか決闘の申し込みなんてことはないはずだが……)


 オリヴィアについてのことであるのは間違いないが、ルゼールはそのような後先考えない人物ではない。

 学院ではそれほど親しくしてもいなかったが、人となりは五年間も同じ学舎で過ごせばある程度はわかる。

 特にルゼールは学年の問題児的三人をさり気なく押さえ、時に上手くフォローしていたのだ。

 なぜあの三人と付き合うのだろうと疑問に思ったこともあったが、ジェストの情報によると親同士が仲良く、腐れ縁のようなものらしい。


 急ぎ応接間へ行くと、母がすでに応対してくれていた。

 デュリオが部屋に足を踏み入れると、ルゼールは侯爵夫人への礼儀も忘れたのかデュリオへ詰め寄る。


「アンドール! オリヴィアが大変なんだ!」

「オリヴィアが? 怪我でもしたのか!?」

「い、いや、違う。身体的には問題ないんだけど、オリヴィアの不名誉な噂がすごく流れているんだよ!」

「まあ……」


 不名誉な噂と聞いて驚きの声を上げたのは侯爵夫人だ。

 女性として、それがどれだけつらいことかは十分に理解している。

 実際、二十数年前には〝婚約者に見捨てられた令嬢〟として、数々の悪意ある噂にさらされていたのだ。


「ルゼール、いったい何が――どんな噂が流れているんだ?」

「それが……今朝、僕も領地から戻ってきたばかりで、母から聞かされたんだけど、僕とオリヴィアが駆け落ちの計画を立てているって……」

「駆け落ち?」

「もちろん、嘘だよ! 僕とオリヴィアの間には友情しかないんだから!」


 呆然と呟いたデュリオに、ルゼールが慌てて否定する。

 一瞬でも疑ったことが恥ずかしくてデュリオはかすかに顔を赤くした。


「どんなことでも隙を見せれば、社交界ではすぐに下品な憶測をされてしまうものね。デュリオ、ごめんなさいね。私もしばらくお付き合いを絶っていたから、知らなかったわ」

「いえ、母さんのせいではありませんよ。のんびり寝ていた私が悪いのですから」

「あなたが悪いわけではないわ。でも、問題は誰が悪いかではなくて、今のオリヴィアさんが置かれている状況よ。きっとつらい思いをしているに決まっているわ。失礼だけど、あのお母様では、まったく頼りにならないでしょうから」

「頼りにならないどころか、追い詰めているよ! 聞いたところによると、オリヴィアは毎晩どこかの夜会に出席しているそうだから!」

「まあ、なんてむごい……」


 ルゼールの言葉に、夫人は息を呑んだ。

 未婚の女性が男性関係の悪意ある噂にさらされながら、毎晩夜会に出席しなければならないなど、拷問に等しい。

 デュリオは両脇でぐっと拳を握り締め、誰にぶつければいいのかわからない怒りを抑えた。

 無責任に噂を流す者たちにも、子爵夫妻にも怒りが募るが、自分への怒りが一番に勝っていた。

 だが、怒っている場合ではないのだ。


「母さん、今晩オリヴィアが出席する夜会を調べて、僕たちも出席できるよう手配してくれるかな?」

「ええ、任せてちょうだい」

「ルゼール、悪いが今晩は、私に付き合ってくれ。二人仲良くしていれば、馬鹿げた噂もひとまずは嘘だと思わせられるだろう?」

「もちろんかまわないが……。ひとまずって、では次にどうするつもりなんだい?」

「オリヴィアに求愛するよ。回りくどいことはせず、今度こそ堂々と」

「あら、素敵」

「同感です」


 決意漲るデュリオの言葉に、夫人は嬉しそうに微笑み、ルゼールも同意した。

 オリヴィアを守ると誓っておきながら何もできなかった自分が今できるのは、この悪意ある噂を払拭することだ。

 まるでオリヴィアを見世物にするようで気は進まないが、どうか許してくれますようにと願う。


 デュリオは詳細を後で知らせると約束してルゼールと別れると、部屋へと戻った。

 そして、オリヴィアからの花へと近づき、その艶やかな花弁にそっと触れる。

 それだけで、デュリオは勇気をもらえた気がしたのだった。




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