第六十幕 道化師と修復
「ふぅ……任務完了!」
久方ぶりの休息。というよりは、やっとの事で落ち着けたというところだろう。なんだかんだで長い時間同じ体勢でフィアを抱き抱えていたのである。常人から見れば狂った体とはいえ、変なところは普通と変わらない。痺れたりもする。
「それじゃあ、俺は退散しますか……」
つい声を潜めてそう呟き、フィアが起きる前に部屋から出ようと踵を返す。と、その際にフィアが身じろぎをしたので目を覚ましたのかと思ったが、ただの寝返りだった。
バレる事なく部屋を出て、開放感とその他もろもろの幸せな感情を味わっていると、ふと大事な事を思い出す。
「……やべ。スイ達忘れて来た」
気が付くのとほぼ同時。藍雛のソナーを真似て微弱な魔力を放つが、やはり見よう見真似では上手くいかず、やらないのとほぼ変わらない。
スイがいるので危険に陥る事は無いと思うが、とにかく急がなくては。そう思い、近くの窓から飛び出る為に開け放とうとするが、振り向いた先には空間の裂け目が出来ている。無論、俺がやったわけでは無い。だが、他に誰が……?
すると、突然裂け目から腕が飛び出し、続いて笑顔のスイが俺に飛び掛かってくる。あ、俺ダメだな。
「お兄ちゃあああん!」
「フゴォ!」
仮に、突然目の前からありえないような速度で飛んできた少女を、ブレる事もせずに受け止められる人がいるのだろうか。いや、いるわけが無い。俺も例に漏れず、そうなったわけだがその数は一般より多いことは言うまでも無いだろう。まあ、だからと言って受け止めるのが上手いかというと、それとこれは別問題なわけだが。
とにかく、スイを受け止める事の出来なかった俺は無残にも壁にぶつかる事となった。
「いってぇ……」
「お兄ちゃん、勝手にいなくならないでよ……。スイ、心配したよ?」
「お嬢様、ご主人様、危険、です」
ふ、フィルマよ。これぐらいで俺が危険な状態になるわけ――
「ごふっ」
「お兄いちゃあああん!」
「お嬢様、それ、危険!」
「スイお姉ちゃんストップ! ひえんが口から血吐いたぁ!」
あれ? 体が、軽いよ。今なら空も飛べる気がする……。
「ご主人様、気を確かに!」
「お兄いちゃあああん!」
「すいおねーちゃん! ひえんおにーちゃんのあたまガンガンぶつけちゃダメだよ!」
あはは、スイ。そんなに頭をぶつけたら痛……くないからいいか。若葉もそんな心配しなくても、お兄ちゃんは痛くないから大丈夫だよ。
と、何故かいい気分になり、テンションが狂い始めるた時に、白雪が体を大きくのけ反らせる。
「ひえんお兄ちゃんをそれ以上いじめちゃダメぇぇぇえええ!」
鼓膜が震え、周囲の窓ガラスがビリビリと鳴るほどの声。驚いた事に、その声の発生源は白雪であった。
「し、白雪?」
「……あっ」
驚きのあまり白雪の名前を呼ぶと、自分のした事に気づいた白雪が声を漏らす。そして、茹蛸のように顔を真っ赤にして手と顔をぶんぶんと振りながら騒ぎだす。
「ち、違うの! 今のはひえんがあんまりにも可愛そうだったから、つい声が出ちゃっただけであの、その……」
最初は大声だったが、最後の方になるにつれてだんだんと声がしぼんでいき、最後にはもにゅもにゅと口を動かすだけになってしまった。……なんだかんだで、いい子なんだなぁ。
とにかく、体がやばい事は確かなので、またスイが俺の首を壁に叩き付けない内に全身に《治癒》の魔法をかける。幸い、スイが再度俺の頭を打ちつけることがなかったため、二度目の《治癒》は必要なかったが。
「大丈夫だぞ。ほら、どこも怪我してないからな」
体はまだズキズキと痛むものの、余計な心配をかけないようにと笑顔を浮かべてみる。だが、その俺を見る周囲の視線がなぜか凍りついている。俺が俺と周囲との間に違和感を感じていると、フィルマが申し訳なさそうに耳打ちをする。
「ご主人様。顔、血、あります」
……血を拭うの忘れてたのか。
血を拭いて、再度笑みを向けると、今度は全員安心してくれたようだった。そんなに怖かったかな?
とりあえず、全員が集まれた事に安堵していると、下の階からドタドタと騒がしい足音が聞こえてきた。
「なんだ?」
「……ご主人様、私達、うるさい、でした」
「スイがお兄ちゃんの頭ガンガンしたからかな?」
……確かに。よくよく考えれば、ここは高級そうなホテルの廊下であって、いつも俺達が騒ぐような街中とかじゃないわけで、しかも店の中ときたもんだ。そりゃあ誰かは来るだろうし、むしろ今まで来てなかったのが不思議なくらいだ。
そう気が付いた俺は、とりあえず時間を止めて……って言っても、止まっている訳じゃないけど、とにかく壁と廊下の修復にかかる。……器物破損で、来た途端御用というのは避けたいからな。
修理が終わり、ほぼ元通りになった壁と廊下に満足してから止めていた時間を再度動かし、そのうち来るであろう店員を待つ。すると、店員はものの数分も待たずに、血相を変えて到着する。まあ、あれだけの音が鳴ってれば当然のことといえるな。
「こ、この階からか!?」
「お客様、この階で何か不備はありましたでしょうか?」
「い、いやー。とても良い所で不備なんてありませんでしたよ」
「そうですか。お褒め頂きありがとうございます」
二人組の店員はそう言うと、問題の箇所を探すためにまた走っていく。……なんか、悪いことしたな。
「はぁー……。助かったね、ひえん」
「ホントだよ……」
緊張していたのは、俺とフィルマと白雪だけのようで、スイと若葉は楽しそうに廊下を走り回っていた。それにしても、心労がひどい。禿げないよな……?
「ご主人様、強い、です」
「うん? まあ、そりゃあな」
白雪とため息をついていると、フィルマが唐突にそんな事を言い出す。確かに、俺の能力は強い。曲がりなりにも、神様からもらった能力だし、チートも良いところだろう。まあ、魔法があるおかげでろくに使っていないが。
「しかし、ご主人様、威張らない。何故?」
「何故って……」
この能力は、確かに強い。ミリアンの制限が効いているのかは知らないが、外れているなら俺の好きな世界を創る事が出来るだろうし、今ある世界だって思うがままに出来る。だが、俺としては、人の気持ちというものは何物にも変えがたいと思っている。
憎しみや妬みといった、負の感情がある一方で、思いやりや優しさは、人の心には欠かせない暖かい感情だと思う。それを好きなように操作して、何が面白いというのだろうか。
「俺が聞いた言葉の中にはな、『力なき正義は無能であり、正義なき力は圧制である』って言うのがあるんだ。圧制なんかより、一緒に笑い合えるほうが楽しいだろ?」
「ご主人様、立派、です」
「……そういう訳じゃ、無いんだけどな」
……正義なき力は弾劾を受ける。身をもって知ってる俺には、ちょっとした教訓では済まされない。
済んだ事のように思えて、意外とそうでもないんだな。
「さて、とりあえず、宿はここにするか」
「……やど?」
「……あ」
……忘れてたのか。まあ、色々とあったからな。
―――――
「こちらのお部屋となります。何かありましたら、呼び鈴を鳴らしていただければ、係りの者が参ります。それでは、ごゆっくりどうぞ」
「ああ、ありがとう」
とりあえず、チェックインを済ませなければくつろぐ事もままならないと気づいた俺は、フィルマに子守りを頼んでチェックインを済ませ、部屋へと案内してもらった。
途中の話なんて特に何も無い。だって、さっき言った通りの道を通って行っただけなのだし、そんな様子を長々と話しても仕方がないだろう。
宿を探す、というの当初の目的を色々あったが達成した俺は、次の目的を達成するべく全員を近くのソファに座らせる。
「これからちょっと出かけてくるから、留守番を頼みたい。一日やそこらじゃあ帰ってこないかもしれないけど、心配はしなくてもいい。それで、全員これをもっていて欲しい」
俺は全員にそう伝えて、人数分の木片とそれを入れる袋を創造する。もちろん、ただの木片ではない。
「この木片は、持ち主に何か危機があったら、勝手に魔法を発動させて持ち主を守ると同時に俺と藍雛にそれを伝える仕組みになってる。本人から一定距離以上離れる事もないし、そう簡単に壊せるようなものじゃないから安心してくれ」
「ひえんおにーちゃん、これどうするの?」
さすがに若葉には難しい説明だったのか、言っている意味が分からないという様子で聞き返してくる。まあ、俺ももう少し簡単な説明にするべきだったなと、ちょっと反省。……私には分かっている、といった感じでこちらを見ている白雪も、よく見ればこちらの説明を聞き逃さないようにしっかりと耳を傾けている。
なんだかんだで年齢相応の微笑ましい光景だな。ロリコンとか思った奴、表へ出ろ。
「この袋に木の欠片を入れて、失くさないようにするんだよ。そうすれば、怖いことがあったときに、助けてくれるからね」
「そうなんだぁー。大事にするね!」
「よしよし、いい子だねー」
「むー! スイも失くさないよ! だから頭撫でてー」
「はいはい」
この様子なら失くす事も無いだろうし、これで安心だな。二人の頭を撫でながらそう考えた俺は、次に世話係を頼むフィルマの体調を心配するのだった。
……屋敷の執事を頼む前に胃の穴が三つや四つになってたとか、洒落にならないからな。
記念すべき六十話。その癖まともな話じゃない、何だこれ。
閑話とか書いてみたい。でも遅くなりそうだしな……どっちがいいんだろうか?




