Interlude 荒野で優雅なるキャンプを
メイドコスの隠密アイスローズ視点です。
さて。リディアたちのいる蔓食みの森からかなり離れた地点――砂と石ころだらけの荒野に、ポツンと薔薇が紅の花弁を開いていた。
「……ハァ。少々風の音がうるさいですが、平和でいいですねぇ」
薔薇……ではなかった、深紅の薔薇に限りなく似せたパラソルの下から、気の抜けた声がした。
…………ここはプサンモス荒野という、オクトヴィア王国と隣国ハラーラとの国境地帯。
文字通り、目に見えるのは砂と石ころばかりの荒涼とした大地だ。植物もないことはないが、地面にこびりつくように生えた固そうな草と、カサカサと音を立てて風任せに転がっていく根無し草くらい。もちろん、家もなければ、なんなら人っ子一人見当たらない。
「キャウーーン(おみ足、お揉みしますわぁ)」
「クゥ~ン(アイスティー一丁ッ)」
「キャワッ! キャウン(あら! お洋服にシワが)」
だらしなくビーチチェアに寝そべったアイスローズを甲斐甲斐しくお世話するのは、三匹のミークたち。いずれも、カストラムのミーク派遣商会から借りてきた可愛くて優秀な小間使いである。
「嗚呼……。苦しゅうないわぁ」
メイドコスの隠密は、ズズズーッとアイスティーを啜り、
「へっくしゅ!」
鼻をすすった。美人が台無しである。
国王の命令で『怪物王子』一味を追い、カストラムに滞在していたアイスローズだったが、捜索は早々に行き詰まった。
大人しくじっとしていることができない化け猫が街でやらかしまくったからだ。
魚屋に突撃して、駆けつけた騎士にニャンパンチ。
ご令嬢のフサフサ毛玉の髪飾りにじゃれつき、駆けつけた騎士にニャンパンチ。
初代領主の銅像で爪とぎをし、駆けつけた騎士にニャンパンチ。
「決定打は、シャルロッテさんが馬車の屋根に飛び乗って、御者が振り落とそうと街を爆走十周したことでしたねぇ」
……大好きな騎士がわらわら寄ってくるドライブにシャルロッテは大はしゃぎだったが。
結果、ミークと野宿道具一式つきでカストラムから穏便に追い出された。チラと視線を横に向けると、組み立てたばかりの天幕の中に男たちが水と食糧を運び込んでいるのが見える。彼らは必要なことをしたらカストラムに帰る。そのあとは放置だ。たぶん。
「まあ、のんびりするとしましょう」
アイスローズは優秀な隠密なのだ。シャルロッテを連れている時点で隠密も何もない気がするが、優秀は優秀なのだ。こういうこともあろうかと、ちゃんと暇つぶしも用意したのだから。
「はぁ~。スライムはいいですねぇ」
人間を軽く五人くらい詰め込めそうな巨大水槽の中には、観賞用カラフルスライムが三匹、よちよちと緩慢な動きで這い回っている。
「騒がないし、汚さないし、癒やされますし」
格安で手に入れたスライムの世話は簡単。エサをやるだけだ。掃除は不要。素晴らしい。
唯一不満があるとすれば、売れ残っていたブサネコを押しつけられたことか。アイスローズは「カワイイ」は理解できるが、「ブサカワイイ」は理解できない。店員は「そこがいいのだ」と力説していたが。
「ま、シャルロッテさんが引き取ってくれましたし、大丈夫ですね」
なお、ブサネコは化け猫と一緒に、狩りにいった。ペットのエサ係というお役目を与えたところ、嬉々として一緒にすっ飛んでいった。
と、噂をすれば。
「ニャーッ! 獲ってきたニャ!」
パカッ ポイッ ドサッ!
風のように戻ってきた化け猫に合わせて水槽の蓋オープン、猫が仕留めた獲物を水槽にぶち込む。放り込まれた魔物肉にわらわらと群がるスライム。
「また行ってくるニャーッ!」
「ブニャ」
そして、また獲物を探しにいく二匹。
平和だ。
「……苦しゅうない」
投げ出した両腕をモミモミされながら、メイドコスの隠密は至福の呟きを落とした。
(ああ~、働きたくない)
のんべんだらりと過ごしていると時間が溶ける。
(いつになったら来ますかね~?)
プサンモス荒野は、隣国との境目にある。荒涼とした大地だが、サンドワームや猛毒の針を持つ砂蠍が生息することから、進んで足を踏み入れる者はいない。
人目がなく、密入国にはうってつけである。
実際、気になる痕跡――道もないのに重なる轍の跡も見つけた。
来たる〈レクイエム〉への切り札として軍で鍛えていた『怪物王子』なら、魔物など脅威ではないだろうし……。
(ま、ゆっくり来てくださいな)
『怪物王子』一味が来るまでは休暇だ。王太子殿下から追加指令で「コンコーネの娘も生け捕りにしろ」と面倒なことを言われたが、今は忘れてしまおう。
「婚約するとは……何を言っているんでしょうねぇ? あの坊やは」
水槽の中で平べったくなっているスライムに問いかけた。
「こちらの仕事ばかり増やして、何様でしょうねぇ?」
プクと頬を膨らませ、水槽をツンとつつく。スライムは特に反応しなかった。エサを食べるのに忙しいのである。
「まあ……五体満足でなくても、ねぇ?」
生きていればいいのだ。なにせ王太子殿下の部下はそそっかしい化け猫シャルロッテである。
「手足の一本や二本、もげていたって仕方ない、ですよねぇ?」
クフフ、と嗤ったアイスローズは、視界の端に異物を認めて跳ね起きた。荒野の向こうから、モウモウと砂埃が舞っている。
「来ましたか」
馴染んだ得物――特殊な錬金素材、水鋼で打ち出した双薙刀フルーメンを手に構える。アイスローズはメイドコスなんかしているが、一応隠密で武術にも長けているのだ。
モウモウと舞い上がる砂煙がもう一つ増えた。なんとなく、後から見えた方の砂煙の方が大きい気が……
「ニャーッ!!!」
手前の砂煙の中から現れたのは、化け猫シャルロッテだった。なんだ、とフルーメンを下ろしたアイスローズだが。
「大変ニャーッ! 『オトモダチ』がデッカくなっちゃったのニャーッ!!」
なんだって??
「BUNYAAAAAAA!!!!」
アイスローズのフリフリメイドスカートが突風にぶわりとめくれあがって顔に張り付いた。
「……前が見えない」
スカートを押さえたアイスローズの目の前には、入道雲みたいな巨大な砂煙。その中から、城ほどもある巨大なブサネコが姿を現した。
「………………は?」
「BUNYAAAAAAA!!!!」
溢れ滾る魔力で目を爛々と輝かせ、口から特大サイズの鋭い牙と、よだれが飛び散った。ブサネコは腹ペコのようだ。
「嗚呼……なんてこと」
よだれをモロに被ったアイスローズの姿は、そのまま砂煙に飲み込まれた。




