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トラウマ


 姉さんが海の方に行ってしまった後、砂浜のレジャーシートの上には俺と音葉の二人きりになっていた。


 音葉は姉さんが消えた状況に少し戸惑いながらも俺の隣に静かに腰を下ろした。


「身体の方は大丈夫そう?」


「ああ、なんとかな……」


 多分だけど、音葉も姉さんと同じようにボールがぶつかった事が原因で倒れたと思っている筈だから少し気まずい。


 実際はボールがぶつかったことの衝撃なんて覚えていないし、少なくとも鼻血が垂れてきたのはボールがぶつかる前だった。


「そういや、姉さんと一緒に俺が起きるの待っててくれてたんだろ?、いろいろとありがとな」


「うん……でも、まぁ海に入って泳ぐのが怖かったっていうのもあるから」


「そっか、やっぱりあの日の影響か?」


 俺がそう聞くと音葉は小さく頷いた。


「自分で決めて飛び込んだ筈なのに、あの日以来、橋の上から川を見下ろしたりするのが怖くなっちゃって……

 軽く水に触れたり、こうやって海を眺めたりする分に関しては大丈夫なんだけどね。

 なんていうか、自業自得過ぎてホント情けないわ」


 音葉は少し顔を曇らせた後、両手で自分の膝を抱え込んでしまう。

 

 どうやら俺の予想通りあの日のことがトラウマになってしまっていたようだった。


 トラウマか……。


 そもそも、トラウマって、どうやったら克服出来るんだ?

 幸いにも日常生活に支障をきたすことは無さそうだけど、トラウマなんてない方がいいに決まってる。


 しかし、俺は精神科医じゃないし、正直、対策が分からないというのが本音だった。


 怖い経験がトラウマになるのなら、その逆のことをしたら緩和されるのかもしれないよな?


 なら、せめて今日が音葉にとって楽しい思い出になるようにしなきゃな。


「音葉、絶対に無理はしなくていいからな。嫌なら嫌って言ってくれ。他の人に言うことが厳しいのなら俺に言ってくれたらいい。後は俺がなんとかするから、今日は楽しいことだけしようぜ!」


「……」


 やべっ、臭いこと言い過ぎたか!?

 相手が返す言葉に困るなんて恥ずかし過ぎるだろ、これ……


 俺は地面に頭を打ち付けたい気持ちを抑え込む。


 今の音葉はいったいどんな表情をしてることやら ——

 

「——っ、ちょっ、こっち見ないで!」


 返事がなかった音葉の様子を確認するため、恐る恐る顔を向けようとすると全力で止められてしまう。


 でも、一瞬だけ彼女の顔が見えた。


 多分だけど泣いていた……


「碧が悪いんだからね、いつも私に優しくばっかしてくれるから」

 

 その言葉が嫌味なんかじゃないことぐらいはすぐに分かった。


「だったら、優しくしない方がいいか?」


 俺はワザとらしく聞いてみた。


「ううん、そのままでいて……

 私はそのままの碧が好きだから」


「えっ?」


 —— 好き!? ——


 いやいや、俺はアホか。今の流れはどう考えてもそういう意味の好きじゃなかっただろうが……

 人としてそっちの方が良いってことなだけだから。勘違いするんじゃねぇっての。


 それを分かってるつもりなのに、俺の顔はしだいに熱を帯びて行く。

 俺ってチョロ過ぎるよな……


「碧、どうかしたの?」


「い、いや、なんでもない」


 その言葉を発した当の本人である音葉は、至って普通の様子だった。

 

 やっぱり、そうだよな……


 俺はそれが当たり前だと感じながらも、どこか行き場のない想いで満たされていた。

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