Chapter04-1 冒険者ヨルク
「ロバは向こうに繫いどいた」
ヨルクと名乗る青年は、平坦な声で道の彼方を指さした。表情が乏しく見えるのは、彼が鼻から下を布で覆っているからだろう。
「鼻がきく動物には、この臭いはキツいから」
「あ……ありがとう」
わざわざ、ロバを繫いできてくれたらしい。
…………。
…………。
魔法具店へ行く道々で聞いたことによれば。
ヨルクはフュゼの周辺農地出身の冒険者で、ギルドカードはブロンズ、紋章は牙。蔦の一つ上のランクで、ゴブリンやホーンラビットなどの小型魔物討伐までが認められているという。落ち着いた話し方と身長の高さから年上かと思っていたが、聞けば同年代だった。人は見かけによらないものである。
「背が高いってだけで、先輩冒険者から当たりが強いんだ。生意気だって」
「そ、それは災難ですね」
ヨルクの背丈は、目測でも190シェンチはありそうだ――つまり、同じ男性でも目線が同じか見下ろすことになる。だから先輩冒険者からの当たりが強いと。
ぼやくヨルクは、臭いから遠ざかったために顔に巻いていた布を解いて、今はそれをマフラーのように首回りに巻いている。
布に隠れていた顔は端正で、日に焼けて浅黒い。紫がかった黒髪は短く整えられ、細身の身体には獣のようにしなやかな筋肉がついている。腰には無骨で使いこまれた風の短剣――戦闘を生業とする人だ。
「アンタがここに留まっているうちに、薬草の見分け方とポーションの作り方を教えてもらえって」
一般的に、冒険者はランクが低いうちはパーティーを組んで経験を積むものだ。冒険者稼業は常に危険と隣り合わせ――そんな中では、単独より複数の方がリスクが低い。
が、その方法だと報酬をメンバーの中で分配するので、低ランクの依頼報酬ではそれぞれが困窮してしまう。経験のある上位ランクパーティーが後輩を同行させて育成するのが理想だが、なかなかうまくいかないものなのだ。
ヨルクは身長その他の理由から現在、パーティーを組まずソロで活動している。イーノックは、彼が先輩冒険者パーティーでも役に立つよう、リディアから薬草採集と需要の高いポーションの作り方を教わらせようとしたようだ。
『教えるのは構わないけど、見分けるのはなぁ。よく似た毒草もあるから。……ちょっと考える』
リディアもヨルクも与り知らぬことだったが、誤って毒草を採ってしまったことで起こる食中毒も、冒険者には脅威だ。モノによっては死人も出る。
◆◆◆
魔法具店でポーションの容器と、今回は乳鉢などの道具類一式も購入。ワームの魔核が小さいながらも一つ銀貨三枚で売れたので、少しだけ余裕ができたのだ。あとは店主のお爺ちゃんがニコニコとサービスしてくれたから。
「採集は今から行くのか?」
様子窺うように尋ねられて、リディアは首を横に振る。
「今からだと森に入っても夜になってしまうから。明日の早朝から……」
実は今から急いで戻れば行けなくもないのだが、あの〈厄災〉とヨルクと引き合わせるのは躊躇われた。
「森なら今からでも十分行けるけど? そんなに薬草採集の場所は遠いのか?」
「え?」
しかし、ヨルクはきょとんとした顔をリディアに向けた。今からでも十分行ける??
「あ……そうか。アンタはここの人間じゃないから知らないのか。麦畑側の門からなら、森まで歩いても一時間かからないんだ」
「ええっ?!」
歩いて一時間足らず――ラームス村に戻るよりずっと近いではないか!
『僕たち、ひょっとしてものすごく非効率的なことしてた?』
……知らないってコワイ。
「いや、その……俺、実は今日はダメなんだ。アンタさえよければ、明日の朝ギルドから出発にしないか?」
組んですぐ行けなくて悪いんだが……と申し訳なさそうに口ごもるヨルク。そういえば、身長以外にも事情があると言っていた。
「じゃあ、明日」
彼の言葉に頷き、ついでとばかり街のおおよその地理を教えてもらったことは言うまでもない。
彼を見送り踵を返したリディアの前を、上等な服に身を包んだ紳士が横切った。商人には見えないから貴族だろうか。屈強な護衛を数人連れている。
「おや?」
法衣を纏ったリディアを認めるや、紳士は立ち止まった。黒いシルクハットの下からキツネを思わせる細い釣り目がじろじろと、リディアを上から下まで眺めまわした。
「シスター、ですかな? 失礼ですが、お名前をうかがっても?」
『コイツ、貴族だわね』
この日はじめてメリルが口を開いた。
♡♡♡
『話し方がいけ好かない文官貴族そのものね。お姉さま、ボロを出さないでよ』
空間の中からメリルは姉に釘を刺した。もし、メリルの勘が当たっていれば。
(コイツ、追っ手だわ)
呑気に過ごしているが、フュゼは王都からも近い都市なのだ。しかも逃げたのが〈聖女〉と王子様ならば――。
「ディオと申します」
言葉少なに答えた姉に、紳士は「ほう」と糸のような目をわずかに見開いた。
「これは失礼した。僧侶殿でしたか」
「お気になさらず」
紳士に会釈し、姉がくるりと向きを変える。
「ああ、お待ちを。冒険者ギルドはどちらかご存知かな?」
何気ない問いなのに、あからさまに探る目つき。下手な嘘は墓穴を掘ると、メリルの直感が告げた。
『お姉さま、案内して』
「……こちらです」
景色が動く――〈空間〉の中は打って変わって静かだ。ヘリオスの顔は強張り、ジーンも緊張を滲ませている。
(役に立たないヤツら。怖じ気づいちゃって)
かく言うメリルも手が震えているのだが、そこは見ないことにした。
『【私に頂戴】』
普段は視覚と聴覚以外、オフにしている〈黒魔法〉――〈分けっこの魔法〉をすべてオンに切り替える。途端に姉の心拍や空気の臭い、手の汗ばむ感覚に至るまで、すべての感覚がメリルにも伝わってきた。
案の定、姉は焦りまくっていた。やはり、何か伝わるものがあったようだ。心臓がドクドクと暴れている。
「ところでディオ殿は、旅の途中ですかな?」
歩きながら、紳士がそんなことを聞いてきた。姉は身体を強張らせ「なんて言ったらいいの?!」と心の内で泣き言を言う。
――『フルオン』にすると、心の内さえ手に取るようにわかるのだ。
『言うとおりに答えて。ええ、王都に行く途中です』
〈空間〉から、姉の心に直接囁きかける。こうすると、より確実に姉に言うことを聞かせることができるのだ。難点もあるが。
夜しかないから――少し前まで『夜会の妖精』と持て囃され、虚栄と謀略渦巻く夜会を泳いできた。
(度胸も駆け引きも慣れっこなんだから)
震える手をギュッと握り込んで抑える。答えを間違えれば、捕まる。それから――。
『フルオン』の厄介なところは、術者であるメリルの動揺も、姉にダイレクトに伝わってしまうこと。そういう意味でも、この魔法は神経を削る。
速まる拍動と、冷たいほどに冴える思考――嫌な感覚だ。子供の頃を思い出す。
「ええ……。王都に行く途中です」
なんとか答えた姉。すぐさま「何用で?」と問う紳士。薄い唇が実に滑らかに、貴族らしく優雅に圧を滲ませ、言葉を紡ぐ。
『聖女様にひと目、お目通り願いたく』
「聖女様にひと目、お目通り願いたく」
不自然ではない……はず。オクトヴィアが〈聖女〉を抱えているのは周知の事実だから。
相手の思考を読めない、奇妙に気まずい沈黙が落ちる。
…………。
…………。
「そうですか。それは残念なことです」
ややあって、紳士が言った。残念、と言いながらも表情は変わらない。じっと、こちらを見つめているのが不気味だった。
「ざ、残念、とは?」
姉の声がぎこちない。心臓がドキドキバクバクと早鐘を打ち、頭がクラクラする。
(落ち着きなさいよ! このポンコツ!)
「……いえ、こちらのことですよ。では、失礼」
まだ冒険者ギルド前ではない。しかし、紳士は先ほどのねっとりした雰囲気が嘘のように、スタスタとリディアを置いていってしまった。
『こ……怖かったァ~~』
視界が下がる――姉が座りこんだのだろう。……なんとか切り抜けた。
だが、まっすぐ村に戻るのは、やめた方がいいのかもしれない。
『お姉さま。とりあえず街をウロウロして時間を潰して』
『ウロウロって……どこに?』
『そんなの自分で考えて!』
ぴしゃりと言って、魔法をいつも通りの見て聞くだけの範囲に戻す。疲れるのだ、フルオンにすると。
メリルの〈黒魔法〉をフルオンにすると、対象に憑依するのと近い状態になれます。ただ、対象を操ることはできません。唆すだけ( ˇωˇ )




