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誰よりも軽やかな風  作者: 雪原たかし
第2章 『高楼大陸にて』
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第26話 「ひと結びする北縁」

 サンセンは、高楼大陸の中央部、リウキン大盆地の北縁の基準とされる都市だそうだ。規模はチェルに次ぎ、高楼大陸中央部の最高標高地点でもある。周囲をゆるやかな俯角傾斜に囲まれ、景観都市として名高い。

「となれば、まあ見に行きたいよね」

「……なにをだ?」

「あらら」

 アラシが右足を蹴るように滑らせる。

「サンセンからの景色に決まってるでしょうが」

「そうなのか」

 説明を受けていただけだというのは考え違いらしい。

「まあ、カームは圧差症の適応検査をやらなくちゃいけないかな。サンセン駅と市街の間にはかなりの標高差があるからね」

 確かスーコンのように駅が深地下にあるんだったか。

「圧差症なら問題ないんじゃないのか?」

 標高差のある移動にとっての死活問題だった圧差症は、循環調整技術が血中微小体に備わったことによって解決されたはずだ。

「まあ確かに、微小体の登録や認証はソーハンで機能してたけど、どっちも初期にはもうあったんだよ。圧差症に対応したのは七世代前だったかな。だいたい六〇年前だね」

 アラシが架空画面を開く。

「今は第何世代なんだ?」

「確か九七だったと思うよ。自分のが第何世代なのかわかる?」

「わからない」

 微小体があっても世代によっては問題が残るから確かめたいのか。

「どうやって確認――――」

「あっ、最新だね。九七だよ」

「えっ」

 予想自体の及ばない早さで確認が終わった。

「どうやって確認したんだ?」

 訊くのが方法から過程になったな。

「通過記録を見たんだよ。スーコン駅で読取をしてたから、そこの詳細情報を開いてね」

 アラシが架空画面を指す。こちらからは見えないけれど、あちらからなら僕の微小体の世代がわかるんだろう。

「とにかく、これで圧差症の心配は無いね」

「いや、あのさ……」

 チエが手を頭ほどまで挙げて指を波打たせている。

「今さらなんだけど、さも当然のようにこいつが微小体持ちだってことになってんの、おかしくない?」

「えっ、だって確かめてるんだよ?」

 おそらくアラシも僕と同じで、チエの考えを掴めていない。

「そうじゃなくて、そもそもこいつって『果ての箱』から来た謎のやつだってえのに、チイたちと同じ世代の微小体を持っててさあ、いやいやいや、じゃあこいつって何者なわけ?」

「人間見習いだ」

「だからそういうことでもないってえのよ!」

 チエと一緒にそう決めたというのに。

「チイが言いたいのは、あんたが実は謎のやつじゃなくて、いつかどこかで……もしかしたらチイたちと変わらない時代の、それほど遠くない土地で生きてた人間なのかもしれないんじゃないかってえこと。それってめちゃくちゃ大事なことじゃないわけ?」

 最後に僕からアラシへと相手を変えて、チエは言い終えた。

 どういうことだ? いや、どういうことを言ったのかはわかる。けれど、そのような可能性はたった一度すらも考えたことがない。

 アラシは、どう考えるんだ?

「それだけじゃわからないよ」

 迷いも揺らぎもしない。アラシは、ただ答えただけだった。

「えっ、いや……ああでもそっか、ありえることもわからないなら、ありえることかもしれないわよね」

 なにか解決はしたらしい。

「そうだね。たとえば、カームは『果ての箱』がヒトをかたどった存在かもしれない。私はヒトだと認識して、そう接してるだけだよ」

 誰もわからない。これはそういう類の物事のひとつなんだろう。

「だったらまあ、それらしいことだったらどれでもいいし、どれでなくたっていいってえことね」

「まあ、カームの信じたいように信じておくのがいいんだろうね。それが真実じゃなくたって、そうとは知らないなら、それはなんの意味も持たないしね」

 僕の信じたいように。ただし、それらしいこと。

「アラシやチエと同じ時代、同じ世界で生きていたのかもしれないというのは、いいことのように思える」

「それはどうして?」

 アラシはそれほど意外そうではない。

「近いから、だな」

 それほど考えずに答えを出した。けれど、違和感は無い。

「僕とお前たちは、近くない物事が多い。だから、近い物事があるなら、その偏りが和らぐはずだ」

 考えてみても、違和感は無い。

「じゃあ、そう思っておこうか。チエもね」

「これ、なんならわからないままのほうがいいんじゃないの?」

「わかったらわかったで、それはいいことだよ」

 チエが一応の納得を見せる。だったら、それでいいんだろう。




 サンセン駅へ着く前に、荷物をまとめておかなくてはいけない。僕たちは全員がそのことをわかっていて、それぞれに準備をする。アラシやチエはもちろんのこと、僕もこういった旅らしいことには慣れてきたように思える。

「減速慣性ぃー」

 アラシの声から程なく、発車の時とは逆方向へ身体が引かれて、ベッドの縁に膝を折られるようにしてベッドへ倒れてしまった。

「あっはは。ちょっと遅かったね」

「てかなんでぼうっと立ってんのよ。聞いてた?」

 チエが拡音機を指す。音声を聞き逃したようだな。

 二人ともベッドに座っている。僕も立たないほうがよさそうだ。

 緩く、長く、身体が引かれ続ける。窓外はゆるやかに流れてゆく。そう感じていたら、窓外は唐突に暗転し、黒の陰影模様が不規則に移ろうようになった。この込めるような音の響きは、地下に入ったということだろうか。

「駅が深地下にあるのは、そのほうがなにか都合がいいということなのか?」

「ああ、うん、そのとおり。かつての駅は地上にあったんだけど、今は山岳鉄道の駅として残っているだけで、高速鉄道は地下の駅に集中してるんだよ。ソーモン荒原もリウキン大盆地の外縁の山腹も季節を選ぶ景観だからね。山岳鉄道を通年でやるのは厳しかった、ということらしいよ」

 チエが身体をさらに倒して仰ぐようにこちらを向く。

「鉄道車両が斜面を登るのが苦手だったってほうが大きいでしょ。別に今はどこを通ってもいいんじゃないの」

「変える必要はもうないっていうことなんじゃないかな」

 鉄道は地表を通っているほうがいいと思える。地下鉄道が嫌い、というわけではない気がするけれど、確かな表現は出せそうにない。

『まもなくサンセンに到着いたします。車両は停車準備に入るため、一部の車内設備の使用ができません。停車までお待ちください』

 拡音機からの音声とともに、車窓が均一な黒面に変わった。

 そういえば、この車両に乗った時、窓があることは認識していたけれど、その外になにが見えるのかを意識していなかった。

 なにも見えなかったからなんだな。

『ただいまサンセン駅に到着いたしました。停車したため、窓透過以外の車内設備機能をご利用いただけます。サンセン駅からの発車時刻は約三〇分後、午前八時三〇分を予定しております。本日も、ホンチョワン鉄道をご利用くださり、ありがとうございました』

 走行音の代わりに、外からは多くの人の声が響いてきている。

「さて、もう荷造りは終わってるね」

 こちらを見ることなく、アラシが確かめる。

「それじゃあ、サンセン駅のマナジンにさっさと放り込んで、市街まで上がろっか。特に必要な持ち物とかは無いから、まあ携行鞄を出しておけば足りるかな」

 アラシ、チエと降車して、やっぱり僕が最後。これも慣れたな。

 サンセン駅の乗降場は、スーコンのそれよりも広くて高い。人も車両も多く、なにも言われなくてもサンセンの規模が推測できる。

 どうやらソーハンの市場のような人の流れがここにもあるらしく、アラシとチエはそれに沿って進んでゆく。少しくらいは僕にもその流れがわかるんじゃないかと思いたかったけれど、本当に少しだけらしい。

「いやぁ、今日はまた多いね。なにかあったっけ?」

「今って春眠の真っ只中でしょ」

 春眠……確か、高楼大陸の休暇期間だったか。

「あそっか。これはメイユウ駅に行くのもちょっと大変そうだね」

 二歩くらい前を行く二人の会話が遠く感じる。

「付いてきてる?」

 アラシの声だ。

「すぐ後ろにいるわよ」

 これはチエの声だな。

「あ、ほんとだ。もうすぐだからね。うわっ、並んでるなぁ」

 ちょっと遠い……でもこれはアラシだな。

「はい、一旦お疲れさま」

 いきなり近く――――

「うわっ」

 二人とも止まっていた。

「カームを見失ったらチエを肩に担いで目印にしようかと思ってたのに」

「やめて」

「やらないよ」

 マナジンから伸びている人の列に加わったようだ。今まではすぐ利用できたけれど、これも人の多さによるものなんだろうか。

 けれど、みんな手際が良いように見える。旅慣れている、というよりかは、マナジンを使い慣れているということだろう。僕やチエよりもかなり小さな子どもでさえほとんど手間取ることがない。

 僕はあのようにできるんだろうか。

「あっ、携行鞄を出してなかったね。危ないあぶない」

「自分で言っといてさぁ。てか出してんのチイだけじゃん」

 ああそうか、出しておかないといけないんだったな。

「携行鞄だけでもいいのか?」

「ああうん。必要そうなものは私が持っておくよ。というか、もし後でそういうのがあっても、マナジンを使えばすぐだからね」

 リュックサックを身体の前へまわし、中から携行鞄を取り出す。これは『果ての箱』から持ってきたもの。そういえば、あそこから出る準備をした時からこれは使っていなかったな。

 なにも入れなくていい。けれど、それなら鞄じゃなくなるだろう。やっぱりなにかは入れておきたいな。だったら――――

「これを入れておいてもいいか?」

 アラシとチエが振り向く。

「別に自分の持ち物なんだから、なんでも持っておきゃいいのよ」

「チエったら、もう少し優しく言えるでしょ」

 チエが前へと向き直る。鋭さはない。柔らかさもない。なんでもない、というのが合っているような様子だった。

 優しくないんだとしても、それでいい。そんな気がする。優しいほうがいいのはわかっているつもりだけれど。

「おっと、次だね」

 いつの間にか列の先頭まで来ていた。




 心配は要らなかった。僕も思っていたよりも慣れているらしい。

「さてと、大陸最高の俯角傾斜を拝みに行こうか」

 また違う列に加わっている。これはおそらくエレベーターを利用する人の列だろう。僕も利用したほうがいいのはスーコンの一件でわかっている。

「今だと片斜面じゃん。どうせなら両斜面の時に来たかった」

「来ればいいよ。チェルからすぐなんだから」

 そうだ、今回の移動の最終目的地はチェルだったな。あまり意識していなかった。サンセンで降りたということは、まだ鉄道に乗るということだろうか。

「気乗りしなくなるような距離なのよ。なんだか近くも遠くもないから。そういうのあるでしょ」

「あぁ……うん、まあそうかもね」

 よし、今だろう。

「片斜面や両斜面というのはどういうものなんだ?」

 いや、どうしてこんなことを訊いているんだ?

「あっ、知らなかったんだね。ざっくり言うと、尾根線で分かれる山の斜面で、緑色植物がじゅうぶんに生育しているのが片方だけか両方ともかで、片斜面と両斜面って呼び分けられてるんだよ」

「尾根線って言ってわかんの?」

「ああ、わかるぞ」

 けれど、片斜面と両斜面の想像はうまくできていない。おそらく実際に見るまではそのままだろう。

「違う話になるんだが、サンセンからチェルまでは――――」

「あ、来たわよ」

 チエの声で、僕たちの乗るエレベーターが到着したことに気づく。

「上で聞くね」

 開いた扉へと進みながら、アラシが上方を指して言う。

「ああ」

 どうも少なくない人が一度に乗るようだから、会話はしづらいのかもしれない。

「奥まで行くよ」

 コワシュルテのものよりもかなり広い。僕たちの後に続いて人が入ってゆく。その流れが止まった気配がして、すぐに扉が閉まる。

 そして――――ああ、やっぱりだ。あの時とは逆方向への慣性だ。

『ただいま出発しましたこのゴンドラは、まもなく最高速度へ到達します。到着までの間に高度情報を交信して血中微小体が圧差症を解消するのは、まだ歴史の浅い技術です。かつては服薬や長時間をかけての移動によって回避されていた圧差症ですが、今となってはたったいま通過した第二サンセン駅の深度だけがその名残となっています。まもなく、旧サンセン駅に到着します。高速昇降を可能にした技術を思いながら、市街での時間をお楽しみになってください』

 少し持ち上がるような感覚が続いて、止まる。身体が揺れているような感覚が居残っているけれど、これもすぐに消えそうだ。

「サンセンに来るのはしばらくぶりだね」

「そんなに経った?」

「だって北部の最初の記録地点だよ?」

「そっか。確かにそうね」

 エレベーターを降りながらしている二人の会話は、どうやら僕の知らない時間のことらしい。

「まあ、これで北部はひと結びしたってことだよ」

「なんか途中で引っ掛けてきちゃったけどね」

 チエがこちらを見やる。アラシも見やってきて、なぜか微笑んでいる。

 おそらく、引っ掛けられたのが僕、ということだろう。ここから北上して北方大陸に到達し、戻ってきた。それなら、月日の長さはともかく、ひと結びとやらの道のりの半分には僕もいた。

 引っ掛けられてよかったな。そう思う。

「さてと、こっちに進めば展望台だよ」

 それなら……あれ?

「行かないのか?」

 ついて来る気配が無いから振り返ると、チエはアラシを見ていて、アラシは微かではない笑みで僕を見ていた。

「いやね、たぶん気づいてないだろうから言わないけど、面白いよ。『これなんだろうな』ってね」

 なにが言いたいんだろうか。わからないのはチエも同じらしい。

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