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翼の勇者  作者: た~にゃん
第三部 森の王女 厄災の女神
72/105

Chapter04-1 時に取り残された館

 翌朝――。


 朝餐室には、カーミラとジーン以外――昨夜の晩餐の時と同じ面々がすでに揃っていた。

 輝石の放つ乏しい灯りに燭台の炎を足しても、室内は昨夜と大差ないくらい薄暗い――時間の感覚を狂わせる。黙して働く召使いたちの顔が、わずかな光の中で、まるで幽鬼のように暗澹と生気のないように見えた。



(ジーンさんは……)


 

 あれから、ジーンは〈空間〉には戻らず、カーミラの計らいで別の客室を与えられたようだった。別に……メリルに頼めば、念話でジーンと話すこともできるのだが。なんとなくリディアは踏み出せないでいた。


 正直なことを明かせば、ジーンのことは気になってしかたがない。




「何もせず、少しずつ忘れていく君を見るのはやはり忍びない」




 あのフクロウが言っていた言葉が気になるのだ。


(ジーンさんは〈勇者〉を続ける『目的』を忘れてしまった? ……ううん。きっとそれだけじゃないわ)


 飢えや渇きに疲れ……。人間ならば当たり前に持っている感覚――生きるために不可欠なそれさえ、ジーンは感じていない。ある日突然失ったのか、それとも徐々に消えていったのかはわからない。だが恐らく、彼の『喪失』はまだ現在進行形なのだ。


 

 ただ。


 一歩踏み出そうと思うたび、昨夜見たジーンとカーミラの寄り添う姿が脳裏にちらついて、なんとなく臆病になってしまう……。結果、何もできず何もせず、モヤモヤを抱えたまま今に至るわけだ。


 ――と。


 カチャリ、と朝餐室の扉が開き、ジーンにエスコートされたカーミラが入ってきた。白いドレスの上に灰色狐のマント、腰帯は艶消しの漆黒――数百年前の『正装』。


「ママー」


 その後ろに数匹の〈厄災〉(異世界種)も続く。皆、鎧を着ていた。


「皆さま、聞いて」


 カーミラが口を開いた。途端、今まで黙して佇んでいたメイドたちが、一斉に彼女に身体を向けた。衣擦れの音が揃う――軍隊のように。


「この子たちに蜂蜜作りをやめるように、言いましたの」


 呼応するかのように、〈厄災〉(異世界種)たちが短く鳴いた。カーミラは続ける。


「私は、お兄様のためと思い込み、民を困らせていたのですわ。民を困らせて、どうしてお兄様を喜ばすことができるでしょうか」


 悲しげにそう言って、カーミラは席に着いた。彼女がひどく気落ちしているのは明らかで、実際カーミラは朝食を少しつついただけで、ジーンを連れて退室してしまった。


 打ちひしがれた様子の彼女に、部屋の隅に佇んでいた男が憮然とした眼差しを向けていたことには、誰も気づかなかった。




◆◆◆




 朝餐室を出たリディアは、客室とは反対方向に足を向けた。


「おや。どちらへ?」


 行き先を尋ねた男には、庭で鍛錬だと答えた。朝食の時、ウィルたちと念話で約束したのだ。


 館の外に出た途端、太陽が眩しく照りつける。リディアは目を細めた。


「ぃよっし! 鍛錬♪ 鍛錬♪」


「なんで僕まで……」


 リディアに少し遅れて、げんなりした様子のヘリオスと、彼の背を押してウィルが出てきた。


「メリルは?」


 メリルも朝食時は「行く」と言っていたはずだが。姿が見えない。


「それがさぁ。ハサンってオッサンが『メリル様に陽射しは毒なのですから、外に出るのは控えるべきです』って」


 ウィルが口を尖らせて言った。

 メリルはあっさりハサンの提案に従ったのだという。


「てかさぁ。アイツ『旅はお辛かったでしょう?』とか『流行の服はお好きですか?』って、メリルちゃんに粘着しててさぁ。小金持ちっぽいのがムカつく」


 と、ウィル。プクッと頬を膨らませてご立腹である。


「メリルちゃんってばニコニコしちゃってもうもうもうっ!」


 ぷんすこ怒るウィルに、リディアは苦笑した。


(メリルは気分屋だもの。しかたないわ)


 贈り物にも弱いし……と思って、引っかかった。 


「ウィルくん、その人って」


 館を振り返ったが、先ほどリディアに行き先を尋ねた男はもういなくなっていた。


(そういえばあの人、カフタンを着ていたわ。それに顔立ちが外国人だった)


 『流行の服を勧める』『小金持ち』……つまり。


「商人かもしれないわ」


 だとしたら、彼――ハサンはいったいどこの商人なのだろうか。

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