貴方はだれなの?
メイク時間は俺の予想を遥かに超えて1時間30分ほどかかった。ずっと、同じ体勢でいるのもなかなかしんどいものだ。
しかし、あまりにも町丘さんが集中していたため、一言も話すことなく終わりを迎える。
「や、やばい……アタシはなんてものを作り出してしまったの」
深刻な声で彼女はそう言った。
やっぱり、俺じゃ無理だったか。
鏡に映る自分を見てみると、前髪が綺麗に上がっていて今までにないくらい爽やかになってると思ったのだが、どうやら溜め込まれてきた陰気さは消えてくれなかったようだ。
でも、ホントにプロって凄いよな。まるで俺じゃないみたいだ。
間違いなく自意識過剰なんだろうけど、今の俺の姿はテレビに出てるアイドルだと言われても一瞬信じてしまいそうになる。
まぁ、こういうメイクも彼女にかかれば誰でもこうなって当然なんだろうけどね。
そう考えた矢先、俺の方を向いて頬を赤く染める町丘さんの姿も鏡越しに見えた。
もしかして熱中しすぎて、体調でも崩したんじゃ……
確かにあの俺の顔をここまでにしてくれたんだ、そりゃ疲れもするか。
本当に凄い集中力だったし。アレは絶対に喋りかけても返事しないタイプだ。
「町丘さん、大丈夫ですか?」
「藍……アタシの名前は藍よ、碧君」
「へっ!?」
もしかしてそう呼んで欲しいとかか?
でもなんで急に……
「って何言っとんじゃボケェ!
……あっ、ごめんごめん。今のナーシ、なかったことにしてちょ。ふぅ、今日の私ちょっとどうかしてるわ」
やっぱり体調が悪かったのか。
それなのに俺のためにここまで頑張ってくれて……
「えーと、ま……、いや、藍さんの方がいいんでしたっけ?
それで藍さん、体調の方は大丈夫ですか?」
「ズキュン!
あっ、えっ、な、ナシでって言ったじゃん……でも、やっぱりナシじゃなくもないわね。
でも、その顔で言われると心臓がギアあげちゃってさ」
町丘さんは一人であたふたし始める。何というかまるで一人劇場を見せられている感覚に陥った。まぁ、内容の方は変わらず分からんのだが。
でも、名前で呼ばれることに関しては嫌がってはなさそうだけど……
馴れ馴れし過ぎるし、とりあえず保留だな。
そんな時、部屋のドアがノックされる。
「ちょっと、町丘さん大丈夫そう?
予定よりもかなり時間が……あら、入る場所間違えちゃったみたい」
ドアを開けて入ってきた鈴菜さんは、俺を見るなり唖然とした表情になり扉をもう一度閉めようとする。
「ちょっ、鈴菜さん、アタシっす、町丘はここっすよ」
「えっ、町丘さん、何で別の人のメイクやってるのよ。確かに彼なら今回の音葉の曲、ヒット間違いなしだろうけどさ。あの子、碧君のことに関してはかなり頑固よ。
……にしてもホント整ってるわね、今まで見てきたなかで一番かも」
「あ、あの、鈴菜さん?」
「んっ?、どうして私の名前知ってるのょ…………ってその声、もしかして貴方、碧君なの!?」
「は、はい、そうですけど……
メイクの力って凄いですね。まるで自分が別人みたいです」
自分でも他人に見えるんだから、鈴菜さんが勘違いするのも当然だな。
でも、ホントに町丘さんの技術が凄いよなこれ……
「嘘でしょ……、でも納得が言ったわ、音葉はこのこと知ってたのね」
鈴菜さんは口をあんぐり開けた後、どこか納得した表情になって深く頷いた。
「すみません、ちょっとトイレ行ってきてもいいですか?
さっきからかなり我慢してて……」
結構束縛時間が長かった為、もうそろそろ限界が来ていた。
正直、こんなに長いと思ってなかった。知ってたらメイクしてもらう前に行っておいたのに……
終わった後に文句を言っても仕方がない。
とりあえず今はトイレだ。
「分かったわ、トイレはこの部屋を出て右の方にあるから、そこを使ってちょーだい。それと申し訳ないんだけど、念のためマスクと帽子つけて行ってくれるかしら」
「分かりました」
見られるといろいろと問題になるような気がするのよね……
鈴菜さんが最後に小声で何か言っていた気がしたが、漏れそうだと考えた途端、ドッと限界が近づいてきたのだ。
俺は受け取ったものを急いで着用すると、慌てて部屋を出た。
なるべく人と会わないようにとも言われたが、今は気にしてられない。
でも、鈴菜さんがそう言った理由はなんとなくわかった。
やっぱりあのRoeleのMVに出るんだから秘匿性が高いということなのだろう。
俺はそんなことを考えながらトイレに駆け込むのだった。




