龍堂院一眞、大衆新聞にすっぱ抜かれる?
水連が近くにいると知って胡蝶は驚き、なんの疑問も抱くことなく喜んだ。
積もる話もあるので、早速、彼女の家を訪問しようと虎太郎の袖を引っ張るが、
「今からか? ダメに決まってるだろ」
「どうしてよ、兄さん。もしかして恥ずかしいの?」
「バカ言うな。ただでさえ女の一人暮らしは物騒だってのに。こんな夜遅くに邪魔しちゃ向こうも警戒するだろうが」
それもそうねと胡蝶はしぶしぶ引き下がり、
「だったら明日行きましょう。お昼ごろはどうかしら? 私、何か作って持っていくわ」
「胡蝶、頼むからそう急かすなよ。向こうにも都合ってもんがあるだろうが。俺だってそう暇じゃねぇんだぞ」
「だったらいつがいいの」
煮え切らない兄の態度に、胡蝶は次第にイライラし始める。
「兄さんの都合なんて待ってたら、いつまでたっても水連さんに会えないわ」
「余計なお節介はやめてくれよなぁ、お前は俺のお袋か?」
「似たようなものでしょ」
デジャビュを覚えるやりとりに、胡蝶はぷっと吹き出すと、
「……そうよね、分かったわ。もうお節介は焼かない」
「なんだよ、急にどうした」
薄気味悪そうな顔をする虎太郎に、「兄さんのことを信じてるから」と胡蝶は笑顔で答える。
「水連さんのところへは一人で行ってきてね」
そしてそのまま二人がうまくいけば嫌でも顔を合わせることになるのだから、焦る必要はない。
そう考え直して、さっさと家に帰ろうとするのだが、
「おい、胡蝶。そりゃあないだろう。俺のことを見捨てる気か?」
振り向けば、情けない声を出して追いかけてくる虎太郎の姿があった。
「お嬢様っ、大変ですわっ、お嬢様っ」
翌朝、お佳代の大声で目を覚ました胡蝶は、
「どうしたのよ、母さん?」
目をこすりながらふらふらと居間へ向かった。
お佳代の朝は早く、夜明け前には布団から出て、いつも玄関先で大衆新聞が届くのを心待ちにしている。
田舎暮らしの長いお佳代にとっての唯一の娯楽であり、世の中のことを知るための手段でもあるからだ。
「こ、ここに龍堂院様の記事がっ」
それはとても小さな記事で、おそらく必死に目を凝らして読まなければ気づかないだろう位置にあったが、
「まぁ、本当。一眞さんが写ってるわ。綺麗に撮れてるとはいいがたいけれど」
手を叩いて喜ぶ胡蝶に、
「お嬢様っ、のんきにはしゃいでいる場合ではありませんわっ。ここに写っている――龍堂院様の隣にいる女性は誰ですのっ」
険しい表情を浮かべるお佳代に、一眞と一緒に写っている女性の写真を指差されて、胡蝶は首を傾げる。
「誰かしら。うつむき加減だし、顔がぼやけてて、分かりにくいわね」
「……記事によると、龍堂院様とかなり親密なご様子だったとか」
どうやら一緒にホテルから出てきたところを激写されたようだと言われて、
「だったらお仕事関係の方ではないかしら。御堂さんとか」
「いいえ、御堂様ではありませんわ。あたくし、こう見えて人の顔を見分けるのが得意ですの」
だからこそ、どこかで見た気がするのだが思い出せないと頭を悩ませるお佳代に、
「それで、これの何が大変なの?」
きょとんとする胡蝶に、お佳代は眦を吊り上げる。
「一大事ですわっ。お嬢様の婚約者が、よりにもよって大衆新聞の記者にすっぱ抜かれたんですのよっ」
「すっぱ……なんですって?」
「ですからっ、これは浮気現場をとらえた証拠写真ですわっ」
まさか、一眞さんに限って――と胡蝶は笑う。
「考えすぎよ、母さん。大衆新聞のゴシップ欄は事実確認が甘いから、あまり信用してはいけないと、辰兄さんにも言われてるでしょ?」
「……ですけど、火のない所に煙は立たぬとも言いますし」
確かにお佳代の言うことも一理あると思い、胡蝶はあらためて写真の女性をまじまじと見る。
「なんだか、水連さんに似ている気もするのだけど……」
「……すいれん?」
途端、活気づいたようにお佳代は声を張り上げる。
「それは池上さんのことですか? 最近この村に越してきた若い未亡人」
やたらと未亡人を強調するお佳代に、「そういう母さんだって未亡人じゃない」と思いつつ、
「あら、母さん。水連さんのこともう知ってるの?」
「ええ、もちろん。今じゃ村中で噂してますよ。あの女は絶対に訳ありだってね」
あの女? 訳あり?
胡蝶は顔をしかめると、
「そんな言い方、あんまりよ。水連さんに失礼だわ」
「仕方ありませんよ、村の男衆があの人を見ると皆ぼうっとなって、魂が抜けたみたいになるんですから」
虎太郎のやけに照れた様子を思い出して、胡蝶はため息をつく。
「自分の亭主がよその女に見とれていたら、そりゃカチンとくるでしょう。あたくしも経験がありますから、気持ちはわかりますわ」
「そんな、あの父さんに限って……」
「いいえ、それがあるんです。若い頃、あの人がしゅっちゅう通っていた小料理屋の女将さんが、あんな感じの未亡人でねぇ、あたくしもヤキモキさせられたものですわ。あの人ったら、隣にあたくしがいるっていうのに、食事中もじっと女将さんの顔を見つめて、うっとりしてるんですから」
当時の感情が蘇ってきたのか、お佳代は激したように続ける。
「あの手の女はタチが悪いんですよ。わざと不幸な話をして、周りの同情を誘うんです。そうすれば皆が優しくしてくれますからね」
水連の境遇を思い出して、それはあまりにも言いすぎだと、お佳代を窘めようとした胡蝶だったが、
「ですがまさか龍堂院様とお知り合いだとは知りませんでした。もしかすると、彼女がこの村に越してきたのは――」
そこで言葉を切ると、お佳代はハッとしたように胡蝶を見、
「お嬢様、これはよくない兆候ですわ」
再び険しい表情を浮かべる。
「もちろん龍堂院様に限って、お嬢様を裏切ることはまずないとは思いますが、この女狐が何かよからぬことを企んでいる可能性も……」
この言葉に、たまらず胡蝶は口を挟む。
「母さん、女狐なんて言葉は使わないでっ。水連さんだけじゃなく、一眞さんにも失礼だわっ」
「……まあ、お嬢様、あたくしはそんなつもりで言ったわけじゃあ……」
さすがのお佳代も気まずそうに目をそらす。
一眞の先祖が狐の妖怪と交わった――混ざり者だということを思い出したのだろう。
「ともかく、この話はもう終わり。朝食の支度をしなくちゃ」
「お嬢様ったら……そうのんきに構えていられるのも今のうちですわよ」
お佳代の小言を聞き流しつつ、いそいそと台所に向かう胡蝶だった。




