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決戦の足音

 ナスルに辿り着いた私たちを待っていたのは、私たちの物と同じように桃色の砂漠迷彩塗装が施されたシボレートラックと、装備の一式だった。

 彼女たちは古くなったシボレートラックを、誰とも知れぬ整備兵に引き渡す事を嫌がった。私も同意見だった。何とかして持ち帰り、自分たちの手で再び大地を駆ける事ができるように直してやることが、今まで共に戦ってきた桃色の戦友たちに対する礼儀のように感じていた。

 加えて私たちに与えられたのはすぐに取り下げられるであろう休暇と、ナスルの街外れにある大きな屋敷だった。高さ三メートル程の壁に囲われた、大きいだけが取り柄の古ぼけた建物だ。庭では巨大な発電機が魚雷艇のような唸り声を上げている。だが安全な場所でゆっくり眠る事ができるというだけで、私たちには十分過ぎた。何より、屋敷のトイレには天井と扉がある。私は文明というものを思い出した。


 壁に囲われた庭の一角に、傷ついた桃色の戦友たちを纏めて駐車しておく。ラナやサヴィナなどは多くの時間をそこで過ごし、夜も建物の中では無く、荷台で毛布にくるまって眠っていた。見通しの効かない場所では寝付く事ができないのだという。

 埃っぽい休息地は彼女たちに安寧を与えた。壁のおかげで人の目を気にする必要がなかったからだ。彼女たちは砂避けのフードとマスクを取り払い、存分に肌と髪を風に晒す事ができた。

 私は小部屋を執務室とし、報告書の作成に追われていた。存在しないはずの部隊の作戦行動報告書を作り上げる事に労力を費やすのは馬鹿馬鹿しいとも思えたが、私たちの戦いを記録しておくことは無駄では無い。私は安全な暖かい場所で、柔らかい椅子に踏ん反り返っている高級将校の為では無く、私と彼女たちの戦いをこの世に形として残すためにペンを走らせた。


 二日が経った頃、懐かしいエンジン音が屋敷の敷地内に入ってきた。庭からは再会を喜ぶ声が派手に響いてくる。私は執務室で椅子に座ったまま、彼女を待った。ややあって扉が遠慮がちにノックされ、黒髪の女神が姿を現した。

「随分と久しぶりだ。まるで百年振りじゃないか? バドワイザーでもやるかね」

 私が手を広げて彼女を出迎えると、ルディは垢と砂だらけの肌や髪を隠すように俯き、恥ずかしそうに苦笑いを浮かべた。

「大変魅力的なお誘いですけれど、まずはシャワーをお借りできませんか?」

 女神たちは浴場でたっぷりと湯を浴び、溺れるように水を飲んだ後、丸一日を眠り続けた。翌日、執務室で報告書を作成している私の元へ、しっかりと身だしなみを整えたルディが、蝋紙に包まれたサンドイッチと新鮮な水を持ってやって来た。

「改めてご挨拶を。お元気ですか? サミュ」

 私たちは力強く握手を交わした。私は何百何千の言葉を用意していたが、一つも口にする事ができなかった。ようやく伝えられたのは「再び会えて嬉しく思う」という、不格好なただ一言だった。


 砂海越えの後にルディたちと連絡が取れなくなったのは、やはり無線機の故障によるものだった。私が砂海を越えた四日目の事だ。ルディの搭乗していた砲撃部隊の一号車、アルテミスが低い砂丘を乗り越えようとした時、足場が突然崩れて車両が横転。不運にも砲弾を固定していた鎖が千切れ、一つしかない無線機を押しつぶした。予備パーツは一つも役に立たなかった。

 ルディは私に謝罪した。車両の立て直しと修理に手間取り、ガガ・メニス燃料集積場の襲撃に間に合わなかった事をだ。私は彼女に感謝こそすれ、責める事などできようもなかった。本当の所をいえば、ルディたちの何十トンにもなる特殊車両はラムリア大砂海の中で立ち往生する可能性の方が高かった。彼女たちの事を想えば、あの時私は引き返すべきだった。しかし女神たちは自力でラムリア大砂海を横断して見せ、私たちを追手から救ってくれた。

「しかし、砲撃部隊が襲撃に間に合っていれば、アリスンやミュエルたちは――」

 そこまで口にして、ルディは失言を恥じ入るように顔を背けた。

 もしあの時こうしていれば。もっと思い通りになっていれば。それは言い出せばキリがない。

私とルディは共に部隊を従え、多くの命を預かる身だ。失われてしまった命に対する自責の念は、どうしようもなく胸を締め付ける。だが本来、それは口にしてはならないのだ。責任をただ受け止め、胸を張って両の足でしっかりと立ち、強い姿勢を部下に示す。それがあるべき指揮官の姿というものだ。

私たちは彼女らの死を悼むべきだが、それが足枷になってはならない。彼女たちもそれを望まない。

 とはいえ、私もルディも鋼の心を持っているわけではない。いっそ誰かに酷く責めてもらえれば、と願う気持ちは痛いほど理解できた。


「私は、頼り過ぎていたんだ。甘えていたといっても良い。君や彼女たちの能力に任せっぱなしで、兵士としての基本を忘れていた」

 たとえばガガ・メニス燃料集積場での事だ。敵拠点の周辺に地雷原があるという事は、当然警戒してしかるべきだった。しかし私は敵部隊の有無だけで進路を決定した。戦車小隊を率いた頃ならば、そうはしなかっただろう。

 グルース航空基地でもそうだ。もっと周辺警戒に意識を割くべきだった。確かに共感覚の能力は確かに道中で敵から発見される事を完璧に防いでくれた。これは驚くべき成果であった。しかしその能力は、常に十全に発揮される訳では無いのだ。

 私がもっと注意深ければ、そのことに気が付ける場面はいくつもあった。一つはラムリア大砂海を越えた直後だ。マーテルは狂いなくオリオンを集合地点に導いたが、その後に近づいてきた部隊がアルカディアであると、ギリギリまで気が付かなかった。自分たちの位置を確認するので精一杯で、消耗していた彼女は他のことに意識が向いていなかった。だから仲間たちの位置を見失っていたのだ。

 それと同じように、グルース航空基地ではニーナは基地内に渦巻く、強い死の情念に酔っていた。そのような中で、体力的にも精神的にも消耗の激しい共感覚の能力を発揮することは難しかったのだ。それは私が一番に気付かなければならないことだった。


「謝らなければならないのは、私のほうだ。私は良い指揮官では無かった。信頼するという事の意味を履き違え、マーテルやミュエルやメリンダたちの勇気、機略、不屈さの上に胡坐をかいていた。私は私の無鉄砲さと未熟さに、君たちを付き合わせてしまった」

 指揮官としての資質がどうであれ、今の私は強襲偵察隊を預かる身だ。弱音を口にしてはならない。だが同じ立場であるルディには、心中を正直に話すべきだと思った。

 しかし私は恐れた。今更になってこのような事を口走る私に、ルディはきっと失望するだろう。男らしさから遠くかけ離れた言葉に対するルディの反応を、私は判決を言い渡される罪人のような気持で待った。

「貴方はまだ勘違いをしたままです、サミュ。私たちはそんな貴方だからこそ、命を預けたいと思ったのです。私は既にお伝えしたはずです。貴方に深く感謝していると」

 私は驚いて顔を上げた。ルディは優しく微笑み、しかし今にも泣きだしそうな顔をしていた。

「私たちは皆、戦いを恐れていました。当然です、死ぬのは誰だって怖い。ましてや私たちは信念や義憤に駆られて志願したのではなく、道具として戦争に投入されるだけの存在だったのですから」

 ルディの声は水気を帯びている。私が心の奥にあるものを繕わずに吐露したように、彼女もまた本音を吐き出していた。

「貴方だけは、私たちを目にして、真っ直ぐに怒りを示してくれた。私たちを人間として扱い、放り出さずに責任を負ってくれた。それが、どんなに、嬉しかったか――」

 ルディの瞳から、大粒の涙が耐えきれずに頬を伝った。私は喉を詰まらせ、次々に輝く宝石が零れ落ちるのを、ただ見つめていた。

「サミュが私たちを人間にしてくれた。貴方以上に素晴らしい指揮官を、私たちは知りません」

 私は自身の不明を恥じた。女性にここまで言わせなければ心の内を汲み取れないとは、男としてなんと情けない事だろう。そして同時に、心から誇らしくも思った。彼女たちは、とても勇敢な兵士だ。私など足元にも及ばない程に。そんな彼女たちが私を指揮官と認めてくれる。これほど名誉なことが他にあろうか。

 数えきれないほどの感情が身体中を駆け巡り、しかし私はルディの手を強く握り、ただ「ありがとう」と伝えるだけで精一杯だった。他のどんな言葉も、私の彼女たちへ対する感謝と愛情を示すには足りなかった。




 連合軍は少なくない犠牲を出しつつも、それまでの遅れを取り戻そうとするかのような快進撃を続けていた。最前線の地名は毎日更新され、兵士たちは連日大移動を続けていた。

 ナスルに辿り着いてから七日が経ったころ、ルディが私の執務室に地図をもってやって来た。ルディは地図に大きく円を書き加え「エリゴス・ラインです」と円の中心をペンで叩いた。

 エリゴス・ラインは父が戦った、先の大戦の際に構築された古い防御線だ。起伏の激しい地形と、身を隠すことの出来ない平坦な地形が組み合わされた難所だった。


「端から端までの長さは約六十五キロ。海と山地の間の間隙(かんげき)を塞いでいます。容易ならざる代物です。エルミダート・スマイツはエリゴス・ラインに第七、第十五、および第二十一装甲師団などの強力な部隊と共に立て籠もっています。加えて海の向こうから敵の装甲車両や航空機、歩兵師団などの増援が向かっています」

「連合軍はどうするつもりなんだ?」

「この難物に、正面から挑んで横断するというのは、あまり現実的ではありません。私たちアルストロ連合軍が敵を引きつけ、その隙にリナリア第八軍団がこの防御線を迂回して突破。その後、我々と共にゲニア防衛部隊を挟撃します。攻撃は明日にも開始されるでしょう」

 言葉でいうのは簡単だ。しかし――。

「ここを迂回するのか? 難しいだろう」

 エリゴス・ラインの南部には軍隊の通行にはとても適しているとは思えない、山と谷だらけの起伏に富んだ地形と、まだ地図も作成されていない、ラムリア大砂海に負けないくらい大きなビルス大砂海が広がっている。

「リナリア軍の長距離砂漠挺身隊が、渓谷に迂回路を発見したという情報があります。私たちはクラーク・モラン将軍率いるリアリア第八軍団がこの渓谷を渡りきり、エリゴス・ラインの背後に展開するまで、敵を引き付けて彼らを支援するのです」

 当然、突破してしまっても構いませんが。とルディはおどけて見せる。

 迂回からの挟撃は、当然敵も警戒しているだろう。苦しい戦いになるのは間違いない。渓谷のような狭い地形では、数の利は生かしきれない。


「エリゴス・ラインさえ突破してしまえば、後には小さな港町が二つあるだけです。どれだけ増援がやってこようとも、展開できる戦力は限られます」

「ゲ二アの海上輸送航路を空からおさえる事もできる。補給を絶たれ、退路も無い。ゲ二ア北アリウム軍団は、連合軍に降伏するしかない」

 ルディは頷き、だから、と言葉を続ける。

「総力戦です。ゲ二アは持ちうる全ての戦力をエリゴス・ラインの防衛に充てるでしょう。これを撃破することができれば、北アリウムは平定されます。私たちの勝利によって」

「もし突破に手間取り、ゲ二ア本国からの増援の到着を許せば――」

「戦争は終わります」ルディが大きな瞳を細める。「私たちの敗北によって」

 北の大地で行われているゲ二アとマルヴァ連邦の戦いは、現在雪と雪解けの泥濘によって停戦状態にある。しかし戦況は思わしくない。マルヴァ連邦は数々の優秀な兵器を有しているが、兵士の士気は驚くほど低く、度重なる内部粛清によって組織は疲弊し、稚拙な戦術論に則っていたずらに戦力を無駄にしている。本格的な春を迎え、再び戦端が開かれればゲ二アはマルヴァ連邦を蹴散らすだろう。そうなればゲ二アはウルズ工業地帯とメディニコフにある油田を手に入れ、更には北アリウムに展開する私たち連合軍の背後を突くことができる。挟み撃ちにされる私たち連合軍は、大人しく白旗を上げるしかない。

 もしそのような事態になれば、ゲ二アに対抗するだけの軍事力を有する国家は、もはや存在しなくなる。ゲ二アのただ一国に世界の全てが敗北することになるのだ。

 しかし一方で、エルミダート・スマイツ元帥の率いる北アリウム軍団を撃破し、この北アリウムを手にすることができれば、私たちは海を越えてマルヴァ連邦と戦いを繰り広げているゲ二ア北方方面軍の背後に回ることができる。

「参謀本部は滞りなくエリゴス・ラインの攻略に成功すれば、この戦争を冬には終結させることができるだろうと考えています。私たちが今年のクリスマスをどのような表情で迎えることになるかは、この一戦に掛かっているという訳です」

 エリゴス・ラインでの戦いは北アリウムにおける、いや、この戦争全体における文字通りの決戦なのだ。


 翌日、私たちは参謀本部から予想通りの命令を受領した。私は整備を終えた女神たちの特殊砲科車両と共に、真新しい桃色のシボレートラックに乗ってナスルを後にする。


 三月二十三日。春を目前に控えた、晴れた日のことだった。連合軍とゲ二ア北アリウム軍団の戦いは、最終局面を迎えようとしていた。


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