ゼロからの親子関係
どうしてこうなった。
音葉が母親と話すのが今朝だってことを聞いて、気を紛らわすために昼ご飯を買いに来たというのに……
俺は今、音葉の母親である鈴菜さんに連れられて喫茶店プルシェに来ていた。
アンティーク風な内装がどこか落ち着きを与えてくれるお洒落なお店だ。実は前々からこのプルシェの存在は知っていたが、もちろんのこと、こんなお洒落なお店には一度たりとも入ったことがない。
それがまさか、昼食の買い出しで鈴菜さんに会って来ることになるなんて……
彼女の方が俺のことを知っていたことから音葉との話は終わったとみて良さそうだな。
初対面でハッキリとしたことは言えないが、目の前に座る鈴菜さんは元気がないように感じられた。
だが、流石は音葉の母親なだけあって、暴力的な美しさを持ち合わせている。
その上、大人の魅力まで……
こりゃ、何人もの男性が骨抜きにされてきたことだろう。
っと、そんなことよりも今の状況をなんとかしないとな。
「すみません、それで今日はどのようなご用件でしょうか?」
十中八九、音葉とのことだがそこは話を進めやすくするためにも聞いておくことにする。
「ありがとう……音葉を救ってくれて本当にありがとう」
鈴菜さんはそう言うなり頭をガバッと下げた。
いや、どういう状況だよ。鈴菜さんといえばあの大手音楽会社の社長だろ、そんな人から頭を下げられるようなことなんて……
うん、誰かに見られでもしたらいろいろと問題になりそうだ。
「あっ、あの、俺は全然たいしたことしてませんから頭を上げてください」
「そんなことはないわ。貴方がいなかったら音葉は今頃……」
鈴菜さんは顔をくしゃりとゆがめて、泣きそうな表情をしてこちらを見ていた。
そんな彼女の姿に俺はどうすればいいのかと少し慌てふためくことになるのだが、それとは別に少しほっとしていた。
美里さんの件がかなり残念だったから、鈴菜さんもそうなのではないかと心配していたのだ。
でも、それも杞憂に終わりそうだ。
この表情が演技だというなら、わざわざ顔も知らない俺を呼び止めたりはしないはずだからな。
鈴菜さんはホントに音葉のことを大切に思ってる。それは間違いじゃなさそうだ。
それにしても、音葉は全部喋ったのか。
てっきり鈴菜さんを心配させない為にも自殺の部分は伏せておくと思っていただけに予想外だった。
「それに関してはホントに偶然だったんです。たまたま、あの滝を見に行きたくなっちゃってその時に運良くって感じですね。だからそこまで感謝されるような……」
俺はそこまで言って言葉を止めてしまった。
鈴菜さんよ、どうしてそんなキョトンとした顔をしているんだ?知ってるはずじゃ!?
「碧くん、滝ってなんのこと?」
すまん音葉……
頭の中で音葉に謝った。
「あっ、えっ、綺麗な滝が運良く見れたなぁーーってなんちゃって」
鈴菜さんの鋭い視線を前についに俺は諦めた。
まぁ、それに普通に考えると話しておく方が良いに決まってるよな。
「碧くん、貴方の反応から大体予想はつくのだけれど、ちゃんと話してくれるかしら?私は全てを知っておきたいの、というより知っておかないといけないわ」
これは、親としての覚悟…… 鈴菜さんは今、全てを受け入れようとしている。
彼女のそんな真剣な眼差しを受けて、俺はことの全てを包み隠さず話すことを決めた。
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鈴菜さんは、俺の話を聞いてショックを受けた様子だったが、先程言っていたとおりある程度予想はついていたのだろう。完全に冷静さを失ってはいなかった。
「そ、そんなことが……
まさか未遂じゃなくて、実際に行動にうつしてただなんて」
そう言ってぐっと歯を食いしばって、俯いてしまう。
話を聞いて落ち込む鈴菜さんには申し訳ないが、俺からもいろいろと言いたいことが出来た。
正確にはいろいろあった考え方が今に纏まったのだ。
「あの、追い討ちをかけるようで悪いんですが、今俺が言ったことは紛れもない事実です。
あの日、音葉さんは流れの激しい滝の中にその身を投げ出しました。そして、その場に俺が居なかったらほぼ確実に彼女は今頃この世には存在しなかったでしょう。
でも、それは本来ならそうなる前に誰かが手を差し伸べるべきだった。鈴菜さん、貴方がちゃんと音葉のことを見るべきだったんです!
もっと、音葉に寄り添って、もっと彼女との時間を作って、もっと彼女のことを愛してあげて下さい。
っすみません、少し熱くなっちゃいました。親になったこともないのに……ホントにどの口が言ってるんだよって話ですよね」
「いいえ、構わないわ。それに私には返す言葉もないのだから。碧くんの言ってる通りで、私は全然音葉のこと見れてなかった。
あの子が困ってる時に気づいてあげられないどころか、その原因が私だなんて、ああ、ホント……笑えるわ。
その他にも私は親としての役目を果たせていなかった。そうね、ずっと前から親失格だったのよ。
こんな私なんかが音葉の母親でいいのかしら……」
鈴菜さんは自嘲気味に笑った。
「そんなの良いに決まってます!いろいろと言っちゃいましたが、鈴菜さんは音葉にとってたった一人の母親です。音葉は貴方のことをとても尊敬していますよ。いつも話してる感じからそのことが強く伝わってきました。
それにここが一番大切なんですが、音葉は今もちゃんと生きてますから!」
「―― っ!! ――」
「こうやって鈴菜さんが失敗してしまったあとでも、音葉は生きてます。だったら今なら取り返しがつくんです。
時にはどうしようもないこともあるかもしれませんが、今回は違うと俺は思います。
今日から、いえ、今からもう一度、音葉と親子って関係を作り直してあげて下さい」
そんな俺の無責任な言葉が響いたのかどうかは分からないが鈴菜さんの目からは大量の涙が溢れ出てきていた。
「……碧くん、ありがとう。ホントにありがとう。私たち家族を救ってくれて。
良かったらこれ……私の連絡先だから良かったら登録しといて。何かあった時は絶対に力になるから」
鈴菜さんは涙をハンカチで拭ったあと、俺に携帯番号やメールアドレスの書かれた名刺を渡してきた。
「私も逃げてばかりじゃダメよね。よし、それじゃ碧くん今後も音葉のことを宜しくね」
鈴菜さんはそれから、俺の分も一緒にお会計を済ませると、最後にもう一度こちらに頭を下げてから店を出て行ってしまった。
うん、これで音葉も鈴菜さんと仲直り出来そうだ。
後、美里さんがどうなったのかは気になるが、今の鈴菜さんがいる限りは絶対に悪い方向には転がらないだろう。
って、そうだ。
俺はともかく姉さんの分の昼飯は早く買って届けてあげないとな……




