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愛さなくても構いません。出戻り令嬢の美味しい幽閉生活  作者: 四馬㋟
その後の話

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親子喧嘩に終わりなし



 

「虎太郎兄さん、どうしたの? ぼうっとして。家はもうすぐそこよ」


 一眞と別れた後、我が家へと続く道を歩きながら胡蝶は、隣を歩く次兄を見上げた。汽車の中ではあんなにお喋りだったのに、汽車を降りた途端に兄の口数は減っていき、今や完全に無口になっている。


「ただいま、母さん。兄さんを連れて帰って来たわ」


 なぜがその場から動かず、明後日の方向を向いている兄を横目に母を呼ぶと、


「まあまあ、お帰りなさいまし、お嬢様。それに虎太郎も……あら、虎太郎はどこですか?」

「え? 兄さんならここに……まあ、どこへいったのかしら。さっきまでここにいたのよ」

「それより、虎太郎の結婚相手もここに来ているんですか?」


 声を潜めて訊ねられる。

 首を横に振ると、お佳代は「やっぱり」と頷く。


「振られたんですね」

「そうじゃなくて……」


 思わず口を開きかけた胡蝶に、お佳代は「皆まで言わずとも分かっています」と神妙な顔でお土産の温泉饅頭を受け取ると、


「安心してください。虎太郎には何も言いませんよ。啖呵切って家を飛び出した手前、あの子も決まり悪いでしょうし」


 水連が虎太郎のことをどう思っていたのか――少しくらい見込みがあったのか、その点は胡蝶にも分からないため、あえてそのことには触れず、


「兄さんが戻ってきたら、優しく迎えてあげてね」

「もちろんですとも」

「また喧嘩して、兄さんを家から追い出してはだめよ」

「まあ、勝手に出て行ったのはあの子のほうですよ。あたくしは何も……」


 若干、不満顔のお佳代だったが、


「分かりました、うまくやりますわ」


 仕方がないとばかりにため息を吐く。

 それでも胡蝶は安心できず、


「兄さんに口うるさいことを言わないでね。傷ついているんだから」

「お嬢様ったら、少しはあたくしのことも信用してください」


 子どものように唇を尖らせるお佳代に苦笑しつつ、家の中に入る。


「あまり時間がないから、今日の夕飯は簡単なものでいい?」

「必要ありません。豚の角煮を作っておきましたから」


 豚の角煮は虎太郎の好物である。

 胡蝶が微笑んで母の顔を見ると、


「お嬢様と同じように、豚肉はちゃんとお米のとぎ汁で煮ましたよ」


 お佳代は照れ隠しのようにそっぽを向く。


「だったら副菜と汁物だけ作るわね」


 部屋に荷物を置き、着替えたらすぐに料理を始める。


 まずはスプーン一杯分のお塩を入れた熱湯でほうれん草を下茹でし、冷水に通して水気を切る。まな板の上で五センチ程の大きさにカットしたらボウルに移して、調味料――ごま油、醤油、にんにくのすりおろし、すりごまを加えて混ぜる。小鉢に盛ったら、ほうれん草ナムルの完成だ。


 続いて汁物――水切りしたお豆腐と、下処理をしてあく抜きをしたゴボウ、一センチ角に切った油揚げ、大根と人参は皮を剥いてイチョウ切りにする。できればコンニャクと里芋、椎茸も入れたかったが、ないのであきらめる。


 中火で熱したお鍋にごま油をひき、材料を入れて油が全体になじむまで炒める。お水と調味料を加えて、野菜が柔らかくまで煮る。あくが出たら取り除き、お豆腐は手で軽く崩しながら入れて、弱火でひと煮立ちさせたら、けんちん汁の出来上がり。


「兄さんっ、晩御飯ができたわよっ」


 庭先に出て大声で呼ぶと、虎太郎はいそいそと戻ってきた。

 そのすぐ後ろに辰之助の姿もあり、つい笑ってしまう。


「兄さんたち、仲直りしたのね」


 旅行から帰ったばかりで身体は疲れていたものの、楽しそうに食事をする親兄弟の顔を眺めていると、やはり我が家で過ごす時間が一番だと感じた。久しぶりに口にした母の手料理はとても美味しく、懐かしい味がして、悲しくないのになぜか涙が出てしまう。


 そんな感傷に浸りつつ、その晩はぐっすり眠った。

 それから数日後、



「勘弁してくれよぉ、お袋、泣くようなことかよ」

「あたしはねぇ、虎太郎、別に悲しくて泣いてんじゃないんだよ、悔しくて泣いてるんだ」

「悔しいって何が?」

「ご近所の奥さんに、息子さんはいつ結婚するんですか? って訊かれて、何も答えられなかったからだよ」


「なんで答えられねぇんだよ? うちの息子にそんな予定はないし、他人の詮索する暇があるのならてめぇの出戻り娘の心配でもしてろって言い返せばいいじゃねぇか。あのわがまま女、二度も結婚したくせに、また離婚して、子どもを連れて実家に戻ってきてるんだろ?」


 思わず二人の会話を盗み聞きしていた胡蝶だったが、自分のことを言われているような気がして、なんだか気まずかった。


「虎太郎っ、その口の利き方はなんだい。ご近所さんに失礼じゃないかっ」


「分かんねぇ奴にはハッキリ言ってやんないと分かんねぇんだよ。お袋こそ、言われっぱなしで腹が立ってるんだろ? 俺が行って話つけてきてやるよ」


「そんなことされたら迷惑だよっ。世間の目っていうのがあるんだからねっ」

「前から思ってたんだけどなぁ、お袋は世間体を気にし過ぎなんだよ。そんなんじゃ病気になっちまうぞ」


「なんて礼儀知らずな子なんだろうっ。あんた、小さい頃はご近所さんの娘さんと仲が良かったじゃないか。たくさん遊んでもらって、何度かご飯もご馳走になったはずだよ」


 すると虎太郎はその時のことを思い出してばつが悪くなったのか、


「覚えちゃいねぇよ、そんな昔のこと」


 先ほどの威勢はどこへやら、声が小さくなる。

 しかしお佳代はそんな息子の変化にも気づかず、


「あたしの育て方が悪かったんだ。ご近所の奥さんも言ってたよ。あたしらは子どもを甘やかしすぎたのさ」

 

 悔やむような言葉を口にする。

 こんなことを言われて、虎太郎もあとに引けなくなったのか、


「出来の悪い息子で悪かったなっ。後悔するくらいなら産まなきゃよかったんだっ」


 カッカして怒鳴ると、再び家を飛び出してしまった。


 この家で親子喧嘩は今に始まったことはないし、実の親子だからこそ、遠慮がないのも理解できる。それにしたって、子どもの頃はすぐに仲直りできたものだが、大人同士だと、どうしてこうもお互い感情的になってエスカレートしてしまうのか。


「……母さん、またなの?」


 しかたなく母の前に出て行くと、


「ごめんなさい、お嬢様……ごめんなさい。あれほど喧嘩をするなと言われていたのに……」


 しまいには泣き崩れる母を前にすると何も言えず、ただただため息がこぼれた。

 泣いて後悔するくらいなら、あんなことを言わなければいいのに。


 歳をとったせいで、感情のコントロールが難しくなっているのだろうか。


「泣かないで、母さん。大丈夫よ。私が何度でも兄さんを連れ戻してくるから」

 

 しかしその数時間後、虎太郎はケロッとした様子で帰ってきて言った。


「胡蝶、これやるよ。うまそうなきゅうりだろ?」

「まあ、どうしたの?」

「久しぶりに喜代きよ姉ちゃんに会って、もらったんだ」


 喜代姉ちゃんというのは、先ほどお佳代が話していたご近所の娘さんのことである。


「その辺うろついてたら、おすそ分けでくれたんだ。俺のことも覚えててさ、気さくで感じのいい姉ちゃんだったよ。別れた旦那の酒癖がひどくて、子ども守るために別れたんだとさ。子ども育てながら家の仕事手伝って、立派なもんだよ。俺も見習わねぇとな」


 そう言いながら、ふらりと台所に立ち寄ると、


「なんか食いもんねぇかな? さっきから腹が減って腹が減って」


 ――まったく、この人たちときたら。


 苦笑いを浮かべながら、兄の後ろを追いかけて胡蝶も台所へ向かった。




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