1732年危機
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──1732年危機
1732年9月2日。
ニザヴェッリル西部において汎人類帝国、ニザヴェッリル、エルフィニアは合同軍事演習“アルシェ32作戦”を実行。
ニザヴェッリルにおいては動員も行われた、その演習によってグスタフ線に3か国の軍隊が集結し、魔王軍によるグスタフ線攻撃時の対応を検証および確認した。
これに対して魔王軍は危機を扇動しているとして、同演習がカッツェハイム停戦協定違反だと批判の声を上げた。
1732年の危機はここから始まる。
「ニザヴェッリル軍は現在完全な動員状況にあり、いつでもヴィオレット線に対する攻撃が可能であると報告させていただきます」
そう魔王軍の重鎮たちが集まった会議室で報告するのはジェルジンスキー。
彼の言葉を魔王ソロモンはゆっくりと聞いていた。
「同時に汎人類帝国、エルフィニアにおいても派遣している軍に『戦時体制』を命じております。ニザヴェッリル軍の動きと同調した形ですが、これがただの演習ではないと思われることでもあります」
ジェルジンスキーは今回の演習はグスタフ線からニザヴェッリルが打って出てヴィオレット線を攻撃するための準備だと睨んでいた。
というのも、ニザヴェッリルでは執政官テオドール・エッカルトが、汎人類帝国では首相アンドレ・ボードワンが、それぞれ政治的危機にあるからだ。
テオドールは元老院選挙でねじれが生じて以来、万全のリーダーシップが発揮できず、支持率は緩やかに低下しつつある。
アンドレも同様で、彼はほぼ退陣を決意して行った政治改革によって統一党内外からの支持を失いつつあった。
魔王軍でこのような危機が生じた場合、行うことはひとつ──戦争だ。
ソロモンはそれを証明してしまっている。彼は食料危機が生じたことをきっかけに、ニザヴェッリル侵攻を決意した。国内の不満を国外に逸らすという、独裁国家によくある手法を彼は取ったのだ。
よって敵も同じことをする。ジェルジンスキーがそう考えたのも不思議ではないし、ソロモンがその報告を疑問に思わなかったのも不思議ではない。
「想定されるのはヴィオレット線への攻撃のみか?」
「国内に示せる勝利を欲しているだけならば、です」
「シュヴァルツ上級大将。お前はどのように考える?」
ソロモンはジェルジンスキーの想定をシュヴァルツ上級大将に考えさせた。
「陸軍としましては確かに危機は現実のものであり、これには対抗すべきではないかと。こちらも動員を行い、軍事演習を実施するなどの対抗手段を講じれば、人間たちも迂闊な行動はとらないでしょう」
「演習か。悪くはないな」
ソロモンはシュヴァルツ上級大将の言葉にそう頷く。
彼にも危機感があったのだ。
汎人類帝国はエルフィニア、ニザヴェッリルと相次いで防衛条約を締結した。彼らはかつてのようにいがみ合うのを止め、急速に魔王軍に対抗しようとし始めている。
それによって彼らが防衛条約とは異なる密約を交わし、魔王国領に一斉に攻め込む可能性をソロモンは危惧していた。
今回の大規模な合同演習はソロモンのそのような猜疑心を刺激した。
「シュヴァルツ上級大将。対抗する軍事演習の準備を。ただし、グスタフ線を攻撃するような構えは見せるな。やつらを無駄に刺激する必要はない」
「はい、陛下」
いつでも軍が動けるようにしておくということは一種の安心感を産むが、それがときとして軍の暴走を招き、逆に情勢を不安定化させることもソロモンは知っていた。
「ジェルジンスキー。ヴィオレット線に国家保安省隷下の警察軍部隊を配置して、警戒に当たれ。国境警備のようなものだ」
「畏まりました」
軍を動かしながら、軍の監視者も同時に動かす。物事にはバランスが必要だ。
「メアリー。東部占領地域における治安作戦を強化せよ。侵攻が行われるならば、東部でのパルチザンにも動きがあるはずだ。十二分に警戒を行い、そして万が一のときは軍に通報せよ」
「はい、陛下」
メアリーはグリューンとの関係を修復し、今や文民派閥の長に収まっている。グリューンは面倒な政治をメアリーがやってくれるおかげで、仕事をやりやすくなった。
「では、それぞれが職務を果たすことを祈る」
「魔王陛下万歳」
会議はいつものように万歳の声で閉められた。
「カーミラ。戦争は避けるべきだと思うか?」
そして、残っている侍従長のカーミラにソロモンが問いかけた。
「陛下は戦争を望まれないのですか?」
「これまで私は戦争そのものを求めたことはない。求めたのは戦争における勝利だ。戦争のために戦争をやるほど私は酔狂じゃない」
カーミラが尋ねるのにソロモンはそう返した。
「そうであられるならば勝利が望めるときに戦争を求め、そうでなければ平和を求められればよろしいかと。私も陛下の望みが叶うように尽力いたします」
「お前はなかなか難しいことをいうな。だが、そうであるべきなのだろう……」
魔王ソロモンはこの時点で戦争を望まなかった。それがカーミラがいうところの勝利できない戦争であったからなのかは分からない。
ただ、1732年の魔王軍は新たな編制とドクトリンの導入で慌ただしく、戦争に適した時期ではなかったのは確かだ。東部占領地域に駐留する北方軍集団もヴィオレット線の防衛を第一にしており、今はまだ西部侵攻計画すら存在しない。
この時期に戦争を行うのは確かに無謀だったのだろう。
しかし、誰も戦争を望んでいないにもかかわらず、緊張は増していた。
魔王軍は東部占領地域にてヴィオレット線の防衛を想定した演習を開始。国家保安省が監視する中で、雷雨作戦が決行される。
北方軍集団司令官は引き続きブラウ上級大将。彼はこの演習がソロモン自ら求められたものだとシュヴァルツ上級大将に聞かされており、熱を入れていた。
将兵には実弾が配布され、火砲もほぼ実弾が運び込まれた。もっとも実弾を使った射撃演習というよりも実弾が配布されていく手順の確認の意味合いが強かったが。
魔王軍側からの挑発行為は禁止されていたが、それ以外は許可されており、その範囲で実戦的な演習が行われた。
しかし、これを汎人類帝国を始めとする側──三国同盟側は魔王軍による戦争準備と捉えていた。
何故ならば越境作戦であるエスポワール作戦は継続されており、現地のパルチザンである鉱夫旅団は魔王軍に実弾が配布されたことを報告したからだ。
「魔王軍は実弾を配布したそうだ」
正式に三国同盟側の司令官となったクールベ大将は参謀たちにそう告げ、参謀たちに動揺が走る。
「現時点で我々はより以上の行動を取ることを禁止されている。だが、警戒はするように。魔王軍の演習は演習に偽装した攻撃計画かもしれない」
三国同盟の演習を魔王軍は戦争準備と捉え、それに呼応した魔王軍の演習を三国同盟は戦争準備と捉え、緊張はエスカレートしていく。
そして、1732年危機を決定づける事件が11月に起きる。
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