Chapter05-3 地下へ(後編)
ようやく階段が終わり、平らな場所に到達した。ウィルの姿はない。先へ進む道は……?
「……行き止まりなの」
カーミラがポツリと言った。声が、震えている。
「そんなことないわ。ウィル君がいないもの」
できるだけ明るい声で、リディアはカーミラを励まし、綿毛の小瓶で狭い部屋を照らす。
部屋はほぼ円形をしており、中央に四角く切り出された石が横たわっている。他は何もない。
(温室の地下にこんな……そうだわ!)
もうずっと前に、大好きな父から聞いた話を思い出した。
いいかい、リディア。貴族や商家の邸宅には、秘密の抜け道があるんだよ。何かあったときは、建物の中でいちばん古い塔に逃げなさい。大概、抜け道は古い塔の地下にあるんだ。
いずれどこかへ嫁ぐ娘につけてくれた知恵のひとつ。
(確か、壁を叩いて音が響くところが抜け道だって)
「みんな、壁を叩いて。音が響く場所があったら、そこが抜け道になっているはずよ」
暗闇の中でコツコツカツカツと石積みの壁を叩く面々。〈厄災〉たちもリディアのマネをするも、うまくコツが掴めないらしい。ベシベシバシバシくぐもった音を立てては、「マ?」と首を傾げている。
「お姉さま、ここ、音が響くわ!」
ややあってメリルが叫んだ。
「ママーマ、マ!(この先、臭いがちがうぞ)」
壁をフンフンと嗅いだ〈厄災〉も興奮した様子で言った。
「じゃあきっとこの先よ!」
秘密の抜け道なのだから、通路の入口は一見しただけではわからないようになっている。ただ、隠し扉の仕組みは……父はなんと言っていたっけ?
(まずは押してみ……)
リディアが一歩壁に近づいたとき、足に奇妙な手応えを感じ、
ガコン!
床が消えた。
◇◇◇
「ここの設計図作ったヤツはクソ野郎だわ!」
落とされた床下でメリルが喚いた。
幸い、上との落差は一メトルもなく、お尻をぶつけただけで済んだ。けれど、丈夫な私でなければ……『私』ならどうなっていただろう。少し、寒気がした。
リディアさんが照らした先には、上へいく階段。あそこを登れば、さっき前にした壁の向こう側へ出るのだろう。
「マ! マーマーマ(あっち! 森の匂いがするぜ!)」
〈厄災〉が前を指して、ピョンピョン跳んでいる。
「この先は森なのね。あんまり遠い場所に出ないといいけど」
「え?」
階段を登る足を止め、前を照らすリディアさんを見た。今、彼女は何と……?
「リディアさん……あなた、〈厄災〉の言葉がわかるの?」
問わずにはいられなかった。だって……。だって私は彼女たちに『教えて』いないから。
『私』が見つけた、魔女が世界にかけた呪いを解く唯一の方法を。
「……うん。ジーンさんや聖女様の傍にいると、〈厄災〉の言葉がわかるようになるんだって」
「そ……そう、なの」
声が上擦ってしまったのは仕方がない。だって、こんなにも簡単に言葉を通じる方法があるなんて。
『私』は、魔力の強さゆえに政界から切り離され、森の中にこの『離宮』を与えられた。
政治のことは何一つ知らされず、将来のための知識すら与えられず。そんな『私』が唯一与えられたのが、『創世神話』だった。
無垢な幼女は、唯一与えられた『創世神話』に傾倒した。結果、『私』は『創世神話』を諳んじるほど読み込み、〈勇者〉の役目も朧気ながら理解するに至った。
そんな『私』が森で出会ったのが〈厄災〉たち。幼い『私』は、可愛らしい見た目の〈厄災〉たちをひと目見て気に入った。
「マーママ? ママ?」
「ママ? ウフフッ。マーマー?」
……だから、犬や猫の声を真似るように。『私』は幼い幻想を抱いて〈厄災〉の言葉を真似て。そうしたら、急に聞こえる音が変わったのだ。
「アンニョーン?」
「あ、あんにょー、ん?」
〈厄災〉は、決して人間の言葉を話すことはできない。理解もできない。けれど、逆ならば――人間が〈厄災〉の言葉を話し、理解しようとすれば、できるのだ。
歩み寄らせる、のではなく、自ら歩み寄ること。それが、魔女の呪い――世界の理を壊す方法だった。
その後、『私』が 〈厄災〉たちと言葉を通わせたのは、ひとえに『純粋で無邪気な愛』ゆえ。はじめは挨拶から。単語から。お互い、少ない語彙しか持たなかったことも、幸いしたのだろう。
『私』は 〈厄災〉たちと話せる『奇跡の存在』になったのだ。
「マーマー、ママーマ(気をつけろよ。グルグルのガジガジがいるかもしれないぜ?)」
「やだぁ。グルグルのガジガジって魔物よね? 怖いわ……」
四角いトンネルを歩く私の前で、メリルが言った。彼女も……〈勇者〉と〈聖女〉と共にいたから、〈厄災〉たちの言葉がわかるのだろう。
「マーマー(大丈夫大丈夫!)」
「マーママー(この森は俺たちのナワバリだ)」
〈厄災〉たちが甘えた声で、メリルに纏わりついている。懐いている……。
「……なによ」
私が見ていることに気づいたメリルが、棘のある声を寄越した。
「貴女は、〈厄災〉たちの言葉がわかるし、好かれているのね」
感じたままに言った私に、
「言っとくけど。私はアンタの身代わりにはならないから」
メリルは予想外の言葉を寄越した。
「身代わり?」
身代わりとは。それはどういうことだろう。
「とぼけるわけ? 私が陽射しがダメなことを利用して、あの館に縛りつけようとしてるでしょ。ハサンって男を使ってさ!」
「ええっ?!」
憤慨するメリルに目を瞬く。そんなのまったく覚えがない。だって……。
目を丸くする私に、メリルは鼻息荒く言葉を続けた。
「身代わりをたてられたら、アンタは用済み。フツーの大人に戻れるわ。『カーミラ』じゃなくなったら、ハサンの後妻におさまるつもりだったんでしょ? アイツ、嬉々として私への贈り物とは別にドレスや宝石を買おうとしていたのよ。間違いなく、アンタのよね」
「え……」
情報に頭が追いつかない。それはいったい……?
「メリル、もうそこまでにして。森に出たわ」
リディアさんが小瓶を掲げた先には、闇に沈む森が静かに私たちを迎えていた。




