対話 その① 〜side音葉
今日は私にとって大切な日。
初めて自ら、社長である母との会話をする時間を要求し、その時間を与えられた特別な日だ。
正直に言うとこの日が近づくに連れて、不安がドッと押し寄せてきて昨日なんかは殆ど眠れずにいた。
それなのにも関わらず、極度の緊張からか頭は完全に起きている。
まだ目の前に居ない母のことを想像し、伝えると決めたことを心の中で復唱……
実際には声を出していないのにも関わらず、先程から喉はカラカラだった。
お店の人に用意してもらったグラスの中の水もいつの間にか飲み干していた。
そんな状態なのに、昨夜に碧から届いた私を心配するメッセージには、力強く大丈夫だとかいろいろと返信したのだが、ここはハッキリ言っておこう。
えっと……全くもって大丈夫じゃない、と思う。
本当に、忙しい母親の時間を貰ってまで言葉にしなければならない内容なのだろうか?
変わること、変えることが必要なのだとも思いながら、先程からそんなことが頭の中を駆け巡っていた。
ううん、そんな弱気じゃダメだ。
碧も言ってたけど、こういうのは当たって砕けろだもんね。
いや、砕けちゃいけないよね。
私は現在、母親と会うために、電車を利用し県境を越えたところにある高級料理店に来ていた。
もちろんこの場所を選んだのは母だ。
少しの間、出張でここに滞在しなければならないらしい。
そんなこともあって、仕事で忙しい母の予定に合わせてこの店に来店していた。
そして緊張からか予約していた時間よりかなり早めに着いてしまった私はお店の前を右往左往と……
その結果、恥ずかしながらも店員さんに店の中に招いてもらったのだ。
それにしてもやはり緊張する。
そんななか、唯一良かったと思えたところは、ここが完全な個室であるということ。
そのことは、少しばかり有名人になってしまった私にとってはかなりありがたかった。
まぁ、母はそこら辺のことも考えてこのお店を選んだんだろうけどね。
私がそうこう考えているうちに、約束の時間が一刻、一刻と近づいてくる。
うう、やっぱり帰っていいかな。
そんな想いをなんとか胸の中にしまい込み、待ち続けてどのくらい経っただろうか。
約束していた時間の10分前に部屋の扉がガラリと開かれた。
まだ頭の中の整理は全然出来ていなかったが、ここまで来てしまった以上は覚悟を決めるしかない。
「母さん……」
おそるおそる見上げると、そこに居たのは、何度も見てきた母親の姿。
すこしヤツれただろうか……
まともに顔を合わせる機会が殆どなかったこともあってか、そんな風に感じられた。
やっぱり仕事、忙しいんだ。
「あら音葉、先についていたのね」
母は荷物を隣の椅子に置いてから、ゆっくりと腰掛けた。
「あっ、うん。でも、少し前に着いたばかりだから気にしないで」
「そう、それなら良かったわ。
それで私に話って?」
「えーと、その、なんといいますか……」
そこまで言って、私は続きの言葉を発せられずにいた。
あんなに準備してきたのに、どうしてなのよ!?
ちゃんと伝えると決めたはずだったのにも関わらず、いざその状況になると固めた筈の決意はあっさりと壊れてしまっていた。
そんな様子を見かねてか、母がメニュー表に手を伸ばした。
「まぁ、いいわ。
その話はおいおい聞くことにして、取り敢えず何か注文しない?
普通にお腹がすいたわ」
「うん……」
小さくそう答えたものの、何も喉を通る気がしなかった。
多分お腹は、空いているはず……
というより、自分の母親と会話するだけなのにどうしてこんなに緊張してるの?
それから私たちはそれぞれ料理を注文すると再び視線を交差させた。
「それにしても、仕事に関する連絡はそれなりの頻度で取り合ってるけど、こうやって二人きりで食事するのは久しぶりね。
あまり家に帰れなくてゴメンなさい。
最近はどう?、美里さんとは仲良くやってる?」
「うん、いろいろと助けてもらってるよ」
「そう、それなら良かった……」
一度そこで会話は途切れた。
どうしてだろうか、私にはこの言葉一つ一つに壁があるように感じていた。
碧と初めて会った時よりも何倍も話しづらく思ってしまう。
そのまま料理が運ばれてくるとお互い無言のままで食事が始まったのだった。
私は半分ぐらい食べ終えた頃、特に予定もないのに携帯を手にして時間を確認した。
そのついでに、画面に表示される届いたばかりであろう、いくつかのメッセージに目を通す。
どうやら緊急性の高い用事はないようだ。
主に美里さんや、仕事がら関係を持った人たちからのものだったのたが、その中で最近追加したばかりの名前があった。
そして、何故だが私は無意識にそのメッセージを開いてしまっていた。
―― 律真 碧 ――
そっか、それなら良かった。ちなみにあんなこと言っておいて強がりとかだと笑うけどなw
まぁ、とにかく頑張っておいで!
嘘、強がりだってことバレてた?
そんなことはないはず、まさか超能力が使えるとか?
ーって、それはおいといて、そうよね、頑張らないと。
「どうしたの、そんな真剣に携帯なんか眺めて、この後何か予定でも入ってる?」
「いや、何の予定もないよ」
声をかけられると思っていなかった私は動揺しながらも、それを表情には出さなかった。
「そう、じゃあ、もしかして彼氏でも出来たの?」
「えっ、あ、ちがっ、ホントにそういうのじゃないから」
「……それなら良いけど、本当に今は恋人なんて作らないでよ。貴方に関しての情報は出回らないようにしてるけど、顔は動画で出しちゃってるからさ。
噂にでもなったりしたら、たまったものじゃないんだから」
「……うん、気をつけます……
それより母さん、私が今日ここに呼び出したのはね、ちょっと仕事のことで相談があるからなの」
「仕事の相談?」
母には何の事なのかの想像もついていないようで、いぶしかげそうな表情でこちらを見ている。
「うん、仕事の相談」
「それで肝心の内容の方は?」
私は軽く息を整えてから決意を固め直す。
うん、今なら言えそう……
とりあえず、後のことは何も考えないでいい。
今は私の考えを告げることだけに集中しよう。
「あのね、次に作る予定だった曲をバラードものから、もっとポップな曲に変えたいんだけどダメかな?」




