Chapter01-1 へなちょこカニ聖者
「ヘリオスは運動能力っつーか筋力? スタミナ? そっち方面が壊滅的なんだってさ」
「……そうなんですね」
半壊した教会から、ウィルと一緒に倒れた聖者様を運び出して。
白目を剥いた聖者様に、リディアは気の毒そうな眼差しを向けた。
昨日のゴブリン戦で彼が外に出ず、リディアの魔法で 〈隠れ〉 た理由――それが運動能力の無さだったのだ。
『へなちょこ聖者……』
メリルも呆れを滲ませた。
ヘリオス本人曰く、廊下の端から端まで――約五十メトル疾走しただけで呼吸困難に陥るらしい。
「きゃ……華奢でいらっしゃいますものね」
『貧弱が過ぎて笑えるわ』
「な~。ぜんっぜん肉ついてないもんな」
ワームを一撃、それも即席の武器で倒したウィルが、グロッキーなヘリオスに、じっとりとした目を向けた。
「でもウィル様はすごいわ。あんな大きな魔物を倒してしまうなんて」
リディアは手放しでウィルを褒め、
『アンタ今までどういう生活してたのよ』
メリルは呆れた呟きをもらした。
ウィルは王子様でまだ少年――普通に考えれば、魔物と相対することはないはず。なのに、魔物の心臓ともいえる魔核を的確に捉えるとは……。
「カワイイ女の子たちに褒められるとうれしー! 頑張った甲斐があったよ~」
ウィルはニシシと照れ笑いを浮かべて、金の癖っ毛をかいた。こういうところは年相応だ。
『褒めてないから』
メリルがボソッと言ったところで、白目をむいていたヘリオスが息を吹き返した。
「……ハッ、ハァッ、し……死ぬかと思っだ……ガハッ、ウェッ」
「ヘリオス、戦おうとした勇気は讃える。けど、あれじゃ俺がいないと死ぬじゃん? 身体鍛えろ。歩け。とりあえず」
ヘリオスを助け起こしながら、ウィルが冷静にダメ出しをした。
「ぐふぅ……アルタルフの兄上は君よりずっと素晴らしい体格だったんだ。それこそ『おカニ様』の甲羅のような引き締まった腹筋だった……!」
「喩えがよくわかんないよ!」
変なマウントを取ろうとするヘリオスだが、ウィルに一蹴され、フンッと鼻を鳴らし。
「リディア、僕はこの通りだから今後も適度に君の魔法で運んで」
一転、真剣な表情をリディアに向け、怠惰なお願いをした。
「歩け! リディアちゃんは身体が弱いのに頑張ってるんだぞ?」
ウィルからはまっとうな叱責。しかし、ヘリオスはキョトンと目を瞬いた。
「リディア、身体弱かったの?」
おいで、と手招きされて、リディアは言われるがままに彼の前に腰をおろした。
「どこか、痛いとことかある?」
「い、いいえ」
昨日の、身体の節々の痛みはもうほとんど感じない。なお、ジーンの魔法の痕跡――身体の違和感は、教会から出たところでスゥと消えてしまった。
ヘリオスは両手でリディアの首筋に触れ、脈を診、瞳をのぞきこんで。
「別に、問題ないけど?」
身体の弱さをまさかの一刀両断。メリルが「ウケる」と噴きだし、リディアは目をまん丸にした。
「でも……。私、すぐ疲れちゃうし、よく眩暈を起こすの」
親からも医者からも、身体が弱いから無理をしないように言われていた。そもそも、健康体なら疲れやすかったり、眩暈を起こしたりしないはずだ。
疑問符を浮かべるリディアに、深い海色の瞳で優しく細めて、ヘリオスはこう言った。
「それはね、リディア。貴族令嬢にありがちなことだけど、たくさん食べるのはお下品だ、太るのはいけないって考え方――それが行き過ぎて、子供の頃に必要な栄養をきちんと取らなかったから。だから、年齢の割に痩せていて低血圧なんだよ。眩暈はその典型的な症状。普段、水もあんまり飲まないんじゃない?」
思わぬ指摘に、リディアはコクリと頷く。その通りだったから。
「加えて君は、貴族令嬢唯一の運動らしい運動――ダンスをしないよね?」
「ッ、どうして!?」
〈黒魔法使い〉がゆえに社交から遠ざかり、ダンスの練習も夜会前に詰めこむ程度だった。でも、リディアの『普段』を知るはずのないヘリオスが、なぜそこまで知っているのだろう。
「君の姿勢と歩き方、変な癖がついてる。全身の筋肉を適度に鍛える――ダンスの練習を日常的にやっていれば、こういう癖は矯正されるし、体力もつくんだけど」
ポン、とリディアの肩に両手を置いて、ヘリオスはにっこりと笑った。
「君の不調の原因は、ズバリ運動不足と栄養不足! しっかり食べてたくさん動けば、もっと身体は丈夫になる! 僕が歩かなくても君が」
「なわけないだろ! アンタも歩け!」
最後の余計なひと言は、皆まで言う前にウィルにバッサリ否定された。
◆◆◆
ワーム襲撃で死人が出なかったことに、村人たちはホッと胸をなでおろした。
「ワームが出始めたのは、ここ数ヶ月のことなんですか?」
場所を村長の家に移し、リディアたちは改めて実情を聞いた。
村長――教会でヘリオスと話していた髭モジャの老爺曰く、老爺がまだ若者だった頃はワームは珍しくない魔物で、地中に深く杭を打ってぐるりと村を囲い、侵入に備えていたのだという。
「いつからだったか……ワームをぱったり見なくなったんです」
「いつだったかなぁ?」と、村長は髭を撫でながら視線を彷徨わせ、「〈厄災の年〉のすぐ後くらいじゃないかね」と、村長の傍にいた別の村人が口を挟む。
「そういやぁ、そうだったかなぁ」
記憶は定かではないらしい。
『ヘンな話ね。人間がいるのに急に消えたとか。天変地異でもあったの?』
『〈厄災の年〉は今から四十八年前だな』
〈空間〉からメリルとジーンがそれぞれに呟いた。
異界の扉が開き、〈厄災〉 が降り注ぐのは数十年に一度。その後で何か起こったのだろうか。
『天変地異なら、忘れることはないと思うわ』
『それもそうね……』
「まあ、ワームが消えたことをワシらは喜びました。村に人も増えて……開墾して広げたんです。ほら、あの木を」
村長が窓から青々と葉を茂らせる木を指さした。
「あそこが昔、村の縁でした」
木の傍らには今は家が建ち、現在、村と外界を隔てる柵は、そこからさらに数十メトル離れている。
ラームス村は主に森で得られる木の実や獣肉、魔物の素材、木材を街に売っている。ワームという脅威がなくなり、森や街道での死者が減り、結果人口が増え、村を拡張するに至ったのだろう。
エルナト街道沿いではないが、そこへ続くブロンテス林道には王都が近いゆえにそこそこの交通量があるのだ。
「村を広げたときに、地中の杭は?」
ワームは地表の震動を感知して獲物を探すため、比較的浅い土中を移動する。よって、地中に何らかの障害物――杭を打ちこんだり、大きな石や煉瓦を埋めて、人間の居住区域への侵入を防ぐのだ。
ヘリオスの問いに村長は首を横に振った。
「村を広げたのは、ワームを見なくなって何年も経った頃でしたから……」




