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翼の勇者  作者: た~にゃん
第二部 旅のはじまり
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Chapter05-4 現れた追っ手

前半リディア視点、後半ジーン視点です。

「おや? 聖職者殿ではありませんか」


 ねっとりとした、貴族特有のイントネーション。上等な暗紫の上着を纏い、コツリ、コツリとリディアに歩み寄るのは、つい三日前に出くわした『追っ手』の紳士だった。


 思わず、一歩後ずさる。


「王都に向かわれるのではなかったのかな?」


 薄い唇を歪め、ニヤリと笑う紳士。こちらに答えを迷わせるような圧が声に、言葉に感ぜられる。紳士の後ろには、前回と同様、屈強な護衛の姿があった。


「何かまだ、ここにご用でも?」


『こら! 怖じ気づくんじゃないわよ!』


 ケブカクラーブ姿のメリルが念話で叱咤するが、リディアは足の震えが止まらない。法衣を着ていなければ、一発で挙動不審がバレる。


『おカニ様、おエビ様、おシャコ様……』


 約一名、ピンチなのに現実逃避に走っているヤツがいる。メリルは小さなハサミでそいつ――ワタリクラーブの姿で泡を噴いているヘリオスを突っついた。


「ほほう? 何か後ろめたいご用で?」


 ずいとまた一歩、リディアに迫る紳士。護衛もそれに倣う。何か言わないと……!


 焦るリディアが口を開きかけた、その時。


「あ、あのっ! その僧侶様は俺が! 俺が引き留めているんです!」


 青ざめたリディアを庇ったのは、


「ヨルク君?!」


 なんとヨルクだった。彼は紳士に向かって腰を九十度に折り曲げている。


「俺が頼んで、薬草の見分け方を教わっているんです! 彼が急いで行かなければならない用があるのなら、俺は諦めます! だからどうか! どうか彼を罰さないでください!」


 勢いこんで、でもしっかりとした言葉で、ヨルクは紳士に低頭した。


 ヨルクは庶民。それも、フュゼの壁外に住む、貧しい家の出だ。その彼が、正面から貴族の紳士に物申すのは、とてもとても勇気が要ることだ。紳士が機嫌を損ねでもしたら、彼もまた罰を受けることになるのだから。


 どうやら彼は、リディア扮する聖職者ディオが、王都での用事を後回しにしてここに留まっていると思ったようだ。


 そこへ。


「我々がディオ殿にお願いしたのですよ。彼の作るポーション類は大変質が良かった。後進の育成にと思いまして」


 いつの間に出てきたのだろう。普段はカウンターの奥から出てこないギルド職員が、ヨルクの隣に立って紳士と向かいあっていた。


 無言の睨み合い――。


 先に口を動かしたのは、紳士の方だ。


「ほう。実に愉快な話だ、小役人殿。だが、我々はとある重罪人を追っていてね。見たまえ」


 彼が収納魔法で取り出したのは、小さく折り畳んだ、何やら固そうな紙。それを紳士は手早く広げて見せた。


(これ、は……!)


 折り目のついたキャンバスの中で、一人の令嬢が微笑んでいる。


 編み下ろしにしたローズブラウンの髪には、真珠の粒がいくつも煌めく。髪と対比をなすミルク色の肌、柔らかく笑むガーネットのような澄んだ瞳。ふっくらと柔らかな頬に、唇には紅をひいて艶めかしささえ感じる。纏うのは、レースをふんだんに使った白絹の礼装。シンプルな形ながら洗練されたデザインで、愛らしい顔によく似合う。


 他ならぬリディアの父が、『男爵の娘』ではなく『大商会の娘』として、贅を尽くした衣装を着せた娘を描かせた姿絵――。


 ギルド内が水を打ったように静まりかえった。皆の視線が、リディアに集中する。


「似ている……」


 呟いたのは、誰か――。


 正面に佇む紳士が、唇の端を持ち上げた。


「僧侶殿は魔女派の異端。この娘の家……コンコーネは魔女派の巣窟ですからねぇ」


 舐めるような口調――リディアの脳裡に警鐘が鳴る。突然『魔女派』を持ち出してくるなんて……。嫌な予感がする。


 公には女神派こそが正しいとされている国で、魔女派は時に狩られる側だ。政治の場で魔女派が一定の勢力を保っているとはいえ、彼らも表向きは女神派を名乗っている――のらりくらりと、巧みに追及を躱しているのだ。


 身分がある者ほど、自らが『魔女派』と糾弾されることを恐れているのだ。


「この……金を湯水のように使った衣装をあろうことか〈黒魔法使い〉に着せて、絵まで描かせるとは。見過ごせませんねぇ。ええ。良からぬことを考えている!」


 言うや、紳士は素早くリディアに肉迫し、力任せに腕を掴んだ。


「ッ!」


「僧侶殿はこの娘にそっくり――縁戚で間違いない。魔女派は見つけ次第捕らえよ、とのことなので……ギャアァッ!?」


 鬼の首を取ったかのごとく得意げに話していた紳士が突如、耳障りな悲鳴をあげてリディアの腕を放した。彼の手首には青みがかった小さなハサミが食いこんでいる――ヘリオスだ!


『逃げるよ! リディア!』


 紳士が手首を鋏むカニを振りほどこうと腕を振り上げ、ワタリクラーブが宙を……


「【隠せ】!」


 オレンジ色の光とともに、ワタリクラーブの姿をしたヘリオスが消え、リディアはパッと身を翻した。


「ッ、逃げたぞ! 追えぇ!」


 ギルドを飛びだしたリディアに、腕を押さえた紳士が喚きちらす。重い足音――護衛が追いかけてくる!


「【隠せ】!」


 肩に乗せたメリルも素早く魔法で〈隠し〉、リディアは全速力で通りを疾走する。


 猛然と追いかけてくる護衛の男を振り返る。武具を身につけている大男は威圧感たっぷりだが、重い鎧のせいで走るのは遅い。リディアとの間は五メトル以上あいている。


「止まれ! 【アイス・アロウ】!」


 後方から怒鳴り声と、頭上を冷気が掠める!


『堅牢なるカルキノスよ

 我らを守りたまえ!

 【鎧】!』


 しかし、続く魔法攻撃は青銀の壁に弾かれ、リディアには当たらない。


『路地に入れ!』


 〈空間〉からヘリオスが叫ぶ。

 それを受けてリディアは狭い路地に逃げこむ。


「クソッ! 【アイス・アロウ】【アイス・アロウ】!」


 振り返ると、路地に身体を入れられなかった男ががむしゃらに魔法を放ってくるところだった。飛んできた氷の矢は、難なく【鎧】に弾かれる。


『落ち着いて。このまま距離を稼ごう』


『ジーンさんとウィル君が……』


 ギルドに仲間を置いてきてしまった。彼らは大丈夫だろうか。


『ウィルがついてるし、ジーンはいざとなったら飛べる。捕まったりしない……きっと』


 手探りで進みながら、リディアは不安そうに闇の蟠る路地を振り返った。




♧♧♧




 ――一方。

 〈厄災〉(異世界種)との話を終えたジーンは、背中にウィルを乗せ、トテトテとリディアの待っているはずのギルド内に戻ろうとしていた。


 〈厄災〉(異世界種)が望んだのは、この世界から〈滅される〉こと――期限は、自分たちの身が危険にさらされるゴールデンロッド駆除の日――明後日の夜。早く戻って仲間と策を考えねば。


 ――と、


「キャワン?!(うわっ!)」


 突然、後ろから誰かに抱き上げられ、ジーンは犬のような鳴き声をあげた。


「ごめんな、ディオさんの犬。今向こうに戻っちゃダメだ」


 この声は、さっきギルド内で出くわした冒険者の少年、ヨルクのものだ。どうやら自分を抱えてヨルクが走っているらしい。彼は訓練場の別の出口からギルドの外へ出ると、まっすぐロバを繫いだ裏手に向かう。


「俺の言葉わかる? コイツはとりあえず俺ン家で預かる。あとは……」


 ヨルクがそこまで言いかけたとき、別の冒険者の男が走ってきた。


「ディオさんは?」


「路地に逃げこんだっぽい。あの貴族の手下が喚き散らしてたから、たぶん逃げきった」


(貴族?! 逃げきった?!)


 それはどういうことか。リディアにいったい何が?!


 動揺するジーンをよそに、ヨルクと冒険者の会話は続く。


「その狼もどきの犬、」


「クゥーーン(お、狼もどき……)」


「あの人の使い魔なんだよな? 居場所探知できたりしないの? 臭いとかで」


「さあ……。俺も今日、初めて見たし」


 困ったようにジーンを見下ろす二人。聞きたいことは山ほどあるものの、残念ながら彼らに念話は通じない。それ以前に、味方かどうかもわからない。


『貴族って、こないだ街で声かけてきたヤツ?』


『たぶん』


 背中から頭の上に移動した赤カニ(ウィル)と会話しながら、ジーンは二人の冒険者の話に耳をそばだてた。


「イーノックさんは? 依頼に出ちゃってるのか?」


「いや、駆除任務があるから街にいるはずだけど」


「じゃ、やっぱり……」


 話し合っていた二人の冒険者が、ジーンを見下ろす。ヨルクがジーンを地に下ろし、向かいあうよう正面に膝をついた。


「なぁ、ディオさんの犬」


 やっぱり自分は『犬』にしか見えないのか。ジーンの尻尾がペタンと垂れた。


「ディオさんに、東の門から出ろ、ってだけでも伝えられないか? ロバはウチで預かっとくし、門番のおっちゃんにも事情は話しとく。フュゼでは冒険者は貴重だから、魔女派とか女神派とか気にしないって」


 ヨルクの目は真剣だ。嘘をついているようには見えないが。


『信じていいんじゃないかな?』


 頭上からウィルも言ってくる。彼らは味方……?


「信じてもらえるかな?」


 ヨルクが自信なさげに眉を下げた。その目をジーンも赤い瞳で見上げる。


「ッ、ヨルクもう行け。アイツが来る前にロバを連れてけ」


 もう一人の冒険者が訓練場へ鋭い眼差しを向ける。風に乗って聞こえてきたのは、苛立たしげな紳士の声。


『ジーンさん、ともかくリディアを探そ』


『そうだな』


 しかし、このままの姿では街のどこかに身を潜めたリディアを探すのは難しい。ジーンはキョロキョロと辺りを見回し――首を振るたびに、頭に乗っかったカニがずり落ちそうになった――見つけた暗がりへ駆けだした。


 そして――。



 キキキキキキキッ


   バサバサバサバサッ!


 ややあって、ギルドから少し離れた路地から、蝙蝠の群れが夜空に飛び立った。うち数匹が、小さな赤いカニを足に引っ掛けて飛んでいたのだが、地上からその珍妙な姿は、闇に溶けて黒い点にしか見えなかった。

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