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「何だ、せっかくの婚約者からの手紙なのに、ため息なんて吐いて。『お体にお気をつけてください』なんていじらしいじゃないか」
「殿下、勝手に人の手紙を読まないでください」
「何を言うんだ。読んでくださいとばかりに机に広げてあれば、誰だって読むだろう?」
「そうですね、それが公共の場ならその通りだと思います。ですが、ここは私の部屋で鍵もかけていたはずなんですが?」
「馬鹿だな、デュリオ。私はこの国の王子だぞ? 私に入れない場所はこの寮にはない」
「要するに合鍵を寮監から奪ってきたんですね? さっさと返してきてください。そしてそのままご自分のお部屋にお戻りください」
「なぜだろう。私はこの国の王子だというのに、お前からの敬意が感じられない。たとえお前がこの国の者でなくても、敬意は必要だと思うぞ?」
「では、それに見合うだけの行動をしてください。ルシアーノ・メイアウト王子殿下。さあ、さっさとお部屋に戻って課題を終わらせてください。ご自分のお力で」
デュリオは寮の廊下へ繋がる扉を開けて、不法侵入をしてきた学友――ルシアーノに退室を促した。
ルシアーノはぶつぶつ言いながらも素直に出ていく。
このやり取りももう何度目かわからない。
もうすぐデュリオがメイアウト王立学院に編入して一年が経つのだ。
どの国の王立学院も外国からの編入生は注目されるが、そこまで珍しいわけでもない。
それなのに、なぜかデュリオはルシアーノ王子に気に入られてしまい、こうして付きまとわれていた。
デュリオにとっては王子と親しくなることは願ったり叶ったりではあるのだが、問題が一つ。
「あ、そうそう。言い忘れるところだった」
扉を閉めようとしたデュリオに、ルシアーノが何かを思い出したらしく振り返る。
その顔にはにやにや笑いが浮かんでおり、嫌な予感しかしない。
「……何でしょう?」
「今度の休みにさ、マリエラがお前を連れて帰ってこいって言うから、予定あけといてくれな」
返事を求めていないところが王子らしい。
要するに、予定がすでにあってもあけろということなのだ。
デュリオは諦めのため息を吐いて、扉を閉めた。
もう了承の返事をする気にもならない。
問題とは、ルシアーノの妹――マリエラ王女のことであった。
マリエラ王女と初めて対面したのは、年に一度の学院の文化祭。
そこで、ルシアーノの腕にぶら下がったまま紹介された王女は、文化祭が終わるころにはなぜかデュリオの腕にぶら下がっていた。
淡く金色の髪に透き通った湖のような瞳を持った可愛らしい王女は〝メイアウトの花〟と呼ばれている。
オリヴィアと年齢以外は何もかもが違う王女は、デュリオには眩しすぎた。――視覚的な意味で。
王女にすっかり気に入られてしまったデュリオは、仲良くなった学友たちに冷やかされ、羨ましがられたが、はっきり言って迷惑でしかない。
マリエラ王女に会えば会うほどに、オリヴィアに会いたくなってしまうのだ。
豊かに実った麦の穂のように風に揺れる柔らかそうな髪に、大地の温かさを映したような茶色の瞳。
静かな口調で語られる話は優しさに溢れており、デュリオの話を聞く時には瞳を輝かせ、鈴の音のような声で笑う。
そして自分の大切なものを守るためには強くなれる。
一緒に過ごすだけで、どれだけ癒やされることか。
そんなオリヴィアと違って、甘やかされて育ったらしい王女は、七歳のエリカでも言わないような我が儘を平気で口にする。
甲高い声で誰にも彼にも命令を下し、気に入らなければ癇癪を起こすのだ。
仕方なくルシアーノもデュリオも付き合うが、内心ではうんざりしていた。
おそらくデュリオにこだわっているのも、手に入らない相手だからだろう。
デュリオは再び大きくため息を吐いて、机に置いていた手紙を大切に折り畳み、鍵付きの引き出しへと仕舞った。
オリヴィアからはきっちりひと月に一度手紙が届く。
その内容は女学院でいかに楽しく過ごしているかが大半で、残りは植物のこと。
デュリオについては、返事のお礼とその内容で楽しませてもらったという二度目のお礼。
何度読み返しても、『会いたい』とも『寂しい』ともなく、ましてや『好き』なんて言葉どころか、それに近い言葉もない。
最後の締めくくりに、デュリオの体を気遣う言葉が添えられており、それだけが自分を気にかけてくれていると感じられるのだった。
(不毛だ……)
デュリオはベッドに横になり、ごろりと仰向けに寝転んで天井をぼんやりと見つめた。
離れている時間が愛を育むなどと聞いたことがあるが、今のままでは枯れているのではないかと思える。
それでも、オリヴィアがわずかでも自由を得て選んだことならば、受け入れよう。
ただし、素直に受け入れるつもりはない。
当然、悪あがきはするつもりだ。
もうすぐ学院を卒業する。
ルシアーノ殿下をはじめとした新たな友人もでき、メイアウト王国の内情も少しばかりではあるが知ることができたこの一年は、実に有意義だったと思う。
そういう意味では、父の命令に感謝していた。
そして、この次に向かう場所ももう決めている。
魔法薬学と植物学の世界的権威であるジステモ教授に会いにいくのだ。
ただ、ジステモ教授は珍しい植物採取のために、世界中を飛び回っており、捕まえるのが難しいらしい。
教授自身が珍種のような存在である。
教授の著書を何冊も読み、オリヴィアの力――植物の声が聞こえるというのも、教授なら何か知っているのではないかと考えていた。
特に『魔法と植物の関係性』はとても興味深く、デュリオ自身もっと話を聞きたいと言うのが本音でもあった。
当然、オリヴィアの名前を出すつもりはない。
それでも力のことを隠したがっているオリヴィアに余計なことを、と嫌われないかと心配もしている。
何事も綿密に考え、失敗しないように行動する自分は祖父似だと思う。
直感で決め、失敗を恐れず大胆に行動する父や祖母ならきっと、オリヴィアに対してももっと真っ直ぐに感情をぶつけているはずだ。
月に一度の手紙をただじっと待って、手紙に毎回出てくる友人のローラ・アジャーニ嬢を羨ましいと思ったりなどしないだろう。
(やっぱり不毛だ……)
自分は父や祖母のようにはなれないし、もちろんローラ嬢にもなれない。
それなのにこんなふうに考えること自体が非生産的である。
ならば行動あるのみなのだが、婚約という枷でオリヴィアを縛っている状態では不公平だろう。
そもそもオリヴィアが本当の意味で自由になるには、あの両親から――カルヴェス子爵夫妻の手から離れなければ無理なのだ。
姉のマヌエラや兄のジェストのように上手く立ち回れば、あの過干渉から逃れることもできるのだろうが、デュリオと婚約したことでオリヴィアに対しては厳しくなってしまったらしい。
(早まったよなあ……)
あの時は、オリヴィアに堂々と会うには婚約しかなかった。
そもそも事故がなくても、他に手段はなかったと今でも思う。
ジェストは、この婚約はオリヴィアにいい効果をもたらしているのだから感謝していると言っていたが、やはり無理をさせているのではないかと考えてしまうのだ。
(あと一年か……)
子爵にはあっという間だと言っておきながら、デュリオにとってはやはり長い時間だった。
ジェストに近況報告という名の探りを入れる手紙を送ったが、返事の内容は学院のことばかりで、オリヴィアについては『楽しくやってるみたいだ』とだけ。
絶対にジェストはデュリオの気持ちをわかっていてやっている。
そう確信が持てるほどに、ジェストの性格が悪いことをデュリオは知っていた。――ジェスト本人はよく〝愛の鞭〟だと言っているが。
オリヴィアのことを想い切なくなっていた気持ちも、悪友の顔が浮かんで台無しになってしまった。
本当にあの二人が兄妹とは思えないが、そもそもあの子爵夫妻からオリヴィアたち三人が生まれたことを考えても不思議でならないのだから、それが家族というものなのだろう。
(エリカは元気にしているかな……)
家族のことを想い、出発前に泣いて「行かないで」と言っていた妹のことを考えて、胸が温かくなる。
エリカは五日に一度は手紙を送ってくるのだが、そのほとんどがジェラールの友人であるレルミット侯爵家の〝ギデオン様〟で占められていた。
兄としてはかなり複雑な心境である。
そのためかどうなのか、エリカの手紙には毎回家族の誰かしらの手紙も一緒に添えてあり、どうやら当番制になっているらしい。
それはそれでどうかと思うが、家族らしいといえばらしいので、デュリオは毎回律儀にエリカとその時の当番に宛てて返事を書いていた。
(……明日は、オリヴィアに返事を書こう)
夜に手紙を書いてもろくな内容にならない。
そのことをよくわかっていたデュリオは、何を書こうかと考えながら上掛けの下に潜り込み、光魔石の明かりを消す。
何をしていても、結局最後はオリヴィアのことを想いながら眠るのだった。




