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平和の味

 光だ。光が飛んでいく。

 暗闇を切り裂いて、ただ真っすぐに飛翔している。

 あれは命だ。命の輝きだ。

 いくつもの煌きが、一つの大きな矢になって、遠い空へと飛んでいく。

 私はその様子を、ただ見守る事しかできない。

 私は、置いて行かれたのだろうか。

 どうしようもない切なさと寂しさで、胸に穴が開いたような気持だった。

 待ってくれ。置いていかないでくれ。

 私は追い縋るように走り出す。しかし、光の矢はどんどんと遠ざかっていく。

 私は必死の思いで、祈るように手を伸ばす――。


 ――――。

 

 眼を開ける。私は真っ白な壁を見つめていた。やがて、自分が陽の光を透かしたテントの生地を見上げているのだと気が付いた。後頭部や腰に掛かる圧力から、硬いベッドか何かに寝かされている事も理解した。そうやって私は、少しずつ自分の輪郭を取り戻していった。

 ここはどこなのだ? 今は何月何日で、戦いはどうなったのか? 私はその事を知りたがったが、二十四時間の内に三度入れ替わった隣人は、誰もが口を利ける状態ではなかった。忙しそうに駆け回る軍医は、一人に掛ける時間を数十秒から長くて二、三分と決めているようで、必要な会話以外は一切してくれなかった。


 私が運び込まれたのはいくつものテントが繋ぎ合わされた、巨大な野戦病院だった。ひっきりなしに負傷者が運び込まれてくる。負傷者はアルストロ、リナリア、ゲニアの陣営の区別なく、等しい手当てを受けていた。しかし多くの前線野戦病院がそうであるように、押し寄せる負傷者があまりに多いので彼らは手足を失って瀕死の状態であっても、担架に乗せられたまま日除けの下に置かれたり、彼らを運んできた救急車やトラックの中で駐車場に置かれたりしている。その様子は、北アリウムでは未だ激しい戦闘が繰り広げられていることを如実に物語っていた。

 少年のような若い衛生兵が私の包帯を替えるためにやってきた時、彼に話を聞くことができた。私は真っ先に、アルテミスがどうなったかを尋ねたが、他の多くの兵士がそうであるように、彼もまた多くの情報は持っていなかった。アルテミスは黒豹の率いる戦車部隊と攻撃機の襲撃を受けるが、前線への支援を続けながらこれに応戦。見事撃破するという離れ業を成し遂げるも、相打ちとなって部隊は壊滅。つまり、私の持っている情報以上のことは、誰も知らないのだ。


 代わりに彼は、エリゴス・ラインでの戦いの結末を教えてくれた。

 アルテミスから放たれた最後の矢が、ゲニア防衛線に穴を穿ち、アルストロ軍はそこを突破点として戦力を集中投入した。ゲニアの防衛部隊は真っ二つに引き裂かれ、撤退しようとする砂漠側の部隊の背後を、迂回したリナリア軍が抑え込んだ。連合軍は海側の部隊には撤退を許してしまったが、砂漠側の部隊を挟撃により撃滅することに成功する。連合軍はこの戦いだけで、五万人以上のゲニア兵を捕虜とした。 捕虜の中にゲニア北アリウム軍団長、エルミダート・スマイツの名前は、残念ながら存在しなかった。

 その後、連合軍は北アリウムにおけるゲニアの最後の拠点である、メデニスとシルテラートという二つの港湾都市に向けて進軍した。ゲニア北アリウム軍団は最後の抵抗として戦いを続け、双方ともに大きな損害を生み出し続けていた。


 私は彼に現在の日付を訪ね、愕然とした。あの日から、私は約一週間もの間眠り続けていたらしい。こればかりは到底信じられない話だった。だがそれが本当の事であると解った時、これまで経験した事のないような情けなさと焦りに身を焼かれた。

「これ以上、こんな所にはいられない」

 私がそういうと、若い衛生兵は困ったような、そして半分面白がるような口調で答えた。私の言葉が冗談に聞こえたらしい。

「手の指をいくつも失い、左腕の肉はぬいぐるみのように縫い合わされて、あばらの骨を三本も折り、更には黄疸と肺炎を患っている貴方が、ベッド以外のどこへ向かうというのです?」


 退院の許可を待つつもりはなかった。私は彼に、話の礼として朝食時に配られたキャプスタンという煙草の四本入りの箱を渡し、夜が来るとそのままベッドを這い出した。思うように動かない脚を絶望的な気分で引きずり、様々な物に手を掛けながら、少しずつ歩いていく。コツを掴むまでに随分と時間を要した。

 私はテントの脇に積み上げられた、もはや持ち主の居なくなったコートやブーツを身に着ける。錆びの浮いた標識には、エル・ハイファという文字が書かれていた。エリゴス・ラインとメデニスの中程にある、オアシスを中心とした小さな街だ。私はたちどころに行き詰まった。道は一本しかなく、殆どの車両は前線へと向かって行く。もはや過去の戦場となったエリゴス・ラインへ向かう車両などは一つも無かった。

 それでも私は、這ってでもあの場所へ向かうつもりだった。身体の状態だとか、行動の意味を考える事は無い。髪はボサボサで、頬はこけ、髭は伸びっぱなし。サイズの合わない、大きすぎるコートとブーツを身に着けた姿で、幽鬼のように歩いていく。何度意識を失いかけたか解らない。その度に私を引き戻したのは、彼女たちに対する強い思いだった。


 一両のジープが私の横を通り過ぎ、少し先で停車した。身を捩るようにして降りて来た大男には見覚えが無かったが、彼の方は私が何者であるかを知っているようだった。そして私も、大男に対して昔の友人に向けるような感情を抱いていた。「会えて嬉しいよ」と彼は言い、私は同じ言葉を彼に返した。

 ハリーズ中尉は頻繁に私を見舞ってくれていたらしい。そして今夜、私のベッドがもぬけの殻になっているのを見て、全てを察した。彼自身も二十針以上を縫う傷と大きな火傷を負っていたが、かすり傷だといって笑い飛ばしていた。

 直接顔を合わせるのは初めてでも、彼と私は既に親友だった。語り合うべき事は山のようにあったが、ハリーズは黙ってくれている。私は助手席で蹲り、砂漠の夜に震えていた。やがてジープは舗装された道を外れ、険しい砂利道へ入り込む。私はジープを降り、感触を確かめるように大地を踏みしめる。振り返るとハリーズがラベルの無い酒瓶を取り出し、シートに深く腰掛けた。野暮をするつもりはない、と言外に語っているのだ。私は感謝の言葉を口にし、星明かりに照らされた荒野を行く。夜空を埋め尽くす星々は、地球が球体であることを私に思い出させてくれた。


 まだ処理されていない地雷や、不発弾の存在を示すポールが、あちこちに突き立てられている。辺りに無数に散らばる焼けたトラックや砕けた対戦車砲などの残骸が、この地で行われた戦闘の激しさを表していた。

 やがて私は黒豹たちとの戦闘を繰り広げた、細かな砂利と岩だらけの場所へ辿り着いた。回収されずに道端に転がったままの、家族の一員のようだったシボレートラックを一両ずつ、丁寧に観察してゆく。なにかを見つけられる事は無かったが、私には桃色のシボレートラックのボンネットに開いた穴や、剥き出しになったシーツの骨組みすらも、堪らなく愛おしかった。


 私は時間を超越していた。この夜は、まるで永遠に続くかのようだった。世界の果ての、地獄のようだった戦場の片隅で、一人の人間に感じられる概念など、一切の意味を持たなかった。

 気が付くと、私は破壊された女神たちの墓場に立っていた。

 あの勇ましかった女神たちの弓は、今や見る影も無い。私は一両ずつを見て回り、最後に一号車の戦闘室を覗き込んだ。この地で命を懸けて戦った少女たちの存在を示す痕跡は、やはり一つも見つけられなかった。

 苦労して戦闘室の側面に据え付けられた梯子を上り、辺りを俯瞰する。眩しいくらいの星明かりに、散らばった桃色の残骸が、焦げた花弁のように映し出されていた。


 ――――戦争の熱が――――、過ぎ去ってみれば――――。

 

 彼女たちは、何を遺せたのだろう。


 私は、彼女たちに何を与えることができたのだろう。


 心の中で糸のようなものが切れ、全身から力が抜けていく。私は立っていられなくなり、膝から崩れ落ちる。

 機甲砲科特務隊の少女たちや、敵であったマルセル少佐や、あるいは黒豹も。国家や軍隊、民族や宗教というものの狂った虚構が無ければ、間違いなく良い友人となれる人物だった。立場は違えど、私たちは明日を求め、信念に基づいて生きようとした、何も変わらない、同じ者であったはずなのに。それでも倒錯したやり方に捕らわれ、武力による争いを続けなければならない。これほどの悲劇が他にあるだろうか。


 溢れ出る涙を抑えることができなかった。抑えてはならないと思った。私は獣のように吼え、慟哭した。胸の奥で蟠っていた想いの全てが迸っていた。


 本当にこれしかなかったのか。本当に、こんな結末しかありえなかったのだろうか。私は彼女たちの、生きた証を刻みたいという想いを決して否定しない。しかし、本当にそんな道しか残されていなかったのだろうか。


〝せめて、世界がもう少し優しくあってくれたら――〟


 そのイリスの最後の言葉こそが、彼女たちの本当の望みではなかったのだろうか。

 女神のように佇む砂漠の蒼い月は、何も答えてはくれなかった。


            ■


 五月七日。アルストロ軍がメデニスに、リナリア軍がシルテラートに突入した事で勝敗は決し、十三日にはゲニア北アリウム軍団が降伏。捕虜の数は二十七万人に達し、砂に塗れた北アリウム戦線は、連合軍の勝利で幕を閉じた。

 だが、戦争はまだ続いている。幸いにしてゲニア北方方面軍と、マルヴァ連邦の戦端は雪解けにぬかるんだ大地に阻まれ、未だ開かれてはいなかった。互いに戦力を結集させつつ、攻撃開始の機を伺い合っている。北アリウム戦線が連合軍の手に落ちたことで、勢いに乗っていたゲニアの中で、行動に慎重さを求める声が大きくなっていた。我々にとっては好都合だ。連合軍はマルヴァ連邦の支援をするため、上陸作戦の準備を急ピッチで進めていた。


 一方私と言えば、アルストロ本国より送られてきた、八十六名の少女の前で壇上に立っていた。北アリウム戦線での戦果に気を良くしたお役人共に送り込まれた、機甲砲科特務隊、通称〝アルテミス〟の補充要因として送り込まれたPSの少女たちである。

 当然、私がこの場に立つまでには一悶着あった。私は再編成されたアルテミスの指揮官へ私を据えるという命令書を携えたマグヌス中佐に掴みかかり、ありったけの罵声を彼に浴びせかけた。しかし、仮にたとえ私がこの使命を辞退したとしても、アルテミスの第二陣が解体されることはない。そうであるならば、私以外の誰にこのような役目を任せられるだろう。私はこのあらたな使命を受領するしかなかった。


 私は少女たちの顔を見渡す。表情からは戸惑い、恐怖、悲嘆といった感情が見て取れた。当然だろう。彼女たちはまだ戦場を知らない、ただの少女なのだから。そしてこの地で訓練を重ね、そう遠くない未来には上陸作戦に参加し、万全の準備を整えて待ち構えている敵へ挑まなければならない。やがて彼女たちもまた自らの運命を受け入れ、ルディたちと同じような気持ちで戦いに身を投じていくのだろう。

だが、私の考えは違う。私は彼女たちへ別の道を示す。その道こそが砂の海でもがくように泳ぎながら、私が得た答えだった。


「諸君らも知っての通り、機甲砲科特務隊〝アルテミス〟は北アリウム戦線における英雄であり、連合軍へ最大級の貢献を示した部隊である。諸君らにはこの部隊の一員となる事の意味を理解し、その名誉を汚すことの無きよう、死を恐れず、たとえクソと小便に塗れる事になろうとも、最後の一兵までゲニアの野郎共に死を叩きつける事を期待する――。と、どこかの将軍様ならこう仰るのだろうが、私の考えは全く異なる。

 よく聞け。私は諸君らに、死ぬために戦うことを禁ずる。ただ殺すために戦うことを禁ずる。どのような英雄的行動の為であっても、自ら死を選び取るような行為を禁ずる。戦争などという、人類の愚かな営みに、己の魂を捧げる事を禁ずる」

 少女たちに動揺が広がる。予想していた、あるいは覚悟していたものとは全く正反対の言葉に、彼女たちの心が揺れ動いていた。


「戦争は人を狂わせる。平時であれば理性的で、神と隣人と家族を愛し、決して悪事には手を染める事のないような人物でも、ひとたび戦争という歪んだ枠組みに放り込まれれば、いともたやすく残虐な行為を行う事ができる。もちろん、これは罪ではない。国や国民が称える行為であり、戦争という狂った舞踏会を終わらせるためには、絶対に必要な行為だ。

 しかし、その事だけに心を奪われてはならない。殺人という禁忌を、自己の中で正当化してはならない。またそのような行為を行った自己に対して、その存在を軽んじてはならない。私たちが家族であるように、敵にもまた家族がいる。家族の命を単純な数字で数えることができないように、敵の命もまた、簡単に数字で仕分けをしてはならない。私たちは、そして敵も同様に、国家や軍隊に属する兵士である以前に、人間という名の一人の戦士であることを忘れてはならない。たとえ世の中の、姿も見えない、大きな仕組みの、どのような思惑に捕らわれようともだ。それをどうか、胸に刻んでほしい。

 諸君らの気持ちは理解できるつもりだ。目の前に横たわる、途方もない困難に恐怖していることだろう。かつて、私もそうだったように。しかし冷静に考えてみて欲しい。一つ深呼吸をしようではないか。永遠に続くように思えるこの戦争も、人生という長い流れの中で考えれば、ほんの数年の事でしかないのだ。吹き荒れる死に魂を蝕わられてはならない。私たちは、たとえどのような状況に身を置こうとも、明日を求め続けるべきなのだ。

 とはいえ、諸君らの中には〝仮に生き延びたとして何になるのか?〟と考えている者も居るだろう。故に戦争に自らを捧げ、せめてその存在を人々の記憶に刻み付けたいと願う者も居るだろう。そうした想いそのものを否定はしないが、しかし、私はもう一つ別の提案をさせて貰う。この戦争を生き延び、平和な時代を迎え、子を成し、次代にその命を繋いでいくのだ。夢物語だと思うだろうか? 私は全くそうは思わない。諸君らは人間だ。自らの幸せを追い求め、その為に努力する権利を持っている。諸君らはそのような権利は、これまでの様々な運命に奪われていると感じているだろうが、そのような事は断じてない。そこは私が、己の全てを掛けて保証する。

 もちろん、私は無責任にこのような事を言っている訳ではない。アイディアは用意してある。戦争が終われば私は父から受け継いだ会社を売却し、新たにキャンディ工場を経営しようと考えている。そう、飴玉だ。会社を預けている知人とは、既に話が付いている。子供たちに飴玉を配って生きる人生だ。中々に素敵だとは思わないか? 大人だってキャンディは大好きだ。言うまでもないが、大人からは商品の代金をしっかりと頂戴するがね」

 小さな笑い声が上がる。少女たちの表情に、微かな光が差し込んでいた。

「そして君たちは、その工場の従業員だ。戦場のように危険は無いし、空爆や砲撃で叩き起こされる心配もない。もちろん給料はしっかりと支払うし、休日にショッピングを楽しむのも自由だ。そしていつか君らは恋をし、子を成し、やがて安楽椅子の上で孫の頭を撫でながらのんびりと老後を過ごすだろう。

 重ねて言う。戦争に魂を捧げるな。私たちは明日へ向かって手を伸ばすべきなのだ。そして忘れてはならないのは、敵も同じように明日を望んでいるという事だ。私たちは敵を殺そうとし、そして敵もまた、私たちを殺そうとするだろう。しかし、そこに憎しみを介在させてはならない。仲間と同じように、敵に対する尊敬も忘れてはならない。私は戦争という大いなる矛盾を理解し、迷いを捨て、恐怖を乗り越え、信念と覚悟を持って戦い続ける戦士であることを諸君らに望む。

 私は生涯に渡って、諸君らのような素晴らしい者たちを率いて戦えたことを誇りに思うだろう。そして諸君らも、私と心を同じくする事を期待する。以上だ」


 私が壇上を降りると、背中にいくつものすすり泣く声を聴いた。彼女たちは自分が、決して戦争の道具などではないということを思い出していた。

 もっと早く、この答えに辿り着いていれば。そう思う気持ちもある。しかしこれは、ルディたちやマルセル少佐や、黒豹やハリーズが私に教えてくれたことだ。自分一人では、絶対に辿り着けなかった答えだ。みなの想いを引き継ぎ、明日に繋ぐ。それこそが私に課せられた、あるいは託された使命なのだ。


 私は胸ポケットから煙草を取り出し、少し考えてそれを握り潰した。そして一粒のキャンディを代わりに取り出す。薄茶色に光る楕円を見つめていると、前方から不意に声が上がった。


「サミュも、バタースカッチキャンディが好きなんですか? 気が合いますね」

 驚いて顔を跳ね上げた。ああ、何ということだろう。私は目にしているものを信じることができなかった。永遠に失われてしまったと思っていた宝物が、再び現れたのだ。

「プリムラ、どうして。ああ、なんということだ」

 私は彼女の前で膝をつき、そしてその小さな身体を抱きしめた。これが夢や幻の類でないことを確かめるために。彼女は驚いてしばらく身を捩っていたが、やがて私を抱き返してきた。プリムラは落下するスツーカが激突する瞬間、念動力の向ける先を退避に振り向けていた。グルース航空基地でⅢ号戦車の砲弾から、イリスと自身を救ったように。そして彼女は「私だけではありませんよ」と笑う。


 言葉の意味はすぐに解った。気配に目を向けるとカネットやブレンダたち砲撃部隊の、そしてサヴィナたち強襲偵察隊の少女たちがそこに居た。誰もが傷つき、カネットなどは左足を失い、ブレンダやサヴィナも腕を吊ったり顔の半分を包帯に覆われていたりしたが、間違いなく彼女たちは現実に生きていた。

 そしてその後ろから現れた、ニーナの押す車椅子に腰掛けていたのは、最もアルテミスの名を頂くに相応しい少女であった。


 黒豹たちとの戦いで生き延びた機甲砲科特務隊の少女たちは、最終的に十七名だった。誰もが深く傷つき、無事な者など一人も居なかった。しかし、彼女たちは他の兵士と同じように野戦病院で手当てを受けることはできない。マグヌス中佐の手配した救助隊が到着する間にも多くの命が失われ、救助された後も、半ば隔離するように存在を秘匿されていた。


「もっと早く会いにこようと思っていたのですが、せっかくだから驚かせようと考えまして」

 ルディが悪戯っぽく笑う。

「まったく、悪趣味な女神様だ。マグヌス中佐も知っていたということか? くそ、あの狸おやじめ。とにかく、また会えて嬉しいよ。本当に」

 私はルディへ握手を求めて手を伸ばしたが、彼女の反応は鈍かった。そして遅れて出されたルディの手は、何度もすれ違った。

「まさか、眼が――」

 ルディは視力と歩行機能に障害を負い、車椅子での生活を余儀なくされていた。しかし「いざこうなってみると、意外となんとかなるものですよ」と彼女は笑って見せた。ルディは視力そのものこそ失っていたが、彼女らをアルテミス足らしめていた〝俯瞰する眼〟は、未だに健在なのだと言う。


「素晴らしい演説でした」とルディは私に微笑み掛ける。しかし私には、そのような賛辞は身に余る光栄だ。

「私は、恥ずかしいよ。戦争の狂気に飲み込まれ、癇癪を起した子供のような行いに、多くの命を巻き込んでしまった。〝マッド〟という呼び名は、実に相応しい物だったのだと、今では思うよ」

 ルディは私の手を両手で包み込み、微笑んで首を横に振った。

「それを言えば、私こそお恥ずかしいのです。私は運命に絶望し、人間としての存在と営みを放棄していました。アルストロ合衆国の矢として、命を賭して戦い、一つでも多くの命を巻き込んで散る事こそが、存在意義であると勘違いしていたのです。

 貴方は、私たちに人間性を取り戻させてくれました。派手な自殺志願者でしかなかった私たちを率いて、誇り高き戦士にしてくれたのです。そして今、眩しい未来を示してくれている。貴方こそが、私たちの希望なのです」


 私は胸がいっぱいになり、満足に呼吸をすることもできなかった。


 私は生まれて初めて、尊敬する父の言葉を否定する。

 私は決して、平和に恐怖などすることはない。この先にどんな困難が待ち受けようとも、どのような悪意に襲われようとも、私は、胸を張って立ち向かうだろう。守るべき者の為に、失われてしまった者の為に、私は生涯、一人の戦士であり続けるだろう。


「戦争は、まだ続いています。これからも、私たちを導いて頂けますか?」

 ルディが私に問う。答えは解りきっていた。

「もちろんだ。人生を終えるその一瞬まで、私は君たちと共にある」

 不意に腰の辺りを(つつ)かれた。視線を下げると、プリムラが何かを企むような表情で手招きをしている。私は屈みこみ、プリムラに視線を合わせた。

「どうした? そういえば、少し見ない間に背が伸びたんじゃ――むぐっ!?」

 一瞬、自分が何をされているのか理解できなかった。私はプリムラに突然頭を抱え込まれ、唇を重ねられていたのだ。そして目を白黒させているうちに、舌で何かを口の中に押し込まれた。

 周りではカネットやサヴィナたちが、黄色い声で騒ぎ立てている。能力を使っていなかったルディは「な、なにがあったんですか!?」と説明を求めて首をあちこちに向けていた。

「サミュはとーっても頑張ってくれたので、私からご褒美です」

 悪戯に成功した子供のような――全くその通りなのだが――表情で、プリムラが言う。私は何か強い言葉で彼女を叱ろうとしたが、口の中で溶けだしたキャンディに気を取られてタイミングを逃していた。いつの間にかプリムラに指からバタースカッチキャンディを抜き取られ、キスと共に口移しされたのだった。

 私は思わず吹き出し、笑いが収まるまでに長い時間を必要とした。これほど心から笑ったのは、いつ以来だろうか。あまりに笑い過ぎたので、目端に涙が浮かんでしまった。


 長い砂漠の戦いを終えて手にした平和の欠片は、ほろ苦くてしょっぱくて、気が遠くなるほどに甘かった。

 私はこの味を、決して忘れることは無いだろう。


 そして、未来へと繋いでいくのだ。


                                      『完』


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