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誰よりも軽やかな風  作者: 雪原たかし
第2章 『高楼大陸にて』
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第22話 「面倒を分けあう」

 階段。

 明るい。ということは『箱』じゃない。そもそも階段は直線じゃなくて、いくらか昇降すれば折り返しがあって、上下へ――――

 そうだ、あの階段だ。スーコン駅の。

 そうか、じゃあ降りればいいのか。

 一歩。ひた、と靴の音。

 気分がいい。続けよう。

 ひた、ひた、ひた、ひた……数十もすれば折り返す。

 駆け降りてみても気分がよかったんだったな。

 タッ、タッ、タッ、タッ、タタッ、タッ、キッ……


「……長いな」


 そう、長いんだ。どうしてなんだ?

 どうしてまた降りているんだ?

 どこまで降りるんだ? どこまで降りればいい?

 降りなければいけないのか?

 あの時も長くて、果ては見えなくて……いや、気づかなかった。あの時に果てを示していた表示が、今は無い。

 あの時は、あの時は……そうだ、あの時だ。

 “あの時”がある。初めてじゃないんだ。

 じゃあ今は……

 この永遠に思えるらせんは――――――――




「んっ……」

 自分の呼吸を感じる。右半身にはかすかな振動が伝わっている。

 少し乾いている目を慎重に開く。

 車内にいる。降りてはいない。光源は無い。アラシとチエは寝ているようだ。車窓には幕が下ろされている。

 夢を見て、目を覚ましてしまったのか。

 今は……一時三三分。ということは、ベッドに入ってから三時間くらいか。

「うっ」

 頭が鈍く重い。睡眠が不十分なんだろう。

 夢を見るようになったのは『箱』を出てからだ。あの日は十分な睡眠をとってから見た。夢についてはそれほど十分な知識を持っているわけではないけれど、目覚める直前の夢ほど、目覚めてからも覚えていられるんだったか。

 そういえば、さっきの夢でなにを見たんだった?

 階段……階段と……いや、それだけだったな。どこまで続くかは分からなかったけれど。

「んん……」

 身体を起こしてみる。ふっと一瞬だけ頭が思考を手放して、また取り戻す。

 時折、ほんのわずかだけれど身体が揺すられる。レイメバナンの振動と重ねるには弱すぎるし、サイトのベッドと重ねるには安定が足りないように思える。眠る環境としては、おそらく今までに無いものなんだろう。眠りの浅さはそれが原因なのかもしれない。

 こんなに小さな違いに、妨げられてしまったのか。

 いや、たとえ小さくても積み重なれば大きくなる。そういうことだったんだろう。積み重ならないようになるのは慣れてからなんだ。だから今はどうしようもない。

 そうでなかったら……そうでなかったら、どうなるんだろう?

 そうではないということを、僕は恐れているんだろうか?

 手帳を……あぁ、ダメなのか……

 身体がベッドへと倒れ戻る。やっぱり眠りが足りなかったのか。ついさっきまで思考が確かに働いていたというのに。

 僕の身体なんだから、もっと僕にとって分かりやすいものでいてくれたらいいのに。




 朝食を摂り終えてすぐに、ベッドで横になっていたチエが唐突に切り出した。

「今さらなんだけどさぁ」

「ん?」

 なにかの作業を始めようとしていたアラシが手を止める。

「鉄道って風旅で使っちゃいけないのよね?」

「まあね」

 アラシの表情に負の要素を見いだせないけれど、規則を破るのはよくないはずだ。チエはそれを非難するつもりなんだろうか?

 いや、それなら前に今と似た話をしていた時にそうしたはずだな。

「たとえばよ、なにか新しい移動手段が発明されたとして、それがレイメトゥーラの掟に反するかってどうやって判断するわけ?」

「それはその時のレイメトゥーラに任されるんだよ」

「あれっ?」

「えっ、基準は無いのか?」

 疑問が声に出る。

「それまでのレイメトゥーラたちの判断こそが基準になるんだよ。その時のレイメトゥーラがまったくの勝手に決めるんじゃなくてね」

「てことはさぁ、アラシはそうやって判断された移動手段も覚えていたりするわけ?」

「一応は端末で全部を閲覧できるけど、ほとんどは覚えてるかな。でもどうしたの? これが訊きたいことなの?」

「いや、まあ適当に訊いただけだったんだけど――――」

 チエが身体を起こし、脚を組む。

「どういうのまでなら大丈夫で、どういうのだったらダメなのかは知りたいのよ。なんだかんだで掟のことはそんなに知らないし」

「わぁ珍し……くはないか。確かに掟のことはあんまり話してないような気がするね。けど、そう厳しく守ってるわけじゃないから、なんだか真面目に話しづらいなぁ」

「じゃあ守ればいいんじゃないの?」

「それじゃあ私の風旅じゃないよ」

 柔軟であればこそ、ということなんだろうか。

「レイメトゥーラが知られるようになって一年くらいだけどさぁ、あの『風の空白』のアラシがこんな感じの人間だなんて知られたら、まあがっかりされると思うわよ?」

「あはは、がっかり結構だよ。実はこんなに知られるようになると思ってなかったから、ちょっと戸惑ってたんだよね」

「サイトでは会話を楽しんでいたように見えたぞ?」

 本当は疎ましく思っていたんだろうか?

「うん、ほとんどの会話は本当に楽しかったんだよ。ただね、今の私は、今までとはまったく違うレイメトゥーラなんだよ」

「あぁ……まあ確かになんか違うわよね」

 チエは“今までのレイメトゥーラ”を知っているのか。いつ頃のレイメトゥーラを指すんだろう?

「名前、経歴、好みや性格、そういうことが私の知らないところで知られていて、新しく現れる人たちがそういうことをもっと広めていこうよって勧めてくる。確かに私はプロの冒険家だよ。けどね、レイメトゥーラなんだよ、私って。レイメトゥーラって、これまでプロだったことなんて無かったんだよ。どんなに風のことを知っていたって、プロのことは今こうして過ごしている時間だけで学んでゆくしかない。だから、ゆっくり学びたいんだよ。最近はちょっと忙しなかったから、チェルではゆっくり過ごしたいなぁ……」

 途中からは語りかける相手がアラシ自身になっていたように思う。手放された僕とチエの戸惑いに、アラシはおそらく気づいていない。僕の理解が及ぶのは、アラシが次の滞在地で心身の休息を得たいと思っているということくらいだ。

「ゆっくりするなら、それでいいんじゃない?」

 呆れと諦めの声色。けれど、その感情は僕にも分かるほどに嘘で、ふわりと柔らかい。

「そうなのかなぁ……」

「いやいや、そもそもよ、アラシが風旅を始めてから心にゆとりを持って過ごした時間ってどのくらいあるわけ?」

「どうだろ……」

「少なくともサンベイルに来た時からはずっと気張りっぱなしよ。まあ、チイのせいだった時期もあるけどさ……」

 唐突に落ちる声量。自分でも気づいたのか、チエが頭を振る。

「休んでもいい。絶対そう。気がかりなことがあるんならそろそろチイに分けてくれてもいいってえのよ。てかそうしてよ」

「えっ、急にどうしたの?」

「なにが気がかり? こいつのこと? じゃあチイが見とくわよ」

 チエが指すのは……僕か。当然か。

「確かにカームは私が連れてきてまだ日が浅いから気がかりっちゃ気がかりだけど……本当にどうしたの?」

「どうしたって、どうかしてんのよ。どうかしてあげんのよ」

 チエが今度はアラシを指す。かなり勢いよく。

「だから、チイを使うぐらいのことはしてもいいのよ。てかさぁ、そんぐらいしなさいよ」

「えぇ……本当にチエ?」

「当たり前じゃない。なに言ってんの?」

「だって、えぇ……」

 ここまでアラシが揺らいで、ここまでチエが確かだなんて状況は予想していなかったな。今まではいつも立場が逆だった。

「なんだかんだでチイはこいつの面倒を見てきたようなもんよ」

 また僕を指す……のはいいとして、そうだったのか?

「それはちょっと違うと思うよ。そりゃあチエのほうが面倒を見る時間は多いけど、カームだってチエにうまく付き合ってるんだから、チエとカームはお互いの面倒を見あってるんだよ」

 途端にチエの表情が嫌そうなものへと変わる。

「なにそれ、ありえないわよ」

「それがありえてるというか、もうあるというか、まあまだチエが気づいてないだけだよ」

「だからありえないってえのよ」

 どうやらチエは人格が変わった時のことを覚えていないようだ。アラシから視線が送られているのは、おそらく“チエにそのことを教えるな”という意味だろう。

 ……どうしてそういう意味が込められているんだと察することができたんだろう?

「けど、そっかぁ……じゃあ、楽をさせてもらおうかな」

「楽させるっていっても、チイとこいつがアラシにかけてた負担がちょっと軽くなるだけよ」

「いや、いっそ入れていた予定もごっそり先送りにしちゃおうかな」

 よくないことをする前触れの表情。どうやら素のアラシが戻ってきたようだ。

「ははっ、いいじゃんそれで。連絡だけ入れとけば大丈夫でしょ」

 二人してよくないことをしようと企んでいる。けれど、止めようとは思えない。むしろ僕だってその“よくないこと”に加担したい。

「僕はなにをすればいいんだ?」

 アラシとチエが少しだけ驚き、すぐにアラシが微笑んで、チエは視線を逸らした。

 あぁ……加担させてもらえるんだな。

「チエと一緒にいろんな興味を求めていれば、それでいいんだよ。チエを困らせるくらいでいい」

「えっ、さすがにわざとは本当に困るわよ」

「でも面倒を見るんでしょ?」

「限度があるってえのよ! いい? あんたはとりあえずしばらく絶対に単独行動をしないで。じゃないとアラシに迷惑をかけるから」

「ああ」

 チエの真剣さに押されないくらい強く、返事をする。

「じゃあとりあえず、今から別の車両に行って連絡を入れてくるよ。二人はここで、そうだなぁ……この列車の中で行ってみたい場所を話し合ってて」

「ああ」

「はぁい」

 返事が同時になった。こういう時にはチエのほうを見ないようにする。少しくらいは接し方に慣れてきたと思う。

 アラシが通路側の扉へと進み、半身で振り返る。

「じゃあ、行ってくるね」

「はいはい、行ってらっしゃい」

「あっ、いっ、行ってらっしゃい」

「あ、うん、ふふっ」

 アラシがおかしそうに笑う。僕のせいなんだろう。

 掟に反しない移動手段のことは……おそらく今は訊くべき時じゃないんだろうな。

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