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正しいことと間違ってること、それらをハッキリさせることは極めて難しい


「それで音葉、これはどういうことなのか説明してちょーだい。」


 席に着いた美里さんは鋭い目つきで音葉を見つめた。


「えーっと、少し説明し辛いんだけど、今日は美里さんに協力を仰ぐためここに来てもらいました。」


「協力? なんの?

 まぁ、それは後にしておくとして、隣の男性は誰かしら?」


 音葉に向けられていた視線がこちらへと来たため、俺は軽く自己紹介をすることにする。


「突然にすみません、俺は律真 碧と言います。

 今回、この場に同席させて貰っているのは音葉さんが先程言った通り、貴方に協力してもらいたいことがあったからです。」


 俺がそう伝えると美里さんは手を顎に当てながら「要するにその協力の内容に律真くんが関係していると言うことよね……」と小さな声で確認をしてきた。


 しかし事実とは少し異なる為、俺はゆるりと首を横に振った。


「いえ、俺は内容の方には殆ど関係はありません。

 ただ、今回のこの協力を音葉さんに提案したのが俺だったので、その結果を最後まで見届けたいと思っただけです。」


「ふぅーん、イマイチよく分からないけど分かったわ。

 それで肝心の内容って言うのは?」


 納得はしていないみたいだけど、取り敢えず話を聞いては貰えるみたいだ。

 俺は密かに音葉に対して視線を送る。

 中身については今回頼み事をする立場である音葉から説明した方がいいだろう、とそんな想いを込めて……


 俺のそんな視線に気付いたのか、音葉は小さく頷いてから美里さんを見つめた。


「簡単に説明すると、今回美里さんに頼みたいのは私のお母さんの説得についてです。」


「説得ね……」


 美里さんは先程届いたばかりのグラスに入った紅茶をかき混ぜながら、チラリと音葉のことを見た。

 その、彼女に向けた視線からはめんどくさそうな雰囲気が漂っていたのだが、そんなことに気付いた様子のない音葉はつらつらと言葉を続ける。


 現状での母親と自分の考え方の違いや、これまでの自分の想いや感じてきたこと。

 また、これからはどうして行きたいか、などのそれら全てをざっくりと伝えている。

 そんな想いを伝える音葉の表情からは、かつてない程の真剣さが滲み出ていた。

 

 しかし、美里さんは違った。

 音葉の本音を聞くにつれて、表情の変化が乏しくなっていき全てを話し終えた後、美里さんは見るからにして機嫌が悪くなっていた。


「あ、あの、美里……さん?」


 音葉もそんな彼女の空気を感じてか、不安そうに美里さんの様子を伺っている。


「……なによそれ。貴方、ホントに親不孝者ね。」


 美里さんがボソリと呟いた。


「えっ?」


 音葉は目をカッと見開いた後、悲しそうに俯いた。

 恐らく、美里さんの示す態度が自分の想像していたものと違っていたのだろう。


 まだ、状況を飲み込めないでいるであろう彼女に対して四十半ばのマダムが追い討ちをかける。


「鈴菜さんが自分の時間を犠牲にしてまで、貴方の教育に費やしたというのに、そんな母親に対して文句を言うだなんて……

 ありえないわ。それに何を勘違いしてるのか分からないけど、貴方一人じゃここまで成功することは絶対に出来なかったから。

 一体どう思い上がったらそうなるのよ、ホント聞いてそんした気分だわ。」


 鈴菜さんというのは状況からして音葉の母親のことだろう。


 そして音葉にそう伝えた美里さんは、誰がみても分かるくらい憤慨していた。

 そんな彼女の勢いに、自分自身を卑下して生きてきた音葉がこのまま呑まれてしまうことは容易に想像出来た。


 くそっ、やはり音葉がこうになるまで放置していた人物だったからあまり期待はしていなかったけれど、ここまで酷いとはな……


 俺はどうするべきか直ぐに思考を巡らせる。

 だが、どうやら今回はその必要はなかったのかもしれない。


 突如、隣の席から『ガタリッ』と大きな音が発せられた。


 それは音葉が急に立ったことにより生まれた音だ。

 驚いたことに彼女自身も想定していなかったことのようで席を立った音葉も少し戸惑いを見せていた。

 しかし、すぐに息を整え終えた音葉は、再び静かに椅子に腰を下ろすと意を決したように口を開く。


「驚かせてゴメンなさい。

 でも……そんなこと分かってる、私一人じゃなにも出来なかったことぐらい分かってるよ……」


 拳をグッと握りしめ、口を小さく動かした。


「だったら、貴方は今まで通り鈴菜さんの言う通り動いていればいいの。貴方も失敗はしたくないでしょう?

 今、感じてる不満や窮屈さは全部間違いで、いっときの迷いみたいなものよ。正しいのは鈴菜さんで、全て言う通りにしていれば問題ないの!それくらい自分で気づきなさい。」


 音葉に有無を言わせないような勢いで美里さんは喋った。


 本当にどれもこれも、根拠のないことばかりだ。

 それを全て正しいと言ってのけて、音葉の意見は全て間違いだと断言する。

 そこには気の弱い人間にとっては言い返すことの出来ない圧力のようなものまでも感じられた。


 でも、そんななか音葉は美里さんの意見をキッパリと否定した。


「美里さん……悪いけど流石にそれは納得できないわ。

 確かに、お母さんの言ってる通りにやる事で失敗はしないのかもしれない。

 けど、違うの……

 私は、……私が本当に怖いと思ってるのは失敗することなんかじゃない。そんなことより、自分が自分でなくなることの方がもっと怖い。」


 音葉が初めて正面から美里さんのことを見た。

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