Chapter04-5 聖女の力
「このッ、バカ!! なんてことするのよ!」
魔力を大幅に削り、放った大技。会心の一撃だった。大量にいたゴブリンたちは逃げ去り、確かに、確かに護ったのに。
どうして、メリルはこんなに怒っているのだろう?
メリルが陽の下に出られない体質なのは、ずいぶん前から知っていた。『夜会の妖精』――社交界では有名な話だったから。
それなのに、彼女は安全な場所から出てきてまで自分をぶん殴った。なんでだ……?
「荷馬車なんかくれてやればいいじゃない! こんなモノを護るために……どれだけ麦が燃えてしまったと思っているのッ! うぷ」
日差しを浴びないよう、頭からブランケットを被ったメリルが、吐き気を抑えつつも指さしたのは、ごうごうと燃え盛る麦畑。
さっきの大技で、荷馬車の半径十数メトルは焦土と化し、その向こうの麦畑も燃え続けている。熱風が吹き荒れ、煙に目が痛む。
「な……何言っているんだよ、メリルちゃん」
燃えたと言っても、麦畑はここだけではない。王都の周りには少なくとも六ヶ所、穀倉地帯があるのだ。そのうちの一つ、それもほんの一部が焼けただけで。
「……別にどうってこと」
「アンタたち金持ち貴族はいいさ! 多少値が上がったって痛くも痒くもないよね! でも庶民はちがうんだ!!」
「庶民……?」
魔力低下で頭がクラクラする。ぼんやりとオウム返しに問うたウィルは、メリルの顔を見てハッとした。怒っているのに、彼女は泣きそうな顔をしているから。
(なんで……そんな顔)
「これだけ燃えて……こんなに燃えて、本当に末端まで食べ物が行き渡ると思う? 飢え死にしないって心から思っているの?!」
「え……?」
震える声で問われて、戸惑った。
そんなことは知らない。でも、ウィルの知る限り、王都は賑わっていて活気があって。物も溢れるほどに売られていた。飢え死になんて言われても、想像がつかない。メリルの過去だって、知らない。
ウィルは王族だ。けれど、『怪物王子』=『兵器』のような扱いがゆえに、鍛錬ばかりで政治とは無縁。勝手に放浪の旅に出ることからも、代々の『怪物王子』に期待する人間は皆無。だから、視察にも行かない。街に降りるとしても、富裕層が利用する『安全』で『綺麗』なところにしか行かない。
彼は、悲しいほどに知らなかっただけだ。別に、彼自身のせいではない。
「そんなことより、このままじゃ燃え続ける。水魔法は使えそう?」
同じくリディアが魔法を解除して出てきた〈聖女〉に問われて、ウィルは我に返った。
(そうだ……。どのみち、火を消さないと前には進めない)
全身の倦怠感がひどい。でも我慢して、ウィルはフラリと立ちあがった。
(ここで足止め喰らったら……追っ手が)
受け継いだ覚書に、繰り返し書いてあったではないか。放浪の旅は、常に追っ手を気にするものだったと。『怪物王子』は使い勝手のよい『兵器』。手元に置いておきたいから、取り戻そうとするのだと。
(それに……俺が捕まったらメリルちゃんたちは……)
逃亡に手を貸した――きっと、罪人扱いになる。それだけは、嫌だ。
(水……水……噴水、みたい、に……)
疲れていて、うまく魔法のイメージをつかめない。それでも。
「【エンチャント アクア】」
煌めく水飛沫は、手前の炎をほんの少しだけ消したが、それだけだ。魔力が足りない。かくりと膝をつくウィルの肩を、ポンと誰かが叩いた。
「魔力がないんだろう? リディア、彼と妹を隠しな。代わりに僕が頑張ってみるから」
そう言って前に出たのは、〈聖女ヘレネ〉。
(あれ……? なんか、髪、短く……?)
背の半ばまであった髪が、肩に届くくらいしかない。パチパチと目を瞬くウィルの前で、〈聖女〉は地に膝をつき、祈るように両手の指を組む。
「慈悲深きカルキノスよ
干天に喘ぐ我らを救い給え!」
「【呼び水】!」
凛とした詠唱。しかし、何が起こるわけでもなく、ごうごうと炎の燃え盛る音が聞こえるばかり。
(こんな時に、神頼み……なんて)
ウィルが呆れにも似た感情を抱いた、そのとき。
「……え?」
不意に感じた冷たさに下を見た。地についたズボンが濡れている。土が、湿っている……?
「な?! 見ろ!」
ガタイのいいパスカルというオッサンが前を指さす。ウィルもそちらを見て、あんぐりと口をあけた。
(水が……水が、地面から溢れてくる!!)
湧き出た泥水は瞬く間に水嵩を増して濁流となり、燃え盛る麦畑を浸食していく。まるで突然大河が出現したかのような不思議な光景。火が勢いを失い、あちこちで黒い煙が燻る。
パタリと〈聖女〉が倒れた。




