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砂海越え

『自動車輸送の通行に適さず』とは、ラムリア大砂海は戦車の通行や野戦砲を牽引しての輸送には適していないということだ。砂漠用の装備を施した強襲偵察隊の一・五トン積みシボレートラックですらどうにか踏破できるか、という過酷な地形である。何十トンにもなる砲撃部隊の女神たちが挑むというのは、あまりにも無謀に思えた。しかし我々は、意地でもやらされるのだ。異能をもって不可能を越えていく。それこそが我々の唯一の存在意義なのだから。


 全く希望が無いという訳でもなかった。夏場は馬鹿デカいオーブンのようになる砂漠も、冬の間は巨大な砂場でしかない。もちろん夜は身体を流れる血液すらも凍り付くのではと思える程に凍えることになるが、暑さよりは対処のしようもある。そして我々には、念動力と共感覚の能力者もいる。砂にタイヤを取られても砂地脱出用の鉄板やシート引っ張り出す必要は無く、通行不能な砂丘を迂回して部隊からはぐれても、共感覚能力者は互いに位置を確認し合える。これはリナリア軍の紳士たちには持ちえない強みだった。


 三日目の昼過ぎには、部隊はラムリア大砂海の目前まで到達した。輸送部隊の少年らは予定通りにミヌラ・グルで私たちの車両に燃料を補給し、本部へ引き返していく。私たちは互いの姿が地平線に消えるまで手を振り合った。我々のうち、何人が再開の喜びを味わえるのだろうか。口にこそしなかったが、誰もがそのことを考えているはずだった。

 その日はたっぷりと休息をとり、翌朝日の出と共に砂海へ挑むことにした。砂海の地形を見極めるには、太陽の光が作り出す影が必要だからだ。私は各車両と装備の点検を徹底させた。車両に異常は無いか? 不足しているものは? そして何より、我々の体調は万全か? 砂丘に挑む際はタイヤから空気を抜き、接地面積を増やして牽引力を高める必要がある。私は砂海の手前で調整する空気量を、彼女たちが正しく把握しているかを確認する。


 翌日、踏み込んだラムリア大砂海は強固に我々を拒んだ。砂にハマらない車両は一両も無く、強襲偵察隊第二小隊〝アルカディア〟の三号車は砂丘を登るのに熱中し過ぎて、頂点から転げ落ちた。乗員は車外に放り出され、柔らかい砂の上に落下した。首の骨を折るものが居なかったのは幸運だが、三号車のオイルパンはぱっくりと割れ、タイロッドはゴムのように曲がっていた。我々は散らばった装備をかき集め、車両を修理する。砂を被ってしまったブローニングは幸いにも故障はしていなかったが、分解清掃には手間取った。砂は絶え間なく吹き付けてくる。我々には圧倒的に経験が足りていなかった。現実の内陸砂漠のうねりは、訓練で使用したような人口の砂丘のように規則正しく配置されてはいない。

 砲撃部隊の女神たちは少しでも平坦な道を探そうと、強襲偵察隊からどんどん離れていく。その姿はあっという間に砂丘の向こうに隠れ、私の胃はキリキリと痛んだ。私たちは車両がトラブルに見舞われるたびに立ち止まり、少しも思うようには進めなかった。砂は車両のあらゆる所に入り込み、トラックの腹の下やパーツの繋ぎ目を容赦なく削る。私たちはなるべく逸れないように気を付けていたが、無駄な努力だった。うねる砂丘は互いを覆い隠し、早くもコツを掴んだ者は、そうではない者を引き離してしまう。トライから僅か半日で部隊は離れ離れになった。


 一日目にして、私の部隊は単独で野営をするはめになった。一号車ではプリムラが他の部隊と無線で連絡を取り合っている。マーテルは他の部隊がどの辺りにいるのかを、大まかながらも把握していた。ややあって、プリムラが私にどの部隊にも脱落者が居ないことを教えてくれた。その知らせは、近頃に覚えがないほど私を安堵させた。

 しかし、心配なのは砲撃部隊だ。予想されていたことではあるが、女神たちの進行速度は当初の予定を大幅に下回っていた。私が恐れているのは作戦の遅れでは無く、敵の空からの目に捉えられるという事態だ。ここは既にゲ二アの支配地域であり、リナリア軍による砂海横断の前例がある以上はここへも偵察機を飛ばしてくるかもしれない。奴らにその余裕が無いのは知っているが、可能性はゼロではない。そして奴らが憎らしくもマメな性格であったなら、すぐに我々の残したタイヤの跡を見つけるだろう。砂海にいるうちに捉えられては、逃げも隠れもできない。砲撃部隊の女神たちは、なおさらだ。


「サミュ。怖い顔をしていますよ?」

 荷台の上で星空を睨んでいると、いつの間にか隣に来ていたプリムラが私の顔を覗き込んだ。

「生まれつきだ。放っておいてくれ」

 私がそういうと、プリムラはくすくすと笑った。差し出された小さな手には、包み紙にくるまれたキャンディがちょこんと乗っている。「これは?」と私が問うと、プリムラは唇の前に人差し指を立てて「とっておきです。みんなには、ないしょですよ?」と楽しそうに微笑んだ。

 離れた場所では三つの焚火を囲み、少女たちが陽気にお喋りをしたり、笑い合ったりしている。イリスが手を振ってプリムラを呼んでいた。「すぐ行くー!!」と返事をし、プリムラが私へ向き直った。恥ずかしそうに身を捩らせるプリムラを不思議に思っていると、「あ、あの!」と突然声を張り上げた。

「見捨てないでくれて、ありがとうございます! 私、今すっごく嬉しいし、楽しいです!!」

 勢いよく下げた頭を同じように跳ね上げて、プリムラは荷台から身軽に飛び降りた。遠ざかる小さな背中を見る私の口元は、意識せずに緩んでいた。


 ラムリア大砂海は壮大なスケールで見る者を圧倒し、心を世界に一人取り残されたような、空虚な孤独感で一杯にさせる。砂の波はどこまでも幾何学的で、風と重力と途方もない時間が造り上げたこの景色は強固に人間を拒み、あるいは容易に飲み込んでしまう。しかし、数分前まで私の胃と胸を締め上げていた恐怖はもはや存在しなかった。夜闇に鳴り響く、砂が擦れて鳴る悲鳴のような奇怪な音も、砂海が我々に語り掛ける声のようにすら聞こえる。

 私は〝次〟を考え始めていた。我々は、きっとこの大砂海を問題なく越えるだろう。目指す先はまだ遠い。本当の山場ずっと先だ。そうだ、こんな所で気を揉んでいてどうするのだ。我々が戦うべきなのは、自然の驚異などでは無い。

 機甲砲科特務隊に配属された頃は耳障りでしかなかった少女たちの笑い声も、今では心地よく思える。一体、いつからだろうか。自分では気が付かないうちに、私は数多くの戦友を得ていたようだ。彼女たちは、私をどのように思っているのだろう? 

 私は包み紙をほどき、プリムラから貰ったキャンディを口に放り込んだ。プリムラのお気に入りであるらしいバタースカッチキャンディは歯が溶けそうな程に甘く、胸が熱くなるほどに美味かった。




 トライ二日目。一段と風の強い日だった。我々は布を顔に巻き付け、首から下には地元民が身に着けるような一枚布の服をすっぽりと着込んでいた。身体や服の隙間に砂が入り込まないようにするためだ。

 我々は次々と、果敢に砂丘に挑んでいく。頂点を乗り越え、車体をソリのようにして砂丘を滑り降りる。タイヤが走行可能な砂の平地を踏むたびに、あてどない浮遊から帰還したように安堵する。エンジンが唸りを上げて景色が流れるたびに、目的へ確実に近づいているという高揚感が沸き上がってくる。「生きてるって感じがしますよね!」ラナが振り向き、私に笑いかける。この世の果てのような砂と風だけの世界で、依然我々は意気軒昂だった。冗談を言い合い、誰かがタイヤを砂にはまり込ませては、わざと声高にそれを野次った。顔に巻いた砂除けの布の下では、常に誰かしらが笑い声をあげている。


 午前中ずっと砂丘に挑み続け、太陽の動きに合わせて休息を取った。私がシュプロム街道で手に入れたフルーツをイリスがナイフで切り分けた。食後の一杯と共にそれをつまんでいると、三号車の機銃手、レジーナ・ハニルスが遠くを指さして絶望的な声をあげた。

 誰もが弾かれるようにそちらに顔を向け、そして視た。白茶色の壁がグングンと迫ってくる。次々に景色を飲み込み、確実に我々に近づいてくる。

「荷物を纏めろ。昼寝はお預けだ」

 砂塵嵐だ。我々は大急ぎでフルーツをたいらげ、簡易テントを畳んだ。荷物を防水シートの下に放り込み、エンジンに火を入れる。まだ熱い飲みかけのコーヒーは捨てるしかなかった。

「どうするっていうの?」イリスが半目で私を睨む。

「このまま進む。ただし慎重に、だ」

 砂塵嵐に呑み込まれれば、視界は殆ど失われるだろう。だが衝突する物のない砂漠では大きな問題ではない。視界が無いということは、敵の航空機が飛んでくる可能性も無いということでもある。高い砂丘に挑むことはできないが、少しでも距離を稼ぎたい。

「生きているって感じがするだろう?」

 私が悪戯っぽくそういうと、イリスが私のケツを蹴り上げた。防水シートの下に潜り込んだプリムラが楽しそうに笑う。


 成す術はなかった。砂塵嵐はたちまちに小隊を飲み込み、視界を奪い去った。世界は一色に塗りつぶされ、地上と空の境目は失われた。サンコンパスは役目を果たさなかったが、我々は方位磁石で大まかな方角を確認しながら進む。砂塵嵐は数時間で収まる場合もあれば、数日続くこともある。のんびり待ってなどいられないのだ。航法係のマーテルは大丈夫です、と頼もしく頷いて見せた。

 四時間ほどで風は弱まり、目も開けられない状況ではなくなったが、依然として視界が殆どないために二日目はまともに進むことができなかった。周囲を隙間なく砂が吹き荒れているので満足に食事もできず、我々は荷台の防水シートの下でうずくまって夜を超えるしかなかった。


 トライ三日目。前日とは打って変わって良好な天気だった。雲のない青い空が、天蓋のように我々の頭上に広がっている。我々は昨日の遅れを取り戻そうと走り続けた。午前と午後の殆ど全てをつぎ込み、陽が沈む一時間前までトライを続けた。

 少女たちの顔には、流石に疲労の影が色濃く差していた。会話をする為の体力も温存しようとしているかのように、口をつぐんでいる。私も酷い顔をしているに違いないが、雰囲気は悪くなかった。何かが少し上手くいかなかったくらいで不満を口にするものなど、ここにはいない。砂海の西端まではもう少しだ。誰もがそのことだけを考えていた。


 トライ四日目。私はなるべく高い砂丘に挑み、頂点に達するたびに双眼鏡で他の部隊の姿を探した。マーテルは他の部隊の大まかな位置を把握していたが、私は言葉では説明できない、妙な胸騒ぎを覚えていた。エンジンの唸り声、タイヤに巻き上げられる砂煙、指でなぞったような轍、人為的にかき乱された砂の表面。なんでも良い。私は仲間たちの気配を探し続けた。


 その日の午後、切り立った砂丘の頂点に達したとき、眼前に広がるのは砂利の平地だった。どこまでも平らで、地平線の向こうまで視界を遮るものは何もない。私たちは、遂に難関を超えたのだ。

 少女たちは解放されたように歓声を上げ、涙を浮かべて抱き合っている。互いの健闘を称え、偉業の達成に酔いしれている。

 私は一人振り向き、双眼鏡を覗き込んで砂の海に仲間の姿を探し続けた。私が欲しているものは、苦難からの解放感や達成感ではなかった。


 私は砂海を越えたぞ。ルディ、お前は今どこに居る?


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