迫りくる黒雲
……………………
──迫りくる黒雲
1733年2月。
魔王軍の東部占領地域を走る鉄道路線に異常なまでに巨大なものが姿を見せた。
「おお。これが……」
「列車砲ですな」
路線に入ってきたのは口径305ミリの列車砲だ。
北方軍集団司令官のブラウ上級大将たち自らが、その列車砲部隊を出迎えた。
「これでグスタフ線を突破するのですか……」
「ああ。グスタフ線に猛砲撃を浴びせるのだ」
この列車砲の目的はグスタフ線への砲撃だ。この列車砲は同要塞線を砲撃によって破壊するために動員されていた。
「これから同型の列車砲が12台配備される予定です。砲撃によってグスタフ線を突破することも可能になるでしょう。これによってグスタフ線がドワーフどもの無駄なあがきになるのは時間の問題ですな」
「油断はできない。列車砲はいろいろと問題も大きいからな……」
「ええ。展開に時間がかかることや、まさに我が軍を悩ませているパルチザンの標的にもなってしまうことですね」
「それから対砲迫戦においても不利だ。ドワーフたちが作っていたトンネルを掩蔽壕として利用する予定ではあるが……」
参謀が言うのにブラウ上級大将が顎をさすりながらそう述べた。
砲兵というのはただ後ろから大砲を撃つだけの簡単な仕事ではない。
砲兵は敵の砲兵によって狙われるものなのだ。対砲迫射撃といって相手の砲兵を叩くための砲撃は、この時代から既に行われていた。
だから、火力を重視する魔王軍においても、敵に対する対砲迫射撃は重視していたし、同時に敵の対砲迫射撃には備えていた。
何故装甲化されたトロールが火砲を牽引しているのかといえば、まさに敵の対砲迫射撃から火砲を守るためである。トロールによる素早い陣地変換を行って、敵の砲兵に捕捉されることを避けるのだ。
しかしながら、列車砲は流石にトロールで引くには大きすぎる。また砲弾が大きくて装填に時間がかかることや、線路上でしか機動できない列車砲は、対砲迫射撃にめっぽう弱い存在であると言えた。
もちろん、大口径砲弾を使用するため射程距離は長いし、敵の対砲迫射撃から逃れるための掩蔽壕としてドワーフたちが作っていたトンネルを利用している。無策なわけではないのだ。
こうやって魔王軍の守るヴィオレット線には列車砲が次々に配備され始めていた。
このような動きはここだけではない。
ブラウ上級大将の指揮する北方軍集団には、新規編制の部隊が相次いで送り込まれてきたし、その中にはゴルト少佐が指揮している第501独立重装地竜大隊と同じ編制の部隊も存在していた。
また第3航空艦隊にはグレートドラゴンとしてウィッテリウス、ウェスパシアヌスの他にドミティアヌス、ティトゥスが2体配備された。
さらには魔王海軍もその母港を、ウィッテリウスの爆撃で破壊されたのちに整備しなおしたノルトハーフェンへと移している。
これは1732年の演習に次ぐ、新しい演習ということになっていた。しかし──。
「報告いたします」
王都バビロンの王城にてシュヴァルツ上級大将が声を上げる。
「陸軍参謀本部はグスタフ線攻撃計画を赤色計画として策定。北方軍集団はこの計画に基づく配置に就きつつあります」
魔王陸軍はグスタフ線攻撃に向けた計画ができたことを、シュヴァルツ上級大将は報告していた。そう、ついに魔王軍はグスタフ線を突破してニザヴェッリルの残る西部を征服しようとしているのだ。
これにはいくつかの理由が存在する。
「国家保安省。状況について改めて説明を」
「はい、陛下」
ここでジェルジンスキーが発言。
「まず汎人類帝国は東部占領地域のパルチザンを間違いなく支援しています。先の墜落していたグリフォンと身元不明の死体から、そのことが導き出せます」
国家保安省はついにどうやって汎人類帝国が東部占領地域の情報を手にしているかを把握した。これまでは無線の傍受を疑っていたが、そうではないということがはっきりしたのである。
「これは明らかなカッツェハイム停戦協定違反であり、許しがたいことです」
ひとつ、汎人類帝国による停戦協定違反。
「さらに汎人類帝国はエルフィニアに対して海軍と空軍を駐留させることを提案しています。将来的にエルフィニアを前進拠点とするためでしょう。海軍はセリスティア、空軍はアルヴァリオンにそれぞれ駐留予定です」
「規模は?」
「海軍は主力艦6隻を中心とする艦隊。空軍は1個航空軍団規模です」
「これに進出されると面倒なことになるか、カリグラ元帥?」
ジェルジンスキーの報告にソロモンはカリグラ元帥に問う。
「我らが魔王。確かにアルヴァリオンから通常のグリフォンならば工業都市ダエーワを爆撃し、基地に戻ることができる。そういう意味では、汎人類帝国の進出は危惧すべき状況であると言えよう」
「空軍は防空戦闘を得意としないか」
「最善は尽くすが、技術的な遅れは未だ大きい。今もなお魔力探知機が導入できていないのが、もっとも致命的だ。相手はこちらの位置を把握できるが、我々は向こうを把握できないのだから」
「分かった。そのように考えておこう」
カリグラ元帥は魔力探知機を以前から求めていた。空軍がもっともそれを必要としているとして。しかし、未だに魔王軍は魔力探知機を手に入れることも、製造することもできずにいた。
ひとつ、工業都市を射程に収める汎人類帝国空軍部隊展開の恐れ。
「他に報告は?」
「もう一点。ニザヴェッリルはグスタフ線の後方にさらなる要塞の構築を始めました。これが完成した場合には、ニザヴェッリルは二重の、強力な防衛線を手に入れることになります」
「完成の予定はいつだ?」
「6か月後の8月にはほぼ完成するかと」
「そうか」
ひとつ、さらなる要塞構築の動き。
「諸君。状況を鑑みるに、残念ながら時間は我々の味方ではないようだ」
ジェルジンスキーの報告が終わったのち、ソロモンは全く感情を見せずに、どこまでも静かにそう言った。
「我々は時間が経てば経つほど、危機的な状況に陥るだろう」
パルチザン対策の負担。汎人類帝国空軍による工業都市爆撃の危機。そして、グスタフ線が突破不可能になる可能性。
魔王軍が待てば待つほど、彼らは不利になっていく。
「よって、だ。我々は早期に戦争をしなければならない。やむを得ないことに」
ソロモンはそう決断していた。
一度始めた戦争によって、もう戦争の連鎖は止められなくなってしまった。
この世界は所詮はやるかやられるかの弱肉強食だ。そう、弱みを見せれば食い殺される。食い殺されたくなければ食い殺すしかない。
ソロモンは戦争を決断せずとも、三国同盟側から戦争を始めるだろう。彼らはニザヴェッリルの東部奪還を目指しているし、もっと言うのであれば魔王軍という脅威がこの世からなくなることを望んでいる。
「願わくば我々が今回も勝利することを」
ソロモンはそう言った。
……………………




