漁村
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──漁村
北を目指すカザーレ大尉。
図らずも北方海からの救出を試みる汎人類帝国。
北に逃げたカザーレ大尉を追う魔王警察軍。
カザーレ大尉はもう少しで北にたどり着きそうな中、魔王軍の追手も迫り、少しでも歩みを止めれば追いつかれかねない状況になっている。
この間にも、魔王軍と三国同盟側の軋轢は増し続け、緊張は拡大している。
大規模演習か、戦争準備なのか。それすら分からないままに挑発の応酬が起き、疑心暗鬼の中で先制攻撃論が出始めていた。
三国同盟は既にカザーレ大尉が拘束され、魔王軍にエスポワール作戦のことが伝わり、それによって魔王軍が戦争準備を行っていると、そう思い始めていたのだ。
よって、敵の攻撃を受ける前に予防攻撃として、ヴィオレット線に先制攻撃を仕掛けようという提案が、帝国海外遠征軍の参謀たちの間で出始めていた。
「先制攻撃はあり得ない」
今のところ司令官のクールベ大将は先制攻撃の提案を拒否していたが、彼としても魔王軍に先手を取られることを恐れてはいた。
グスタフ線は汎人類帝国も手を貸した近代的要塞だが、魔王軍には第一次土魔戦争にてニザヴェッリル軍の要塞線を突破したという実績がある。
それに言うではないか。要塞に籠るものは負ける、と。
そうであるが故に密かにヴィオレット線攻撃計画の立案が始まっていた。
この先制攻撃論は魔王軍内でも出ており、既にソロモンはシュヴァルツ上級大将に命じてグスタフ線の攻撃計画を立案させ始めていた。演習に動員した兵力を、そのまま侵攻に使用する計画だ。
両陣営の緊張は収まるところを知らない状況であった。
そんな中、汎人類帝国海軍は救出部隊となる1個分隊の海兵隊の動員を終えていた。既に彼らは自分たちが乗り込む予定だったT-21水雷艇に搭乗し、作戦開始の合図を待っていたところだ。
「諸君。我々はこれよりヴィオレット線後方に向かう」
ここでようやく指揮官から作戦内容が知らされる。
「そこで我々は墜落した空中騎手を救助する。かの空中騎手が魔王軍に拘束されることは戦争の勃発を意味する。諸君、気合を入れていくぞ!」
「了解!」
この海兵隊1個分隊の指揮官はギー・オサレス曹長で、彼は10名の小銃で武装した部下を率いていた。
装備は汎人類帝国のフレジール小銃。口径7.7ミリ弾を使用するボルトアクション式連発銃である。汎人類帝国は魔王軍に先んじて、この火力の高い装備を導入しており、既に全軍に行き渡るほど配備されていた。
この小銃は輸出もされており、汎人類帝国以外も装備している。
そして、今回オサレス曹長が指揮する部隊は汎人類帝国海兵隊の軍服を着ていない。彼らはエスポワール作戦に従事していた将兵と同じように、自分たちが汎人類帝国の所属だと分からないようにしている。
水雷艇は出撃し、北方海をヴィオレット線の向こう側へと向かう。
だが、その道中は必ずしも楽な航海ではなかった。
この時期の北方海が比較的穏やかであっても水雷艇のような小型艦にとっては大荒れの天気のように艦体が揺さぶられる。今にも横転するのではないかというほどに揺れて、海兵隊員たちも嘔吐を繰り返す。
それでも水雷艇は必死にヴィオレット線後方を目指し、そこにある小さな漁村へと向かった。情報部によれば漁村には鉱夫旅団の工作員が待機しているらしい。彼らはそこで魔王海軍の動きを監視しているとのことであった。
魔王軍による探知を避けるために、やはり深夜に漁村に接近することになり、ニザヴェッリル海軍から渡された海図だけを頼りに、水雷艇は北方海を駆け抜ける。
「艇長。そろそろ見えてくるはずなのですが」
「うん。向こう側から合図がある。その予定だ」
北方海を沿岸部を避けてぐるりと回り込むようにしてヴィオレット線後方の魔王軍東部占領地域に近づいた水雷艇。漁村には灯りがあり、それが目印になるはずだった。
「見えた。灯りだ」
そして、水雷艇は漁村へと警戒しながら近づいていく。
そのころ、カザーレ大尉は鉱夫旅団のパルチザンたちに支援されて、同様に北部を目指していた。彼は疲弊しながらも戦争を回避するために、そして自分が生き残るために必死になっていた。
その鉱夫旅団に1台だけ存在する無線機から呼び掛ける声が聞こえてきたのが、カザーレ大尉が間もなく、北に向かう途中にある最後のトンネルを潜ろうしたときだ。
「大尉。いい知らせだ。我々の仲間が北で汎人類帝国海軍があなたを待っていると言っている。北部にある名もない漁村だ」
「本当なのか? 敵の罠である可能性は?」
「我々しか知らない暗号を使っていた。間違いない」
ここにきて希望が見えてきた。祖国はカザーレ大尉を見捨てていなかったのだ。
「ありがとう。では、そこに向かおう」
「ああ。すぐに──」
そこで銃声が響いた。
「魔王軍だ! 警察軍の部隊が向かっている!」
「クソッタレ! こんなところで……! お前たちは大尉を連れて北に向かえ! 我々は警察軍を足止めする! 急げ、急げ!」
鉱夫旅団のドワーフたちはトンネルで陣地を築いて迫りくる警察軍部隊を迎え撃とうとし始めた。彼らは寄せ集めの銃火器を構えて、同時にトンネルの爆破準備を進めた。
山間に掘られたこのトンネルが爆破されれば、大きく数十キロも迂回しなければカザーレ大尉を追跡するのは難しくなる。
ドラゴンやワイバーンが動員されているならば、上空から追跡が可能だろうが、文民派閥を築いて軍や国家保安省に対抗する姿勢を見せ始めた内務大臣のメアリーを、空軍のカリグラ元帥は既に政敵と見做し、協力に慎重だった。
そんな幸運の連鎖でカザーレ大尉は警察軍を振り切った。
鉱夫旅団のドワーフたちは警察軍と30分に渡って銃撃戦を繰り広げたのちに、トンネルを爆破。警察軍の将兵が崩落に巻き込まれ、その救助のために警察軍は大きく時間を取られてしまった。
「こっちだ、大尉! 急げ、急げ!」
鉱夫旅団のドワーフに導かれて、カザーレ大尉は北へ、北へと走る。喉の渇きも忘れ、必死になって走り続けた。
そして、駆け抜けた先で──。
「あれか!?」
漁村が見え、そこに漁船にしては大きなシルエットをカザーレ大尉は見た。
「カザーレ大尉ですか!?」
「そうだ!」
漁村の方から声が響き、その魔族の訛りがない大陸共通語にカザーレ大尉が返す。
「よかった! 救出に来ましたよ。さあ、この船に乗り込んでください」
「ありがとう、本当にありがとう」
オサレス曹長がカザーレ大尉を水雷艇に招き入れる。
「あなたはどうするんだ? ここで引き返しても警察軍が……」
ここでカザーレ大尉は自分をここまで連れてきてくれたドワーフを心配した。
「俺たちの祖国はここだ。魔王軍に占領されていても。だから、ここに残って戦うさ。あなたはあなたの祖国に戻るといい」
「すまない……」
「では、幸運を、大尉!」
そう言って別れた鉱夫旅団のドワーフたちは武器を取って漁村から去った。
「艇を出すぞ。掴まれ」
それからカザーレ大尉は水雷艇内で衛生兵による手当てを受けながら、グスタフ線の向こう側へと戻っていった。
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