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とりあえず今は……

……………………


 ──とりあえず今は……



 魔王軍とニザヴェッリル大共和国の和平交渉が行われたのは、これといって特徴もないカッツェハイムという村だった。


 ただ、両軍の勢力圏外に存在したからという理由で選ばれた村の集会場に魔王国内務省より男吸血鬼の官僚セーロフを代表とする3名と、ニザヴェッリル外務大臣ハンス・カウフマンを代表とする3名が集まった。


 議事録にはまずセーロフがニザヴェッリル東部占領の事実を認めるように求めた。ニザヴェッリル軍に取り戻せる能力がない以上、認めざるを得ない話であった。


 しかし、ハンスはすぐにそれを認めず、住民の西部への避難を求めた。ハンスは既に軍情報部から魔王軍が占領地でドワーフを奴隷として集団農場の建設を始めていることを知っていたのだ。


 どちらも自分たちの要望を認めろという応酬が繰り返される中で、先に折れたのは意外にも魔王軍の方だった。


「和平は何としても成功させろ。そのための勝利は得てきたはずだ」


 魔王ソロモンにそう言われて送り出されたセーロフは、ここで和平そのものが成立しないことの方を恐れた。そういうことだ。


 セーロフは一部住民の返還を約束し、ハンスはそれから東部占領の事実を認めた。


 その後、停戦協定が結ばれ、非武装地帯などの設置が約束される。砲火は止まり、常に砲声が響いていたニザヴェッリルのレーテ川を中心とする戦場に静けさが訪れた。


 1729年5月25日。


『カッツェハイム停戦協定締結。我が国は敗戦を迎える』


 ニザヴェッリルの新聞社はこの文言ばかりが並んだ。


 平和は戻ってきた。ただし、以前と違ってそれは苦々しい平和だった。


 ニザヴェッリル政府内では責任論争が起きたが、それより彼らが恐れていたのは、今は東部で満足している魔王軍がさらに西進することだ。


 もはや以前のように一国で軍備を整えて対抗できおるものではないと誰もが理解している。皮肉ではあるが、在任中に敗戦を招いたテオドール・エッカルト執政官の、多国間に渡る集団安全保障がその最適解になったのだ。


 このことは関係する国へと伝えられた。


 汎人類帝国の帝都ローランドへも。


「ニザヴェッリルは魔王軍と和平を締結しました。彼らは東部占領の事実を認め、それを引き換えに東部に取り残された住民の一部を返還してもらうとのことです」


「そうか。敗戦は避けられなかったか……」


 外務大臣エリザベト・ルヴェリエが報告するのに首相アンドレ・ボードワンが首を力なく横に振った。理想主義者の彼はまだわずかでもニザヴェッリルが勝利できるかもしれないと、そう思っていたのだ。


「我々は引き続きニザヴェッリルの支援に当たらなければならない。既に駐留軍については陸軍参謀本部がニザヴェッリル遠征軍の編成を開始している」


「ニザヴェッリル側からは受け入れに問題はないと言っています。我々が求めた要請は全て受諾すると」


「ありがたいことだ。辛い要求であっただろうに」


 汎人類帝国とエルフィニアは戦争終結後にニザヴェッリルに遠征軍を派遣し、それを駐留軍として展開させ、ニザヴェッリルの安全保障を支えることを約束していた。


 ただし、駐留軍にかかる費用はニザヴェッリルが8割を負担し、またいろいろとニザヴェッリルに不利な地位協定の締結も迫られていた。


 魔王ソロモンが言ったように汎人類帝国とエルフィニアは、ニザヴェッリルをもはや二等国と見做している。


「ひとまずの平和だが、これがいつまで続くかは我々次第だ。エルフィニアの女王が求める通りになるか。または……」


 エルフィニアの女王ケレブレスは魔王軍とニザヴェッリル間に冷戦状態を作り出し、魔王軍の関心をニザヴェッリル西部に向けさせておくことを企んでいる。


「ニザヴェッリル駐留に当たってはエルフィニアとも連携する必要があります。しかし、首相。本当にエルフィニアを信頼されますか?」


「それはどういう意味だね、ルヴェリエ大臣?」


「首相の望まれる方向とは違う意図をエルフィニアは持っているかもしれないということです。ニザヴェッリルと魔王軍の戦争が始まってからの、かの国の動きはいささか現実主義的過ぎる気がしますが」


 汎人類帝国とエルフィニアは利害こそ一致しているが、利害を追及するところのアプローチが異なっている。そう、エリザベトは指摘しているのだ。


 権威としての皇帝の下で一党独裁制を布く汎人類帝国。


 女王ケレブレスが1000年に以上に及んで絶対王政を布くエルフィニア。


 双方のイデオロギーはいささかかけ離れている。それによって生じる物事の考え方の違いなどが、今後の外交政策に影響を与えるかもしれない。


 ニザヴェッリルを二等国かつ干渉地域にするという発想が生まれた時点で、その傾向は既に見えつつあった。


「確かに完全な意見の一致などは望めないかもしれない。だが、我々とエルフィニアが別個に動いて対処できるほど、今の魔王軍は脆弱なものではないのだ」


 今の汎人類帝国は手を組む相手を選べるほどの余裕はなかった。


 魔王軍はこれまで大国とされていたニザヴェッリルを瞬く間に東西に分割した。軍事顧問団として送り出した将校たちに報告でも、魔王軍は質と量の両面においてもはや汎人類帝国を上回っている可能性を指摘している。


 国を守るためには考えを曲げ、理想を忘れなければ。


「今は悪魔とでも手を結ぶべき時なのだよ……」


 理想主義者であったアンドレには辛い決断だ。


「そうであれば、全力で私も職務に当たります。ただ、党内に不穏な動きがあることはご存じですか?」


「私を降ろそうという動きだろう。デュヴァル議員たちタカ派の動きは知っているよ」


 これまで汎人類帝国が支援してきたニザヴェッリルの敗戦を受けて、その責任の所在をアンドレたちハト派に押し付けようとする声が出ていた。


 ジャック・デュヴァルというタカ派に所属する有力な党員が扇動し、アンドレを首相の座から降ろそうという動きはアンドレも知るところだ。


 統一党は汎人類帝国唯一の政党だが、その党内は必ずしも一枚岩ではない。


「私は今の地位にあるのは、それなりに周囲に恩を売ったからだ。これまでの長い政治家人生において、政治家の自分が目指すものを実現したいならば、まずは他者に手を貸すべきだということを私は学んできた」


 アンドレはそんな統一党内の党内政治という権力闘争に打ち勝って、首相の地位を手にした。彼は理想主義者で、ハト派かもしれないが、決して愚かではない。


「それにこの国難に当たって私に代わって私以上に首相を務めてくれるならば、喜んで私は他に道を譲ろう。今は権力もさしたる甘みはない」


 誰もが権力を求めるのが政治だが、権力には責任が伴う。アンドレが今まさにニザヴェッリルの件で責任を問われているように。


 帝国陸軍参謀本部からニザヴェッリル駐留軍となる帝国陸軍海外遠征軍の編成が完了したとの報告がなされたのは、カッツェハイム停戦協定締結から3日後のことだった。


 汎人類帝国とエルフィニアはニザヴェッリルに軍を送った。


 遅すぎるほど今さらに。


……………………

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