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68話 その性質の名は

 ヴァイスが闇の竜王に評されるところの『図太さ』を発揮するのは、いくつかのケースに限られる。


 一つ、遠からず死ぬ状態であると本人が確信している時。

 ここで図太い要求をしなければ死ぬのだから、それはまあ、図太くもなるだろう。

 こちらは彼女の性質というよりも、あらゆる生命共通の『死を遠ざけるための精神の働き』と言えよう。


 もう一つ、自分の行動が間違いではないと確信がある時。

 こちらも彼女特有の性質というわけではない。

 間違えてないと確信に足る行動をしようというのなら、それはまあ、ある程度図太くもなるだろう。誰だってそうだ。


 つまるところ、ヴァイスは特別な少女というわけではない。


 それどころか、本人の性格としては『臆病』に分類されるだろう――ヒトが普通に持っている火事場のクソ度胸はありつつも、基本的には自ら行動を起こすことのできない気弱な性分の持ち主なのだった。


 ヴァイスがムートに『集落の外に出たい』と告げられないのは、そのあたりの性分を要因とするところが大きい。


 ダンケルハイトにより『ムートも知ってる。闇の竜王様は声がでかいから、相談したが最後、すべてに伝わる』みたいなことを言われたし、それには納得もしたけれど、やっぱり自分の口から大事な話をするのは怖いので、引き伸ばしてしまうところもあるのだった。


 それでも、ヴァイスは変化を望んだ。


 ここらあたりが闇の竜王の評するヴァイスの『図太さ』の要因でもあるが、ヴァイスは追い詰められると『止まる』より『進む』を選ぶ性格をしている。

 切羽詰まって悩みに悩んで、状況が煮詰まって思考がぐるぐるループすると、ある周回で『もう、行っちゃおう』と思う――開き直るわけだ。


 だから、ヴァイスは、たとえば朝起きた時、あるいは昼食をとっている時、もしくは夜眠る前にふと、ムートに集落を出る旨を伝えようと決意する。


 ところが、その決意が行動に移ることはない。


 いや、移そうと本人はして、あと一瞬もあればムートに告げるところまではいくのだが……


「ヴァイス。ちょっと」


 というように、ちょうどヴァイスが決意した表情をすると、ニヒツから呼びかけられてしまうのだ。


 ニヒツというのは翼を持つ双子のうち、妹の方だ。

 金髪碧眼のかわいらしい女の子で、表情がえらく死んでいるせいで人形めいた不気味さもありつつ、それでもなにかを要求されるとたいていのことは聞いてしまいたくなるような、儚さとかわいらしさを持っている。


 このニヒツ・インターセプトのタイミングは実に巧妙で、『あと一瞬あればムートに話を切り出せた』というまさにその瞬間、すっと現れてすっと声をかけてくるのだった。


 これに『少し待ってて。今、ムートに大事な話をしようとしているの』と答えられるヴァイスであればなんの問題もなかろう。

 しかし、ヴァイスは気弱さと臆病さの他に『自己の価値を低く見積もる癖』があった。


 ムートに話を切り出すというのは、あくまでも、ヴァイスの都合による、ヴァイスだけの問題だ。

 それはニヒツやクラール、ムートなどから持ちかけられる用事より、優先度が高くない――そのようにヴァイスは判断するのであった。


 そうしてニヒツに呼びかけられて出向いた先でなにがあるかと言えば、とりとめもない、主題のはっきりしない、あとに回してもいいような雑談である。


 そういうことが続いていくと、さすがに、ヴァイスも理解してしまう。


 ニヒツは、ヴァイスがムートに話を切り出すのを、わざと遮っている。


 だから、ヴァイスはますます迷うのだ。


 ――話を切り出してしまってもいいのか?


 話を切り出すことで、ニヒツが困るのではないか?


 ……闇の竜王の声は大きく、この集落にいる者で、闇の竜王にもちかけられた相談の内容を知らない者は、いないと言われている。

 つまり、ムートがすでに『ヴァイスは集落を出るつもりだ』という情報を持っているのと同様に、ニヒツもまた、同じ情報を持っていて……

 その決断を伝えることを、あえて邪魔している。


 ヴァイスはそう考えた。

 どうしてそうするのかはわからないし、気弱さから聞くこともできないが……


 自分は本当に出ていくべきなのか?

 それでいいのか?


 ヴァイスはまた、迷い始めた。


 ニヒツの意図は彼女には難しく……


 また、『闇の竜王を森に呼び出してみんなに聞こえないように内緒話をする』という、ヴァイスやダンケルハイトなどが恐れおおさから思いつきさえしないことをしてのけたムートの意図も、ヴァイスはまだ知らない。


 ここで『ニヒツに直接問いかける』ということができればまた違った展開はあるのだろうけれど、ヴァイスは直接問い詰めることを『最後の手段』と考えているところがあった。


 直接問いかける――問い詰めるという行為がなにか取り返しのつかない攻撃的なものに思えてしまうのだった。


 そうするのがもっとも話が早いとは思いつつ、いざ直接的な質問をぶつけようと思うと、『怒らせてしまわないか』とか『不興をかわないか』とか――

『傷つけてしまわないか』とか。


 ……そういう不安がどうにも胸中にうずまいて、踏み出すことができない。


 それは臆病さであり気弱さであり、言い方を変えるならば優しさと呼ばれる性質だった。

 遠慮深さでもあったし慎重さでもあった。


 場合と受け取り手によって、どう言い換えられるか様々なこの性質は、今、この時において、第三者からすれば『じれったさ』だろう。

 けれどそれを打開する一手をヴァイスが打つことはできず――


 この状況は、ヴァイス側からではなく、解決に向かっていくことになる。

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