二律背反
「ジェラルド……?」
吐息がかかりそうな距離まで、顔が近づく。心臓が大きな音を立てて早鐘を打ち始める中、エメラルドのような美しい瞳に映る、間の抜けた顔をした自分と目が合った。
「あいつに何をされたの?」
「何って、」
「好きだとでも言われた? 触れられた?」
作り物のように整いすぎた顔からは、何の感情も読み取れない。人形のようにも見えて、ぞくりとしてしまう。
「ねえ、セイディ。答えてよ」
「……わ、私は、」
「このままじゃ僕、君に酷いことをしてしまいそうだ」
そう言って、彼は私の頬をするりと撫でた。目の前の彼は私の知っている、優しいジェラルドとはまるで別人だった。
「ルーファス・ラングリッジのこと、好きになった?」
問い質すような、責めるようなジェラルドの言葉に対して私はすぐに首を左右に振る。すると彼は安堵したように、柔らかな笑みを浮かべた。
「……良かった。僕はなるべく、セイディに嫌われるようなことはしたくないんだ」
私に嫌われるようなこととは一体、何だろう。
「ねえ、好きだよ。本当にセイディが好きなんだ」
「…………っ」
「お願いだから僕を選んで。結婚しよう? セイディの為なら何でもするし、僕以上に君を愛していて条件の良い男はいないと思う。今はまだ好きになってくれなくてもいい。セイディを幸せに出来るのは、僕だけだよ」
そう言った彼は、何故かひどく焦っているように見えた。
理解を超えた愛の言葉を並べ立てられ、縋るような視線を向けられた私は、どう返事をすべきなのか分からず、ただ彼を見つめ返すことしかできない。
ジェラルドのことはもちろん、好きだ。けれど彼と結婚するなんてこと、想像もつかなかった。
彼の言う通り、こんな状況の私を好いてくれて求婚してくれる人なんて他にいないだろう。彼と結婚することは、伯爵家にとっても良いに違いない。そう、分かっているのに。
何故か思い浮かぶのは、ルーファスのことだった。
◇◇◇
「セイディさんがそんなことを……?」
「ああ。どういう意味なんだろう」
本日分の仕事を終え、ルーファスと共に休憩室で茶を飲んでいたところ、彼女に「女の人がいる場所では酒を飲まないで欲しい」と言われたという話を聞かされていた。
先日、なんと酔った彼は彼女と同じベッドで寝ていたらしい。間違いなく自分が引き止めてしまったからだと思ったルーファスは、プレゼント片手に謝罪に行ったんだとか。
何にせよ距離が縮まったなら良かったのでは、と言ったところ、むしろ気まずくなったと彼は肩を落とした。心なしか彼女の態度も素っ気なくなったらしい。
「ああ、そうだ。前団長から手紙が来ていましたよ」
「アントンさんから?」
「はい。沢山の差し入れと共に」
どうやら彼とは、大司教を訪ねた際に会ったらしい。
そうして渡した手紙を何気なく開いたルーファスは、はらりと手紙を落とし、口元を押さえた。その顔色は、一瞬にして真っ青なものになっていく。
「一体、何があったんです……!?」
まさか誰かの訃報かと尋ねたところ、ルーファスは震える手で手紙を拾い、俺に手渡した。読んで良いということなのだろう。俺は受け取るとすぐに目を通した、けれど。
「……………」
そこには『大分お楽しみだったようだな。心配で後から様子を見に行った所、可愛い、好きだ、愛してるというお前の声がドア越しにずっと聞こえてきたぞ』と綴られていて。
顔を上げてルーファスを見れば、両手で頭を抱えていた。
「まさか、酔ってこんなことを言っていたなんて……セイディは優しいから、黙ってくれていたんだ……」
どうやら酒に酔い、記憶を失っている間に彼女に対して愛を囁き続けていたらしい。翌朝、彼女と寝ていたらしいことを考えると、大方抱きつく位はしていたのかもしれない。
前団長が嘘をつく人ではないことも分かっていた。間違いなく、ここに書かれていることは事実だろう。
「……まさか、女性のいる所で酒を飲むなと言うのは、」
そこまで言うと、ルーファスの表情はこの世の終わりのような表情を浮かべた。その瞳は、不安の色で揺れている。
「俺はセイディに、誰にでもそんなことをする人間だと思われているのか……!?」
やがて「消えてなくなりたい」「セイディに合わせる顔がない」「こんなつもりじゃなかった」と呟きながら、ルーファスは机に思い切り頭を打ちつけた。
そんな彼にかける言葉など、流石に見つからない。きっと彼の予想は当たっている。俺が彼女の立場でも同じことを思ったに違いない。
過去に何度も彼がひどく酒に酔っている姿を見たことはあるけれど、女性に絡むことなんて一度も無かった。むしろどんな美女に言い寄られても、冷たくあしらっていたくらいで。
彼女だからこそ、そんな行動に出てしまったことは間違いない。けれどそんなこと、もちろん相手は知らないのだ。
「絶対に引かれた……それなのに俺は呑気にプレゼントなんて……一体どうしたら……」
「もう、本当に好きだと言ってしまえばいいのでは?」
「今好きだと告げたところで、彼女の負担になるだけだ」
彼女を取り巻く事件が解決していない今、余計な負担を掛けたくないらしい。
ルーファスらしい考えではあるけれど、このままでは酔った上での戯言だと思われてしまう。間違いなくルーファスにとっては、本音だったというのに。
「いずれ事件を解決した後に想いを告げて、セイディにもう一度結婚を申し込もうと思っていたんだ」
「なるほど」
「……だが5パーセント程だった成功率は、0になった」
そうしてルーファスは、再び「終わった」と呟き頭を抱えた。誤解が解けるまで、永遠にへこみ続けるに違いない。
酒のせいとは言え、ずっと想いを寄せていた彼女に想いを告げたところ、酔うと誰にでも愛を囁く男だと思われてしまったのだ。自業自得だとしても、あまりにも不憫だった。
「とにかく、謝りましょう。そして俺もルーファスが普段そんなことは絶対にしないと、口添えしますから」
「……すまないが、本当に頼む。本気で泣きそうだ」
そして一秒でも早く誤解を解きたいというルーファスの意思を尊重し、明日アークライト伯爵家を訪ねることにした。




