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グルース航空基地遭遇戦②

 ニーナはか細いうめき声をあげるクレアの手を握りしめたまま、哀れなほどに震えていた。私は彼女を操縦席に付かせ、プリムラにクレアを地面に降ろすように命じた。クレアをこのまま戦闘の只中に連れて行くわけにはいくまい。

「私が、もう少し早く、気が付いていれば」

 消え入るような声でニーナが言う。私は彼女にかけてやる言葉を見つけられずに、ただ背中に手を添えてやることしかできなかった。彼女は自分の責務を満足に果たせず、敵に先制攻撃を許してしまい、大切な仲間を何人も失った。少なくとも彼女自身はそう考えている。

 しかし、この事態は彼女の責任などではない。共感覚能力に頼りすぎ、周辺警戒を怠った私の失態だ。だがそれを言葉にして彼女に伝えたところで、何の意味もないのは明らかだった。ニーナは自分を許すことはできないし、誰かに慰めて欲しいわけでもない。仲間の死をただ背負うのだ。彼女は、自分で自分を罰することこそを望んでいる。


 敵からの銃声が鳴りやまない。私たち第一小隊オリオンは滑走路側をサヴィナたちアルカディアに任せ、エンジン音を響かせないように反対方向へゆっくりと進む。ラナは負傷者の手当の為にその場に残った。

 この辺りは小さな丘がいくつも連なり、波打つようにうねっている。平坦なのは、均された航空基地の敷地内だけだ。建物の陰から双眼鏡を覗き込むと地面の起伏や、辺りにごろごろと転がっている岩に身体を隠しながら進むゲニアの部隊が見えた。やはり大きく回り込み、こちらの側面を狙うつもりだったようだ。

 敵の数は多かった。装甲車は少なくとも三両。一両には車体の上部を屋根のように覆う、特徴的なアンテナが取り付けられていた。後方にはジープとトラックもいるだろう。腰を屈めた歩兵たちが、ゆっくりと進む装甲車の周囲を固めている。

「イリス、上から狙え。プリムラはイリスの補助だ、デグチャレフの反動を支えてやれ」

 プリムラは上手く隠していたつもりのようだが、彼女が毎晩のように念動力で水を入れる缶を持ち上げたり、キャップを開け閉めして念動力のトレーニングを繰り返している事は誰もが知っていた。砲弾運搬車をひっくり返していた頃のプリムラは、もう存在しないのだ。デグチャレフの反動は過大であり、イリスの細い肩では耐えられないだろう。だが今のプリムラならば銃身を優しく支え、イリスの助けになることができるはずだ。

 努力には報われる場を与えられるべきだ。このような土壇場であれば、なおのこと。

 イリスが二十発入りの弾薬箱を両手に一つずつ持ち、プリムラはデグチャレフを浮かせて階段を駆け上がる。


 背後からアルカディアのブローニングが唸りを上げるのが聞こえた。彼女たちは自分の役目を全うしようとしている。

 敵は身を隠しながら、ゆっくりと近づいてきた。マルヴァ連邦の兵士のように〝ウラー〟と叫びながら突撃してくるようなことはない。誰かがブローニングの給弾レバーを引く音が響く。「イリスがクラッカーを鳴らすまで待て。奴らを驚かせてやるんだ」と私は声を上げた。

 装甲車が揃って丘を越える。頂点を超えた瞬間、装甲車は薄い天面をイリスの目の前に晒すことになるのだ。


 機甲砲科特務隊の本部で行った訓練の一つに、鹵獲したゲニアの兵器について学ぶ座学の時間が設けられていた。ゲニアが扱う銃器の名称、構造、装弾数、威力、重量、扱い方。車両においては各部の装甲厚や弱点の位置。車内のどの部分に乗員が座り、無線機が配置され、弾薬庫が存在するのか。学んだ兵器の中には、ゲニアが鹵獲したリナリアやマルヴァ連邦の兵器に関する物も含まれ、その全てを私たちは頭に叩き込んだ。


 今、イリスの目には装甲車の内部が透けて見えているはずだ。車長、操縦手、無線手、砲手。弾薬庫に燃料タンク、そして無線機にエンジン。その全てが無防備な状態で晒されている。

落雷のような銃声が轟いた。鈍い音と共に、装甲車がガクンと揺れて動きを止める。派手に火花が上がらないのは、銃弾が跳弾せずに装甲を貫徹した証拠だ。エンジンルームから蛇の舌のような炎がチロチロと伸びている。

 カラン、と排莢の音が響く。一拍間の後、再び派手な銃声が轟いた。砲塔上部から斜めに飛び込んだ銃弾が内部で飛び跳ね、装甲車から金属がぶつかり合う音と、くぐもった断末魔が溢れ出した。私たちは驚くゲニア兵たちを出迎える為に、ブローニングを暴れさせた。装甲車は二十ミリ機関砲弾をバラ撒きながら慌てて丘を戻ろうとするが、歩兵が後ろで身を隠しているので直ぐには下がれなかった。

 その一瞬の遅れは、奴らにとってまさに致命的なものとなった。イリスはもう一両のエンジンルームにデグチャレフの徹甲弾をお見舞いし、大地に縫い付けた。無理やりに下がった残りの一両は、操縦席のフラッペを撃ち抜いた。操縦手は人の形を保ってはいないだろう。

 足を止めた装甲車に、イリスは容赦しなかった。次々に十四・五ミリ徹甲弾をお見舞いし、ゲニアの装甲車を完全に黙らせた。反撃も許さない、一方的な狙撃だった。

 最大の盾と矛を失ったゲニア兵は、それでも諦めはしなかった。斜面に伏せ、MP40短機関銃やモーゼルKar98kライフルで反撃をしてくる。


「十一時方向に迂回する敵集団、約二十!」

 ブローニングで地面を薙ぎ払う私の耳元で、ニーナが叫んだ。共感覚能力者は敵意や害意を敏感に察知する。どれだけ上手く身を隠そうが、遠く離れた敵の気配すらを探り当てる彼女には気取られてしまう。特に近距離戦闘において彼女の裏をかくことなど、誰にも不可能なのだ。

 ニーナの示す方向へブローニングを向けると、敵集団が丘を越えるところだった。吐き出された銃弾が敵の脚や腹を食い千切り、灰色の大地を赤黒く染める。

 再び斜面に伏せたゲニア兵へ、手投げ弾が投擲された。斜面の手前で落ちると思われた手投げ弾は途中で弾かれたように跳ね上がり、ゲニア兵が伏せている斜面へ狂いなく飛び込んだ。破裂音と共に衝撃波が放射状に広がり、土煙が上がる。念動力の応用だった。手投げ弾を念動力でコントロールし、ピンポイントで打撃を与える。ゲニア兵にとっては悪夢そのものだろう。

 私は手投げ弾の着弾地点に制圧射撃を加え、その間に更に二発の手投げ弾が投げ入れられた。ニーナが私の肩を叩き、小さく頷く。もうあの斜面に生きている人間は居ないという事だ。


 ニーナは給弾ベルトを持ち、射撃補助を行ってくれている。ニーナが指で示す方向へ銃口を向けるたびに、射撃の為に頭を出したり前進を試みた敵兵のミンチが生産されていく。

 彼女たちは存分に自らの能力を振るった。私の指揮で彼女たちは歌い、戦況はこちらに傾いているように思われた。

「サミュ、滑走路側の敵が前進を開始。こちら側にも、敵の増援が近づいているようです」

 ニーナが言う。

「数は解るのか」

「滑走路側は四十人ほどですが、装甲車がいます。増援の方は十名前後と思われますが、少し様子がーー」

 瞬間、突然建物の壁が弾け飛んだ。遠くに見える丘の稜線に、望まぬ来客が姿を現した。二両のⅢ号戦車がこちらに向かって来る。

「見えているか、イリス! 近づけさせるな!」

 建物を見上げて声を上げると、頭上から「解りきったことを言わないでください。つまらない男ですね」と声が返って来た。

 最悪の展開だった。ゲ二アは戦力を集中させて運用する。増援の敵戦車が二両だけとは思えなかった。まだ他にも向かってきているはずだ。


 Ⅲ号戦車は時折足を止め、こちらに向かって榴弾を撃ち込んだ。狙いもつけていない砲撃だったが、その度に建物や焼けた整備工場の壁が崩れて私たちを震え上がらせた。背後ではゲ二アの二十ミリ機関砲やMP40短機関銃の銃声が近づいてきていた。サヴィナたちアルカディアも必死に応戦しているのだろうが、徐々に押し込まれているようだ。

 Ⅲ号戦車が砲撃の為に足を止めた瞬間、落雷のような銃声が響いた。イリスの放つ十四・五ミリ徹甲弾は帽子のように突き出たキューポラを貫き、車内に飛び込んだ。イリスがもう二発撃ち込むと、被弾したⅢ号戦車は完全に沈黙した。


「逃げろイリス!」

 僚機のⅢ号戦車が砲塔を旋回させ、六十口径五十ミリ砲の砲身を上向かせた。イリスの潜む建物へ向けて。

 絶望的な砲撃音を響かせて、砲弾が建物の三階を吹き飛ばした。重い爆音に建物が悲鳴を上げ、私の頭上にはパラパラと壁の欠片が降り注いだ。

「イリス! プリムラ!!」

 ややあって、「大丈夫です」とイリスの声が上がった。私は血圧が急降下して膝から崩れ落ちるのでは、と思う程に安堵した。

「すみません。銃は無事ですが、弾薬を失いました」イリスが言う。

「そんな物はどうでも良い! 怪我は無いのか。プリムラは?」

「プリムラも無事ですよ、目を回していますけれどね。彼女が念動力で、咄嗟に後ろに向かって身体を飛ばしてくれたお陰です」


 ゲ二ア兵が次々に手投げ弾を投げて寄越す。それだけの接近を許してしまっていた。リナリア軍や我々がポテトマッシャーと呼ぶその手投げ弾は、ゲ二ア歩兵の基本装備の一つだ。炸薬の爆圧により相手を殺傷する兵器で効果範囲は十メートル程だが、爆発によって立ち昇る土煙が視界を遮り、衝撃波は私たちの肝を冷やさせた。

 ゲ二ア兵は戦車を先頭に、確実に近づいてくる。私たちは少しずつ下がるしかなかった。これ以上接近されれば、私たちは文字通りに潰れたジャガイモにされてしまうだろう。

 イリスが荷台に戻り、ふらついているプリムラを寝かせた。軽い脳震盪を起こしているようだ。イリスはニーナからスプリングフィールドM1903を受け取り、即座に構えて引き金を引いた。斜面から駆け出して来たゲ二ア兵の頭部に穴が開き、地面に崩れ落ちる。


「このままではジリ貧ですね。覚悟を決めますか?」

「悪くない考えだが、もう少し粘ってみようじゃないか」

 私はイリスと悪戯を企む子供のように笑みを交わし、ブローニングに新しい給弾ベルトを噛ませてレバーを引いた。

 まさに死地だ。前方には敵戦車、背後には数両の装甲車。そして殺意を振りまく多数のゲ二ア歩兵たち。こちらの弾薬は残り僅か。空っぽの腹を抱え、誰もが少なからず傷付いている。

 勝ち目は、ほぼ無いといえるだろう。だが投降や降伏はあり得ない。私たちは戦場に生き、戦場で死ぬ。ただその為だけの存在なのだから。一人でも多くのゲ二ア兵を地獄への道行きに付き合わせてやろうではないか。


 接近するⅢ号戦車に狙いを定めた瞬間、視界の端に妙な物を見た。黒い煙の帯をなびかせながら、一機の航空機がよろよろと向かってくる。近づくにつれ、それがゲ二アのメッサーシュミットであるとわかった。

 誰の目も、ゲ二ア兵ですらその機体に釘づけになった。荒れ狂う銃弾の暴風は凪のように静まり返り、飛び方を覚えたばかりの小鳥のような頼りない姿を見つめている。私には予感があった。恐らくは、他の者も同様なのだろう。


 大気を切り裂く、甲高い音。聞き慣れた砲弾の飛翔音だ。だが飛来したそれは、これまで私が見て来たどの砲弾とも違う物だった。砲弾はメッサーシュミットの背後で炸裂し、パーティークラッカーのように黄色い炎を撒き散らす。メッサーシュミットは炎にのまれ、憐れに燃え上がりながら、悲鳴のような騒音を撒き散らして頭上を通り過ぎて行った。

「レモンシャーベット。対空用焼霰砲弾、ですね。使われる機会があるとは思いませんでした」

 ニーナがため息混じりに言う。自走榴弾砲の扱う対空砲弾とはどのような代物かとは思っていたが、これ程とは。恐らくはルディのものであるネーミングセンスはともかくとして、威力だけは本物だ。


 謎の砲撃。焼けて墜ちた攻撃機。次に奴らの頭上に何が降り注ぐのかは、考えるまでも無かった。自身を待ち受けている運命に気が付いたのだろう。ゲ二ア兵は絶望したような表情で天を仰ぐ。

 砂漠の空が再び咆哮する。通常榴弾の直撃を受けたⅢ号戦車は、その重量と爆圧で原型を留めない程に破壊された。乗員はいうまでも無く、周囲に居た歩兵も命は無いだろう。

 私たちは頭を低く伏せ、訪れる女神の矢に備えた。飛来したそれは空中で炸裂し、無数の子弾をばら撒く。子弾は次々に炸裂し、大地を沸騰させた。

 雄叫びのような悲鳴が轟く。破片を顔に浴びたゲ二ア兵が地面を転げ回っている。腕や足を失った者が悲痛な叫びを上げ、衛生兵を呼ぶ声があちこちから聞こえてくる。

 私たちは夕立のような死の雨の中で、ただ頭を抱えてうずくまっていた。

 これは怒りだ。そう思った。女神の、砲撃部隊の、ルディの怒りなのだ。意識は爆風と熱波に掻き乱され、ゲ二ア兵の悲鳴が頭の中で反響していた。上も下もわからなくなりながら、私たちはただ息を潜めていた。

 二度目の砲撃。悲鳴は倍になった。

 三度目の砲撃。聞こえてくるのは、すすり泣くような呻きだけになった。

 そして四度目の砲撃――。


 砲撃が収まり、私たちが恐る恐る顔を上げると、そこには地獄の光景が広がっていた。死体を焼く炎の囁きだけが、世界の声であった。この地の果てで呼吸をするということは、女神と共にある私たちだけに許される行為だった。


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