演じることの辛さ
東雲が帰った後、俺たちの間には微妙な空気が流れていた。
ホントにアイツはいつもいつも余計なことを……
ついにそんな雰囲気に耐えきれなくなった俺は気まずそうにしていた天音さんに声をかけてみる。
「なんか凄い人でしたね……お友達ですか?」
東雲がそんなやつだってことぐらいもちろん知っている。
でも、今は葵としての俺を演じなければならない。
そう、今の俺はあんな女知らないのだ。
「あははは……一応そうですかね。最近になってよく喋るようになった子なんですけど、結構色々と強引ですみません」
天音さんはまるで自分のことのように頭を下げてきた。
「いえいえ、天音さんが謝るようなことじゃありませんから。それに少し驚いただけで特に危害を加えられたわけでもないですしね」
実際は少しじゃなくて引くぐらいには驚いていた。
だって、あのタイミングで東雲が出てくるなんて誰も思わないだろ。
「そう言って貰えると助かります」
東雲が天音さんと何を話してたのかは分からないが、彼女との会話の後から、天音さんは少しこちらの様子を伺うような視線を度々向けてくるようになった。
一体なんの話してたんだよ。マジで……
また今度会った時は一言文句を言ってやる・・・って無理じゃん。碧としての俺はこの場には居なかったことになってる。
赤の他人を装うことがこんなに大変なことだとはな……
それから昼食を食べ終えて暫く喋った後、今日は解散することになった。
もともと映画を見る予定だっただけなので、他に行くところを全く決めてなかったのだ。
果たしてこれは男としてどうなのか?とも思わなくもないのだが、女子と二人だけで初めて映画を見に来た俺にとってはちょっぴりハードルが高かった。
それに天音さんも疲れた様子を時折見せていたので、丁度良い頃合いだったのかもしれない。
それは今日、半日俺と過ごした影響でないと願いたい……
「葵さん、今日は本当にありがとうございました。凄く楽しかったです!」
「いえいえ、こちらこそありがとうございました」
「それで、あの、もし良ければまたお誘いしても良いですか?次は映画とかじゃないかもしれませんが」
あれ?、いろいろと段取りが悪くて幻滅されたものだと思っていたのだが、どうやら違ったようだ。
天音さんは緊張しているのか、少し上目遣いでこちらを見てくる。
いや、それはズルいだろ。反則に決まってる。
普段ほとんどクールな一面しか見せない天音さんがやると、ギャップ差にやられてしまいそうになる。
だが、俺よ、碧よ!、ここは断るんだ。こんな偽りの関係を続けるのはどちらにしても良くない。
それに次にバレない保証は何処にもないのだから……
「はい、もちろん大丈夫ですよ」
ん?、俺は今なんて言った?
気のせいじゃなければ大丈夫と言っていた……そんなはずは・・・
「ありがとうございます!」
俺の返事により天音さんはパッと表情を明るくする。
どうやら無意識のうちに了承してしまったようだった。
何やってんの俺!?
でも、まぁ……天音さんからの誘いを断れる男子なんているはずもない。
そして、俺も例外なく断らなかった。というより断れなかった。
「で、でしたら、このメッセージアプリの方の連絡先も交換して貰っても良いですか?電話番号だけだと少し使い勝手が悪くて……」
そうして見せられたのは、俺もよく愛用している緑色のアイコンの有名なメッセージアプリだった。
そして天音さんは自分のQRコードを俺に差し出してくる。
確かに天音さんの言う通り電話番号だといろいろと不便なことは間違いない。
俺たちの世代なら特にだ。
でも、俺はその申し出を受け入れるか悩んでいた。
だって、別のアカウントとか持ってねぇし、作り方もイマイチ分からないんだよ。
オマケに碧としてはまだ交換できていないわけだが、この先そういった場面が来ないとも言い切れない。
それに俺はSNSはそのアプリ以外はやってなかった。
東雲とは交換しているし……いろいろとバレる要素が揃ってしまっている。
携帯を差し出してくる天音さんの手は少しだけ震えていた。
「……天音さん、その、ごめんなさい」
俺は交換したい気持ちを胸の奥にしまい込み、天音さんの提案を断った。
「そ、そうですよね……。私、なんか変なこと言っちゃってすみません」
あからさまに肩を落とした天音さんの姿をみて、俺に強い罪悪感が押し寄せてくる。
そりゃそうだよな。
俺だって連絡先の交換を断られたら落ち込む。それに慣れてない俺からするとかなり勇気のいる行動だと思うし……
どちらかというと天音さんも慣れてないような気がする。
「違うんです、別に天音さんと連絡先を交換するのが嫌って訳じゃなくてですね。寧ろ交換して欲しいっていうか、その、俺の勝手な都合の方が問題でして……ホントに嫌って訳じゃないですから」
電話番号は良くて、メッセージアプリはダメっていうのは自分でもアホな話だと思う。
でも、仕方ないじゃないか。あの時の俺は殆ど何も考えてなかったんだから。
「ありがとうございます……」
もしかして、気を遣って言ったと思われた?
俺としては本心からの言葉なのだが、それを証明する方法が分からなかった。
天音さんは元通りに表情を明るくしていて、何を思っているのかは分からない。
それから、最後に別れを告げて今日という濃厚な半日が終わった。
はぁ、もう疲れた。後は家に帰って死んだように休もう。
他人を演じるのはしんどいことなのだと俺は改めて実感していた。
くそっ、葵としてじゃなくて、碧としてなら良かったのに……
俺は今日何度目かになる想いを再び抱きながら帰路についた。




