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愛さなくても構いません。出戻り令嬢の美味しい幽閉生活  作者: 四馬㋟
本編

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見えない変化



「本日より胡蝶様の警護を担当させて頂く、御堂木乃葉みどうこのはと申します」


 軍服姿がよく似合う、颯爽と現れた女性を前にし、胡蝶は動揺を隠せなかった。細い腰に大きな胸、胡蝶よりも頭一つ分くらい高く、とても綺麗な女性だった。聞けば彼女は一眞の元部下で、皇子の命令を受けてここへ来たらしい。


「……粗茶ですが」


 とりあえず彼女に上がってもらい、お茶を勧めるが「結構です」と笑顔で断られる。


「飲み物も含めて、生理的にダメなんです。他人の作った食事は受け付けなくて」

「まあ、そうでしたの」


 決まり悪く思い、湯呑を遠ざける。

 短い沈黙の後、胡蝶は思い切って訊ねた。


「御堂様は、一眞様の後任ということでしょうか?」

「そうです」

「でしたら、一眞様は……」

「お忙しい方なので、もうこちらへは来られないかと」


 笑顔で言い切られ、ショックのあまり口ごもってしまう。


 一眞に最後に会ったのは三日前だが、特に変わった様子はなかったと思う。それとも自分が気付かなかっただけで、彼の気に障るようなことをしてしまっただろうか――例えばトンテキの味付けが彼好みではなかったとか? ――不安に苛まれる胡蝶の代わりに、後ろで控えていたお佳代が口を挟んだ。


「まあ、そんな。龍堂院家の御子息様ともあろうお方が、婚約者を放ったらかしにするなんて、あんまりじゃありません?」

「婚約といっても、皇子殿下の命令でしかたなく……と聞いておりますが」


 険のある言い方にお佳代は青ざめ、胡蝶も何も言い返すことができなかった。


「それは龍堂院様ご自身がそうおっしゃったのですか?」

「……ええ、もちろん」


 絶対に嘘ですわ、とお佳代はすぐさま胡蝶に耳打ちする。

 だって今、ほんの少しだけ間がありましたもの。 


 驚く胡蝶に、「この場はあたくしにお任せ下さい」とばかりにお佳代は木乃葉に噛み付いた。


「御堂様は、お嬢様よりもご自分のほうが龍堂院様の婚約者にふさわしいとお考えなのですね」


 お佳代の言葉を聞いて、木乃葉の顔から笑顔が消えた。

 顔を赤くし、怒りを押し殺すように唇を噛み締めている。


「かあさん、御堂様に対して失礼よ」


 急に何を言い出すのかと、慌ててお佳代をたしなめるものの、


「平民出身の私と公爵家の嫡男であるあの方とでは釣り合いがとれない――そう言わせたいのですか?」


 木乃葉は応戦する気満々だ。


「先に仕掛けてきたのはそちらでございましょう?」

「身分差はあれど、私はあの方と同じ混ざり者です」


 誇らしげに言い、木乃葉は続ける。


「あの方が抱える葛藤や苦しみを、私なら理解することができる。生まれながらに他者にかしずかれ、愛されて育ったお嬢様には、到底理解できないでしょうが」


 あからさまな敵意を向けられて、ようやく胡蝶は気づいた。

 この女性もまた、一眞のことが好きなのだと。


「幼い頃から混ざり者だと蔑まれ、娼婦に身を落とした私を、あの方だけが気にかけ、救いの手を差し伸べてくれました。今の私があるのは、あの方のおかげ――以来ずっと、あの方だけを想って生きてきた。必要とされるために、必死に努力をしてきたのです。例え恋人になれなくても、妻になれなくても、あの方の元で働けるだけで幸せだと自分に言い聞かせて……」


 言って立ち上がり、上から胡蝶を見下ろす。


「婚約者だからといって、どうか自惚れないでください。あの方は同情で貴方と婚約したに過ぎないのですから」

「お嬢様に対してなんと無礼なっ。このことを皇子殿下が知ったら何とおっしゃるか」


 お佳代のその言葉が効いたのか、木乃葉は一瞬だけ怯んだような顔をする。


「貴女のような方に、お嬢様の警護は任せられませんわ」

「その点はご心配なく。仕事は仕事と割り切っていますから」


 どうだか、とお佳代は鼻を鳴らす。


「お嬢様にもしものことがあれば、あたくしは即座に貴女を疑いますわ」

「どうぞご勝手に」


 きびきびとした足取りで木乃葉が出ていくと、室内はしんと静まり返った。

 ややして、「これは強敵ですわね」とお佳代が重い口を開く。


「お嬢様、お気をしっかりお持ちになって。あの女は猛獣ですわ。隙を見せれば頭からがぶりとやられますわよ」


 それは難しいと、たまらず弱音をこぼしそうになる。


 ――私は一眞様にふさわしくないのかもしれない。

 

「龍堂院様がお嬢様のそばを離れるなんて、きっと何かの間違いですわ」

「けれど現に彼はここにいないのだし……」


 近くに彼がいれば、木乃葉もあんな態度は取らなかったはずだ。


「一眞様は嫌々、私と婚約させられたのだわ」


 きっと自分の顔を見るのも嫌になったに違いない。

 だからこそ警護から外れたのだ。


「それはご本人に確認してみないと」

「でも……」

「皇子殿下のご命令で、やむをえず、という可能性もありますわ」


 手紙を出して事の詳細を訊ねるべきだとお佳代には言われたものの、胡蝶は気が進まなかった。というより、事実を知るのが怖かった。何らかの事情で、一眞が自分と距離を置こうとしているのであれば、受け入れる以外に何ができるだろう?


 ――私はしょせん嘘の婚約者だから。


 自分なりに好意を伝えたつもりだったが、結果、彼は離れていってしまった。もしかすると、他に想う人がいるのかもしれない。しつこくして嫌われるのも嫌なので、胡蝶は結果を結果として受け止め、前向きに考えることにした。


 ――落ち込むのはやめて、今を楽しまないと。


 老いて皺だらけになったお佳代の手を握り締めて、「私は平気だから心配しないで」とにっこり微笑む。あとどれくらいここにいられるのかわからないのだから、家族と過ごせる時間を大切にしたいと思った。

 



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