Chapter03-3 森の厄災とワームの謎
「あの子は四十八年前に落ちた〈厄災〉に違いないよ」
ラームス村の教会に戻ってきてから、ジーンが言った。
「昔、この村にとって脅威だったワームを、偶然だけど厄災はエサにしたんだ。はじめにどれだけの数だったかはわからないけど、たぶん、それでワームが姿を消したんだ」
そう考えると、村長の話と辻褄が合いはするが……。
「じゃ、どうして今さらワームが出るのよ」
既に日は落ちており、〈空間〉から出てきて無心で薬草の葉っぱをつぶしていたメリルが言い返した。
「あの子は『仲間とはぐれた』って言っていたね。しかもはぐれてからけっこうな日数が経ってるみたいだ」
と、ヘリオス。彼も今回はせっせと作業をする側だ。
「〈厄災〉だもの。討伐されたとか?」
「普段土の中にいるんだよ? そう簡単に彼らの居場所……というか存在が知られるかな?」
◆◆◆
リディアは部屋の隅から一人、作業の様子をぼんやりと眺めていた。両手には包帯。採集に夢中になるあまり、指の怪我に気づかず、さらにパスカルを真似て硬い根を無理矢理へし折ろうとして傷を酷くし……。指をまとめて包帯で巻いてあるので、作業には参加できない。
(私……何やってるんだろ)
役に立たないといけないのに、逆に足を引っぱってしまった。採集の時だって、自分が失敗しなければもっとたくさん採れただろう。今だって、自分だけ休んで。
『フッ……なぁに言ってんだか。お姉さまはただ言うことを聞いてただけ。自分で何一つ考えちゃいない。何一つできちゃいない。全部他人任せだわ。なのに新しい幸せ? バカじゃないの?』
メリルに言われた言葉が、ひ弱なリディアの心をぐらぐらと揺さぶる。
焦燥と後ろめたさ、そしてどうしようもない寂しさ――。
何もできないとは、こうも辛いモノだっただろうか。
◇◇◇
フュゼでは、ゴールデンロッド駆除の準備が着々と進んでいた。領主の館には、駆除に使われる魔道具に遮蔽物、そして数カ月前に捕まえた〈厄災〉を閉じ込めておく檻が、台車とともにいくつも置かれている。
ゴールデンロッドの駆除が始まったのは十年以上前からだ。その頃は人海戦術で、領兵や冒険者だけではなく、樵夫やラームス村のような周辺民に呼びかけて、森に根付いた外来植物を取り除いていたのだ。
異常――襲撃による邪魔が入ったのは、実はここ最近のことである。
主な妨害は、樹上からの射撃。飛んでくるのはそこらの細枝を削った粗末な矢だが、精度が高く、死人まで出す始末。さらに、何の因果か、キラービーという毒針を持つ魔虫が森の縁にたびたび姿を現すようになり、ゴールデンロッドの駆除はいよいよ難しくなった。
そこで考え出されたのが、今館内に次々と運びこまれている魔道具だ。一見すれば、子供の頭ほどもある泥団子。内部には大量の鋭利な石片が仕込まれており、風魔法の呪符で炸裂し、石片を撒き散らす――殺傷力が高い兵器だ。
「なるほど? これで隠れている妨害者ごと外来植物を破壊するわけですか」
領主を訪ねた紳士は、山積みにされた茶色の球体を物珍しげにのぞきこんだ。
「森で火炎魔法を使うわけにはいかんからな。この方法もできれば使いたくはないが、このままでは森が死ぬ。苦肉の策よ」
魔道具は森の木々を傷つけ、獣も殺すだろう。だが、木は多少傷がついたくらいでは枯れない。焼け野原にしてしまうよりはマシだ。
そう、忙しそうに書類を捌く領主は答えた。
未処理書類の山に一枚の紙切れ――アイスローズがカストラムから出した手配状――を滑りこませ、狐のような目つきの紳士はうっそりと笑った。
「成果によっては、お売りになったらいかがです? じきに厄災の年ですから」
◆◆◆
村では見張り以外の皆が寝静まり、フクロウの声が寂しく夜の静寂を揺らす。糸のような三日月が、空から村を見下ろしていた。
「眠らないの?」
ぼんやりと月を見上げるリディアに、ジーンが声をかけた。ポーション作りはすでに終わり、ジーン以外の皆は疲れてぐっすりと眠っている。
見上げたジーンの手には、薬草を煮た鍋。これから洗うのだろうか。
「冒険者登録試験突破おめでとう。よく頑張ったな」
柔らかな声で言って、ジーンはリディアの頭を優しく撫でた。
「それと、ごめん」
ジーンの魔法は対象を自在に操ることが可能だが、無理な動きもさせてしまう。使ったら反動――ゴブリン戦後にリディアが感じた身体の痛み――が来るのだ。
「でも、いざとなったら躊躇わずに使うよ。そのためにも……反動を抑えるためにも、自分で身体を動かして、筋力をつけた方がいいから」
だから、冒険者登録試験の時は助けなかった、とジーンは説明し、眉を下げた。
「これから、魔物と遭遇することもあると思う。……無理させて、本当にごめんな」
沈んだ表情に、リディアはあわてて首を横に振った。
「そんな……! あ、手伝います!」
雰囲気を変えようと、後片付けを申し出る。リディアが立ちあがると、ジーンは「じゃあ」と散らかったままの道具類に目をやった。
「運んできてくれたら、俺が洗っとく」
「はい」
教会の裏手にある井戸で、珍しく手袋を外して作業するジーンの後ろで、リディアは洗い終わった道具を拭くことにした。金属製の道具は、自然乾燥に任せると錆がついてしまうからだ。
両手に抱えた道具越しに、ジーンの黒い背中を眺めた。
――広い背中だ。
パスカルほど筋肉質ではないが、ジーンも引き締まった体躯をしている。彼も、時に武器を持って戦うのだろうか?
「怪我は平気?」
リディアに背中を向けたまま、ジーンが問うた。
「これくらいなら、何とも」
包帯でぐるぐる巻きだが、浅い切り傷だ。鈍い痛みこそあれ、作業ができないほどでもない。
「そんなことより、ごめんなさい。今日は私のせいで……」
リディアが俯くと、ジーンは振り返って「気にしないで」と笑った。
「得意不得意は誰にでもあるよ。俺がパスカルみたいに重い武器を扱えないように、ね?」
それぞれがお互いの持っていない部分を補い合いながらやっていく――それがパーティーだから。
「でも……」
洗い終わった道具を受け取って拭きながら、リディアは思う。
貴族令嬢だった自分が得意なことって何?
社交から遠ざかり、ダンスもマナーも中途半端。会話術だって、そう。
大商会の娘だけれど、商才があるわけでもない。特別頭がよいわけでもない。それどころか世間知らずで。
「ないんです、私。なんにも……」
言葉にしたら、悲しくて情けなくて。声が震え、泣きたくなった。役に立ちたくても、何かを為したくても、悲しいほどに何もないことを自覚するばかりで。
「何にもない人間なんていないよ、リディア」
俯いた目線の先に、膝をつきこちらを見上げるジーンの顔がある。慈しむように細められた紅い瞳がリディアを見つめていた。
「長いこと〈勇者〉をやっているけど、俺が会った人はみんな個性があってさ。中には見た目からは想像できない、意外なことが得意なヤツもいて……」
そこで、「フッ」とジーンは寂しげに笑った。夜風が、今はモノクロームの彼の髪を揺らす。
「ジーン、様?」
「場所や視点を変えてみたらどうかな?」
何か気づくことがあるかもしれない。
そう言って、ジーンは洗い桶の水を捨て。
「あ、どうぞ」
彷徨わせた手に拭き布を渡そうとして、リディアは軽く、腕まくりをした彼の腕に触れてしまった。
(え……?)
気のせいだろうか。
腕が冷たい――水を触った手先が冷たくなるのならわかる。でも、水に触れていない腕までもがひんやりと温度がない。そんなことって、あるだろうか。
「気づかれちゃったか……」
リディアの表情から読み取ったのか、手袋をはめながらジーンが苦笑した。
(そうか……だから、手袋を)
なんとなく、察した。ジーンがいつも手袋をはめている理由――きっとこのことを隠すためだったのだ。身体に温もりがないことを。
ざり、と土を踏みしめて。ザァッと吹きぬけた夜風が、彼の黒いマントをフワリとはためかせた。
紅の双眸がリディアを正面から見つめる。
「俺は、人間じゃない」




