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誰よりも軽やかな風  作者: 雪原たかし
第2章 『高楼大陸にて』
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第17話 「遠くても」

 第一四サイトに到着したのは一六時三三分だった。第一サイトに似て、地上の構造部は小さい。違っているのは、三角錐じゃなくて四角錐になっているところくらいか。第一七五サイトまでたどって行けば六角錐くらいまで側面の数が増えているかもしれないな。

「さすがに五月にもなれば、この辺りでも日が高くなってくるね」

 アラシが見やる先の太陽は、まだ地平からそれなりに離れている。

「五月って、サンベイルだったら緑の季って言われるくらいなのに、まだ緑の気配すら無いってえのは変な感じ」

 確かに、ここまで植物は見られるようになってきたけれど、そのほとんどが茶系統の淡色だ。

「もう少し日照時間が増えたら、この辺りもそれなりに緑っぽくはなるんだけどね」

 アラシが足元の雪面を靴爪で削る。見えるのは雪と土肌ばかりだ。

「紹介冊子や記事とかはそういう時期の写真ばっか使ってるってえのに、これじゃちょっとがっかり」

「へぇ、意外と楽しみにしてたんだねぇ」

「……まあそれなりにはね。でも荒原って名前が付いてるんだから、こんな感じなのかもってことくらいは予想できてたわよ」

 チエが出入口のほうへと歩いてゆく。

「カームって、ここがいちばん緑になる時期の画像は見たこと無いよね?」

「ああ、無い」

 そもそも草木が生長する時期を知らない。

「だったら――――」

「早くしてよぉ!」

 チエが出入口の前で立ち止まっている。

「はいはーい」

 そう答えてから、アラシがまた僕のほうへと顔を向ける。

「ここまでで見てきた白い平原が緑に変わるんだよ。きれいだから、あとで見せてあげるね」

「ああ」

 アラシが出入口へと歩いてゆく。その後を追おうとして、けれど立ち止まり、振り返る。

 雪の白が征服している平原。幻の中でそこに緑を塗り広げようとしてみるけれど、そんな想像を許さないほどに、広くて、動かない。南下をすることが、まるでそんな白の支配から逃れようとしているかのように思えてしまう。

 季節はこの征服を本当に打ち破るというんだろうか。ただ気温が上がるだけで、この征服は消え去るというんだろうか。

 ……こんな考え事をしていたら、また待たせてしまうな。

 向き戻ると、アラシとチエはまだ数歩ほどしか離れていなかった。駆け寄っても、アラシはこちらを見やらない。

「ここは今日、何組使うの?」

 チエの問いに、アラシが端末を取り出す。

「えっとね……八組だってさ。人数は二六人」

「うっわ、やっぱ第一は運が良かったってえことね」

「えっ、ここだっていいでしょ?」

「なんでよ?」

「たくさん人がいたら楽しいでしょ」

「えぇ……」

 出入口が開いた。数人の話し声が聴こえてくる。

 そういえば、ソーロはあの時、なにかを歌っていたな。

 あれはなんだったんだろうか。




 チエはサイトのことを“旅こそが人生と考える人が多く利用する施設”という言葉で表現していた。

 そして今、その言葉を実感している。

「アラシさんの装備ってやっぱ僕らとは違うっすね。費やし方からもう違うもんなぁ」

「今は金銭的に余裕があるから装備に多く費やせるんですよ。私も少し前までアマチュア冒険家でしたから、ほとんど中古やお下がりでしたし」

「アラシさんのスポンサーってタリエグレインですよね?」

「そうですよ。装備の費用だけじゃなく携行食料とかまで支援していただいてるので、以前よりも楽にはなりました」

「はぁーっ、私もプロになりたいなぁ」

「プロになったら長くは留まれなくなりますよ。装備もそう簡単に変えられなくなりますし」

「えっ、装備がですか?」

「スポンサーの付いた業種で他のメーカーのものを使ったら、広告効果が薄まってしまうので」

「ああなるほど」

「そのぶん、スポンサーのメーカーの装備なら少し高めのものでも使わせてもらえるんですけどね」

「アラシさんくらいになるともうスポンサーの付いてない装備って無かったりするんですか?」

「いえ、私のスポンサーはタリエグレインだけですよ」

「えっ」

「そうなんですか?」

「でもタリエグレインってほとんどスポンサー契約してませんよね」

「確か世界累計で八人とかそのくらいだった気がする」

「そんなに少ないのかぁ」

「私が契約した時はジタさんが引退してすぐの頃で、その時は七人でした。あれから増えたとも聞きましたけど――――」

 下層へと降りるなりアラシが人に囲まれてしまってから、およそ二時間が経った。もはや誰がなにを訊いてアラシがどう答えているのかを把握する気は失せてしまっている。

「あんたも“分かった”って顔してるわね」

 少し離れた場所で、僕とチエはアラシたちを眺めている。

「そうだな。確かにお前の言っていたことを実感している」

 チエが大きなため息をつく。

「もうね、あれは冒険家っていう種族なのよきっと。プロとアマの区別なんて意味が無くなるくらい、あそこでは冒険をしていることだけが満たすべき条件なのよ」

「プロとアマ……?」

 聞いたことがあるかを思い出そうとする前に、チエが口を開く。

「援助の代わりに名前を世界に売るって契約をしたやつはプロって括りになるのよ。そうじゃないやつはアマ。それこそとんでもなく長い年月で、プロはアマよりも勝っているってえのが当たり前って考えられてたのに、まあなかなか無いのよ、ああいう状況って」

 ああそうか、立場を区別する要素のことだったんだな。それなら主業と副業という単語で知っている。

「アラシはプロなんだな」

「そうよ」

「お前もプロなのか?」

「違うわよ。チイは名前を売れるほど世間に出されてないし」

「ということは、僕とお前はアマの冒険家なんだな」

 チエの視線が打ち付けられる。

「あんたいつから冒険家になったの?」

 ……確かに、僕はいつから冒険家になったんだろう?

 アラシに風旅への同行を願い出た時か? あるいは、逆にアラシから勧誘された時なのか? それとも、もっと後……いや、もっと前か?

「……いつなんだろう?」

「えっ、真面目に考え……ああもう、冗談通じないってほんと面倒」

 チエが視線を落として頭を振る。

「ん? 冗談……ということは、えっと……どういうことだ?」

「……そもそもあんたは冒険家なのか疑わしいんじゃないのってえことよ」

「ああ、そう……だな」

 とてもすんなりと納得できる。

「そうだ、僕は冒険家じゃないのかもしれないな」

 だって、僕自身が自信を持ってそう答えられないんだから。

 それに――――

「ねえ、そもそもあんたにとって冒険家ってどういうものなわけ?」

 そう、それだ。

 僕は、冒険家を、冒険を、まだ知らないままなんだ。

 もしも実際には冒険家たる要素を僕が備えているのだとしても、それに気づかないなら備えていないのと変わらない。もしかすると、その気づきこそが最も重要な要素なのかもしれない。

「冒険を……して……」

 答えられないのが、今の僕には当然のことなんだ。答えることができてしまったら、それは虚偽を答えたということになる。

 続きを失い、消えゆく声。それでいい。身体に任せよう。

「はぁ……あのねぇ、そういうとこが足りないから、あんたはまだ“なんだかよく分からないやつ”のままなのよ。チイやアラシでも接しづらいってえのに、初対面の人……まあソーロ姉さんは例外で、普通の人たちはもっと接しづらくなるでしょうが」

「何者かをはっきりさせる必要があるということか?」

「必要……まあ、そういうことよ」

「僕は……何者だ?」

「……チイに答えろってこと?」

「ああ」

 言葉になって初めて、そう思っているということに気づく。

「チイが答えたらとんでもない答えになるかもしれないわよ」

「答えてくれさえすればいい」

「……あっそ」

 チエが視線を外す。どうやら答える気は無い――――

「人間見習い」

「……え?」

「そうね、人間見習い。うん、それだわ」

 自分でも納得しているのか、チエが何度も頷く。

「それは……何者なんだ?」

「なんかこう……幼児じゃないってえのに変なとこばっか抜けてて、人間なのに……人間なのに? まあ、人間なのに人間っぽくない時もあって、しかもあんた自身が人間っぽくなりたそうにしてるから、やっぱ人間見習いよ」

「見習い……そうなのかも……しれないな」

 すべてを肯定するのはやめておくべきだという直感がある。ただ、不思議と自分が“見習い”であるということにだけは納得できる。少なくとも冒険家としては見習いなんだろうし、チエの言うように、人間としても見習いなのかもしれないとも思える。

「自分のことを見習いだと他人にはっきりと示せばいいのか」

「えっ、あんたそれで……まあ、あんたがそれでいいんなら、そうするようにしたらどう?」

「ああ、そうする」

 とは言っても、どうやって示そうか。

「ほんっと変なやつ……」

 僕に向けていないけれど、僕に対する言葉なのだと分かる。

 ああ、そうだろう。チエにとって、僕は“変なやつ”だ。

 だって、僕はまだ見習いなんだから。




 結局、夕食の間も、終えてからしばらくも、アラシと他の冒険家たちは僕の理解が及ばない話を延々と続けた。

 もう時刻は二一時の半ばほど。きのうもおとといも、確かチエはこのくらいの時刻には眠そうにしていたな。

 今は――――

「ん……んぅ……」

 目がほとんど閉まり、身体は椅子の上でふらふらと揺れている。

「アラシ」

 呼び声に気づき、アラシが会話を中断して近づいてくる。

「なに? ああ、そういや暇にさせて……あっ、そっかもうそんな時間かぁ」

 アラシがチエの状態を見取る。

「訊いておきたいことがある」

「ん? なに?」

 チエの脇へと伸びていたアラシの手が止まる。

「ここも利用者ごとに部屋が決まっているのか?」

「うん。今日は同じ階の一一五号室だから間違えないで――――」

「じゃあ、僕はチエを連れて先に部屋へ行っておくぞ」

「えっ、なんでカームも? あ、いや、カームも暇だったんなら、別におかしくないか」

「今のチエには補助が要る。そう考えたんだが、合っているか?」

 アラシが不安げな表情になる。

「まあ、チエひとりきりよりは誰かがいたほうがいいけど……」

「なにか問題や、僕の理解を超えることが起きれば、すぐにお前へ報告すればいいんだったか?」

 アラシが視線を落として考え込む。

「まあ……そう、そのとおり、なんだけど……」

「僕がそうすると、お前に面倒を起こさせるのか?」

 押し込めるような反応からの推測を言葉にしてみると、アラシは一瞬だけ目を大きく開き、今度は目を閉じて口角を上げた。

「いや、むしろうまくいくならとても助かるよ。お願いできる?」

「ああ」

 アラシが止めていた手をチエの肩まで上げる。

「チエ、今日は一一五号室ね。途中で寝ちゃダメだよ」

「ん……んぁい……」

 チエが椅子からゆらっと立ち上がる。倒れそうになったらすぐに支えられるように、手のひらをチエのほうへ向けておこうか。

「疲れてるならカームも寝ていいからね」

「分かった」

「じゃあ頼んだよ」

「ああ」

 手を挙げるアラシに背を向け、ふらふらと歩くチエに続いて部屋を出ようと――――する前に、チエが扉とぶつかりそうだと気づき、先回りをして扉を開ける。のた、のたとチエが扉を過ぎるのを確認してから、僕も部屋を出た。

 きのうの朝……じゃなくて昼に、機器とぶつかった僕に対して、チエはきちんと前を見ろと言った。けれど、今のチエはというと、どこを見ているのかも、そもそも見ているのか自体から分からないほどに目が閉まっている。ただ、それでも方向は分かっているのか、ゆっくりながらも廊下を進み続けている。

 暗めの赤色光源。騒がしさが次第に失せてゆく。昇順に並ぶ部屋番号をたどり、一一五号室の扉の前にたどりつくと、チエは突然に扉のほうへと倒れ始めた。

「おい!?」

 とっさに、扉を開けた。

 先に支えればいいはずだというのに。

「あっ、違っ――――」

 胴を倒し、腕を伸ばし、チエの身体を捕まえる。負荷を覚悟して踏ん張って――――

「……軽いな」

 自然な姿勢に戻す。チエはあてもなく腕を振るい、偶然にも部屋の光源のスイッチが押されて、第一サイトよりも少し大きい部屋が薄朱に照らされた。部屋の奥にベッドが積み上がっているのは同じだけれど、ここのものはさらに二台が隣に積み上げられている。

「んあぁ……」

 かなり頭の振れ幅が大きくなってきたチエが、ゆっくりとベッドまで歩いてゆく。もう補助の必要は無さそう――――

 ドサッ。

 目を戻すと、チエは床に倒れていた。

「なっ」

 まさか、なにか身体に異変が――――

「すぅ……すぅ……」

 これは……

「すぅ……ふぅ……」

 僕の見立てが間違っていなければ、寝息だな。

 痛そうでも苦しそうでもない。うまく倒れたんだろうか。

「すぅ……んあぅ……」

 なんだか聞き覚えのある寝言だな。

 さあ……ここからどうしようか。

 おそらくはベッドまで運んでおくほうがいいはずだ。床で眠っている今の状態は、きっと“途中で寝る”に当てはまっている。

 けれど、どうすればチエを起こすことなく数歩離れたベッドの上まで運べるのか、確かなことは分からない。眠りを妨げれば、ほぼ確実によくない状況が発生する。

 抱え上げればいいんだろうか?

「すぅ……すぅ……」

 ……少しの間、放っておくか。




 中着の胸元のポケットから、手帳を取り出す。そういえば、今朝からまったく手帳を開いていないな。発見はいくつかあったというのに。

 けれど、今はそれを書き残すよりも先に、やりたいことがある。

 ページを送る。自分の字が記されたページを次々に送ってゆき、僕のものじゃない、つまりはソーロが記したページにたどりつく。

 ページの半分にとても細い文字で二行の文が書かれている。上の行に書かれているのは――――

「『未来の素晴らしい冒険家たるカームに、そこそこ知名度のあるワタシからの、ひとつのお願い』」

 わけもなく声に出る。出るのなら、止めないでいようか。

 下の行に書かれているのは――――

「『どれだけ離れていても即座に通信ができる時代でも、ワタシとキミとは互いに通信を交わさないようにしよう。そして、ワタシはキミの名前がいつか世界に広く現れる日を楽しみに待つことにする。だから、必ず素晴らしさのもとで世界に現れるようにするんだよ』」

 あっ、まだ下にとても小さく文が続けられているのか。

 えっと、書いてあるのは――――

「『遠くても、見えるように。イライナ・メトゥルハック』……」

 言葉が、言葉だけじゃなくなった。

 確かめられないはずの想いが、確かに届く。

 二行と一行。きっと長くはない。むしろ短いんだろう。

 けれど、分かる。信じられる。

 欲が、願望が、ひとつ増えた。いや、元からあった願いに新たな意味が加わったというのが正しいのかもしれない。確かなことは、僕が今、冒険家になりたいと願うようになったということだ。

 冒険を、風旅を、願いそのものに、そして願いを叶える手段にもしよう。未知を探して、知って、既知を確かめて、塗り替えよう。果てからやって来たのが僕だけなら、きっと僕だけができることもある。それができれば、この交わさなかった約束を守れるんだろう。

 僕は、アラシのように有名な冒険家になろう。

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