テクタイト侯爵家01 『長引く義弟の婚約期間』
義弟が王立学院を卒業し、二年が経った。
同い年の婚約者がいるにも関わらず、結婚もせずに20歳を迎えるなど正気の沙汰ではない。女性は20歳までに結婚するのが当たり前の社会で、のらりくらりと結婚を引き延ばすなど不誠実である。しかも嫁を迎えるのではなく、婿として迎え入れてもらう身なのだから、もっと相手側に十分に気を配る必要があるというのに、逢瀬を欠席する始末。商人一家で育ったヘンリエッタの中で、義弟はテクタイト侯爵家にとっても、婿入り先のオニキス伯爵家にとっても不良債権という認識であった。
このままでは婚約解消を言及されるかもしれないのに、婚家のテクタイト侯爵家の人間は呑気で話にもならない。
「スチュワートの話では、メイベル嬢はスチュワートに心底惚れているのだろう。大丈夫じゃないか?」
「は?」
思わずはしたない声が出てしまったが、夫の言葉に耳を疑ってしまうのも仕方がない。
「えぇ?スチュワートさんはそのように報告されているのですか?」
「あぁ。学生時代から自分のことを追いかけてきて煩わしいくらいだったと愚痴を聞かされたことがある」
「メイベル様が、スチュワートさんを?」
学生時代の二人のことは知らないが、ヘンリエッタが知っているメイベルはスチュワートに対して愛情があるように見えない。訪問時にスチュワートが不在でも、悲しそうな素振りを見せるものの、本当に悲しんでいるようには見えなかったからだ。二人の会話も聞いたこともあるけれど、大体はメイベルがスチュワートの興味を引くような話を振って、それにスチュワートが言葉少なに答える程度で全く盛り上がっていなかった。
これはもう義務的な関係のまま、いずれは仮面夫婦になるだろうとヘンリエッタは踏んでいたのだが、まさかスチュワートは自分がメイベルに好かれていると勘違いしているとは思わなかった。
大体、正式なパートナーがいるにも関わらず、夜会や茶会の席にエスコートをしないなんて有り得ない。仕事の都合でたまたま断ることもあるだろうが、学院卒業後から一度も無いなんて絶対に有り得ない。メイベルの誕生日には何か贈っているようだが、使用人に流行の宝飾品を選んで贈るように命じていることをヘンリエッタは知っている。しかも、
『いつだったか忘れたが、そろそろアレの誕生日だから、何か適当に届けておいてくれ』
という、何ともなおざりな指示の仕方だった。こんなことを自分が言われたらと思うと、他人事ながら腸が煮えくり返るような思いで聞いていたのだった。
けれども、仮にスチュワートが改心したところでメイベルは喜ぶのだろうかとヘンリエッタは考える。一応は結婚できるので喜ぶのかもしれないが、スチュワートには問題が有り過ぎる。
「ですが、貴方。メイベル様は20歳を迎えられましたのよ?結婚の日取りも決まっておりませんし、そろそろ我が家も動かなければ……世間体と言うものもありますし」
二人の結婚は、事業提携の約束が根底にあるはずだ。しかもスチュワートがオニキス伯爵家の当主になるのだから、きちんと対応すべきなのに、未だに結婚式の日取りも決まっていない。嫁いで来た当初は、義弟の婚約関係に口を出すなどと二の足を踏んでいたけれど、流石に三年以上もこれでは目に余る。
「お前の言い分も分かるが、今はユージーン殿下の御婚姻の儀も迫っているしなぁ」
スチュワートの結婚の最大の問題点は、ユージーン殿下とレイチェル・モルガナイト男爵令嬢の結婚だ。
ヘンリエッタの耳には社交界の噂や商人達の情報が入って来る。二人は非常に難しい立場に立たされていたが、当人達だけは気づいた様子も無く悠然と過ごしているとか。多くの貴族は第一王子を担ぐ陣営からは離れてしまったのに、全く動じないのは大物と言えば良いのか、単に何も分かっていない愚者なのか。
レイチェルが王家に嫁ぐ為の持参金も僅かなもので、婚儀に掛ける費用もモルガナイト男爵家では用意できず、結局は国王夫妻と第一王子の私費を使ったらしい。男爵家に婿を迎える為に養女にしたのだから、モルガナイト男爵家が養女に用意した金が僅かなものだったのは仕方がない。これならば男児を養子にすれば良かったと男爵夫妻は嘆いているとか。
そうであるにも関わらず、ヘンリエッタの嫁したテクタイト侯爵家は相変わらず第一王子派にいる。いくらスチュワートが側近とはいえ、風前の灯火とも言える陣営に残るなんてリスクが高過ぎるとヘンリエッタは常々考えている。
また、領地に下がったギベオン公爵家の存在が不気味だ。国の重鎮であったことから、他国に情報を売る可能性もあったのに、あの家は沈黙を守っている。この件で周辺国から突き上げを食らうと思っていたのに、拍子抜けするほど何もなかった。ヘンリエッタとしては少なくとも政変が起こるのではないかと思っていたのだが、何もない。
ともかく、貴族社会では万事そのような腫物扱いではあるが、市井ではユージーン殿下とレイチェルの恋愛劇が流行しているとか。第一王子派が首の皮一枚で仕込んだのだろうとは思うが、元平民のサクセスストーリーは、民衆の心を掴んだに違いない。だからこそ厄介なのだが、テクタイト侯爵家の腰は重い。
「もちろん仕えるべき主君の御結婚が大事なのは分かりますが、婿入り先を蔑ろにするなどもっての外ですよ」
「分かってる、分かってる。心配性だなぁ」
ユージーン殿下の側近ではあるが、何らかの政略が絡んだものではない。同学年で気が合ったから、殿下直々に引き上げられただけだ。さっさとオニキス伯爵家に婿入りさせて、領主教育の名の下に王宮を辞してしまえば、それまでの関係だろう。そしてそれこそがテクタイト侯爵家にとって最適解なのではないだろうか。
ただ、スチュワートが素直に婿入りするか、オニキス伯爵家が婿入りを受け入れるかは分からない。




