誰かの為になら頑張れる、それも又長所の一つ
電話の先で項垂れているであろう彼女に対して俺は声をかけた。
「なぁ、音葉。まさかこれで諦めるなんてことないよな?」
『えっ!?もう流石に無理じゃないかな……
それにこれ以上お母さんを困らせる訳にもいかないし。
私も怒られたくなんてないから。』
「それじゃあ、何も変えずに同じ生活を過ごすのか?」
『それはっ! ……でも、そうする事が一番良いような気がするの。私さえ我慢していれば、そうよ、元からそれで良かったんだわ』
音葉は苦しそうにそう言った。その声からは表情は分からずとも、あの整った顔を酷く歪めているのだと想像出来てしまう。
彼女は今、良くないと自らが分かっていても、どうすればいいのか分からないといった感じなのだろう。
でも、第三者の立場から見ても、今まで通りで良いはずがない。
それは音葉にとっても、音葉の両親にとってもだ。
「違うだろ、我慢出来なくなったから今の状況がある。
だから、同じ状況のままおいといて耐えられるはずがない。
それにだ、音葉は母親を悲しませたり、怒らせたりしたくないんだろ?
もしそうなら、今を我慢した結果……自殺しちゃいました、だなんてなった時の方が両親だって悲しむに決まってる。
だから考え方をかえろ。音葉の両親の為にも今ここで頑張るべきだと俺は思う。」
俺がそう言うと音葉の息を呑んだような音が聞こえてくる。
どうやらその事には気付いていなかったみたいだ。
『……確かにだよね。迷惑かけたくないとか言っておきながら矛盾してた。
碧の言う通り、自分の為だけじゃなくてお母さんの為にもなるなら、私がここで負けちゃいけないわ。』
「ああ、そうだ。だったらもう少し頑張らないとな」
少し明るくなった音葉の声に安堵しながら、俺はゆっくりと頷いた。
自分の事を無下にしてしまうような性格の彼女も、他人のことが絡んでくるとなると、流石に軽視出来なくなるかもしれない。
と、そんなことを考えての発言だったが、想像以上に上手くいってなによりだった。
『分かったわ。迷惑かかるだろうけど、とりあえず今はそのことは忘れて、もう一度連絡してみる。』
「あっ、ちょっと待ってくれ。
もう少し方法を考えてみないか? このままだと運良く話し合いに持ち込めたとしても成功する確率はそこまで高くないと思う。
だから、少しでも可能性が高くなる方法をとりたい。」
『それもそうね……少し焦りすぎてたみたい。』
しかし、可能性が高くなる方法と言ってもすぐに思い浮かんではこない。
なにせ音葉の母親の言ってることはある程度正しい。
だが、それは母親一人で出した意見でそこに音葉の意思は一切含まれていない。
そう、今回はそこが可笑しいのだ。
彼女は忙しいこともあってか音葉のことを全く顧みていないのだろう。
だからこそ音葉の異変にもまったく気づけなかった。
立場の違う俺が言うのもなんだが、それは親としては失格なのではないだろうか……
だから、今回はそれをどういう形で理解して貰うのかが重要だ。
そこで、そういった相手に対して取れる方法は今、俺が思いつくだけでも3つほどあった。
一つ目は音葉が実際にしようとしていたやり方で、諦めずに何度も母親に対して訴え続けること。
しかし、この方法は却下だ。
先程も言った通り余り効果的とは思えない。
それに、ただでさえ弱っている音葉に負担がかかりすぎる方法はなるべく避けるべきだ。
二つ目は第三者からの説得。
この方法なら、客観的に見た事実を彼女の母親に伝え、そのことを理解してもらうことで音葉に殆ど負荷をかけることなく解決出来る可能性が十分にあると思う。
もし、実行する場合に第三者に適任なのは音葉と関わりが深くて彼女の母親も知っているであろう人物がいいだろう。
例えばそうだな……マネージャーを務めている美里さんと呼ばれる人がいいのかもしれない。
そして最後の一つは他のものと少し違った考え方で、母親との和解を諦め、全てを投げ出して逃げ出すこと。つまりは家出だ。
ここで単純に逃げ出すと言ってしまえば聞こえが悪くなるかもしれないが、新しい道を探すために今ある環境を捨てると捉えると、ある程度前向きな決断ともとれる。
もちろん選択肢の中では最もリスクが高くなってしまう手段だが、一番手っ取り早いのは間違いなくこの方法だ。
そんな感じで手段とそれに関わってくる問題を並べてみたところ、代わり映えのない一つ目と、現実味の薄い三つ目の手段を取るのは最善とは言い難いと思う。
となると、やはり二つ目が妥当なのかもしれないな。
俺はそこまで思案したあと一度、音葉に意見を聞いてみることにした。
◯●◯●
「―っと、みたいなことを思い付いたんだが音葉はどう思う?」
俺がだいたいの説明を終えると、音葉は暫くの間黙り込んで自分の考えを整理してから答えた。
『うん、私もその中から選ぶなら二つ目が有難いかな。
余り美里さんには迷惑は掛けたくないんだけど……正直、私だけじゃ自信なくてさ。
でも、絶対に他人任せにはしないつもりだから。
とりあえず明日、美里さんに頼んでみるわ。』
音葉は力強くそう答えた。
しかし、そうやって計画の内容が決まっていく中、何故だか俺は不安を感じていた。
それにしても美里さん……ね。
自分で名前を上げておきながら何処か引っ掛かる。
彼女の話し方からして、それなりに関わりの深い人物なんだろうけど、音葉のマネージャーという立場にありながら、果たして彼女の異変に気づかないものなのだろうか?
何気なく音葉に確認をとると、美里さんとは数十年の付き合いになるらしい。
これで、マネージャーになって数日とかだったらまだ納得出来るんだが……
もし、母以上に彼女のことを見ていない人物なら、話し合いに参加させるだけ無駄だ。
寧ろ話をややこしくさせてしまう可能性がある。
そこで俺は音葉に提案することにした。
「なぁ音葉。もし良ければでいいんだが、美里さんに対しての説得には俺も参加させてくれないか?」




